十二話目
黄金の光が収束し、四人のスマートフォンが【ランク:S】という未曾有のマスター権限を証明した時、コア・サーバーの空間に再び、現実的な「音」が戻ってきた。
──いや、それは音などという生易しいものではなかった。
ドサリ、という重苦しい肉体の衝突音。そして、引き裂かれるような短い悲鳴。
「……あ、あいつ、何なんだよ……!」
かすれた声を上げたのは、数分前に一樹たちをマスター・ゲートの前で裏切った、セリカの配下の重武装ランカーの一人だった。
一樹たちが【メモリー・フォーマット】という精神の試練を乗り越えている間、少し離れた基盤の上で意識を失っていたはずの彼らは、すでに目を覚まし、そして──徹底的に蹂躙されていた。
「セリカ……!」
一樹は【解析の眼】を発動したまま、その惨劇の現場へと駆け寄った。
そこには、これまで多くの下位プレイヤーの寿命を買い叩き、女王のように君臨していたセリカが、大理石の床に這いつくばっていた。彼女のトレードマークだった派手なドレスはボロボロに引き裂かれ、むき出しの背中や足からは赤黒いデジタルノイズが火花のように爆ぜている。
「あたしの……あたしの、ポイントが……寿命が……吸い取られて、いく……っ」
セリカは血の混じった唾を吐きながら、自分のスマートフォンを必死に掴もうと手を伸ばしていた。しかし、その画面に表示されていたのは、かつて彼女が誇っていた「Cランク」の称号ではなく、システムから完全にアカウントの全データを強制抽出されたことを示す、無機質な『0 SP』の数字だった。
彼女の配下のランカー2名も、すでにその肉体の半分がノイズと化し、世界のバグとして消去されるカウントダウンが始まっていた。
「自業自得ね」
レイがナイフを構え直しながら、冷酷な目をセリカへと向けた。
「他人を裏切り、踏み台にして集めたポイントよ。より巨大な『悪意』に目を付けられて、一瞬で食い荒らされたのよ」
「……違う。誰が、彼女たちをこんな目に遭わせたんだ?」
一樹は【解析の眼】の焦点を、セリカたちの肉体に残された「攻撃の軌跡」へと絞り込んだ。
そこに残されていたのは、クリーチャー(処分用プログラム)のデータではない。このコア・サーバーを統括する、ゲームマスター自身の固有の電子指紋だった。
『──その通りです、プレイヤー:カズキ。流石は私の見込んだ、最高のエラーオブジェクト(バグ)だ──』
空間全体のサーバーラックが一斉に激しく駆動し、光ファイバーの網が真っ赤な血の色へと染まった。
セリカたちのスマートフォンのスピーカーから、あの機械的に加工されたゲームマスターの声が、今までにないほどの立体的な音響となって響き渡る。
『セリカ。彼女は優秀な捕食者でしたが、所詮はシステムに踊らされるだけの「養分」に過ぎませんでした。あなたたちをハッキングするための足止め役として利用しましたが、もう用済みです。彼女たちの残存寿命は、すべて私が美味しく統合(パッチ適用)させていただきました』
「お前……! 自分のゲームのプレイヤーを、そんな風に……!」
タカシがバットを強く握り締め、天井の基盤に向けて吼えた。
『これより、最終アンインストール・プロトコルを開始します。……おや? あなたたちのランクが【S】に書き換わっている? システム権限の不正奪取ですか。実に面白い。ならば──そのマスター権限が本物かどうか、私の最高傑作を相手に試してみるといい!』
ゲームマスターの声が途切れた瞬間、セリカたちの身体が激しい絶叫と共に、紫色の巨大な光の繭へと包み込まれた。
「退きなさい、みんな! 来るわよ!」
レイの警告と同時に、一樹たちは後方へと大きく跳躍した。
セリカと2名のランカーの肉体、そして彼女たちがこれまでに他人の寿命を買い漁って蓄積してきた「数百年の生命データ」が、システムの手によって強制的に融合されていく。
繭が弾け、そこから姿を現したのは──これまでのどのクリーチャーとも一線を画す、おぞましくも完璧な「電子の神獣」だった。
セリカの顔が塗りつぶされたような頭部に、無数の光ファイバーの触手が生えた巨大な蜘蛛型の胴体。その表面はランクDやCのデジタル防具のテクスチャで強固にコーティングされており、放つ殺圧は、これまでのボスクラスの怪物の数十倍に達していた。
【オブジェクト名:セキュリティ・パッチ 1.05(通称:セリカ・エンド)】
【状態:マスター権限(ランクS)の即時排除モード】
「グルルルルル……!」
怪物と化したセリカが、空間を引き裂くような速度で突進してきた。その手先から伸びる高周波のブレードが、一樹たちのいたコンクリートの床を豆腐のように容易く切り裂く。
「タカシ、正面を受け止めろ! 今のあんたなら、絶対に弾き返せる!」
一樹が叫ぶ。
「おうよぉ!!」
タカシは【身体能力強化(中級)】の全力を起動した。しかし、それだけではない。彼のスマートフォンが【ランク:S】へと覚醒したことで、彼の既存のスキルはシステムの制限を完全に解除され、究極の特異機能へと進化を遂げていた。
【ランクS・固有コマンド開放:【絶対衝撃】】
「オラァァァァァ!」
タカシがバットを振り下ろした瞬間、空間の分子が悲鳴を上げるほどの強烈な「重力波」が炸裂した。
突進してきたセリカ・エンドの巨大な前脚と、タカシのバットが真っ正面から激突する。
ドゴォォォォォン!!!
凄まじい衝撃波がコア・サーバーの空間を駆け抜け、周囲のサーバーラックが何十本もドミノ倒しのように崩壊していった。
本来ならタカシの肉体が弾き飛ぶはずの衝撃。しかし、ランクSのマスター権限によって強化された彼の一撃は、数百年の生命データを持つ怪物の巨体を、完全にその場で「停止」させ、逆に前脚の防壁を粉々に粉砕した。
「ギ、ガ、ガガガガガッ!?」
怪物の頭部から、処理落ち(スタッター)のノイズが噴き出す。
「ミサキ、次の動きの未来予測をくれ!」
一樹が【解析の眼】を全開にしながら大声を出す。
「見えます! 怪物は今から3秒後、背中の光ファイバーを全部使って、エリア全体に『即死のレーザー(全方位フォーマット)』を放ちます! 回避不可能です!」
ミサキの【危険察知】もまた、ランクSによって神の領域へと進化していた。彼女の瞳は完全なサファイアブルーに輝き、スマートフォンの画面には、怪物が放つ予定の攻撃の「数秒先の未来の光跡」が、完全に可視化されて映し出されていた。
「回避が不可能なのなら──その攻撃のパケット自体を、内側から書き換えて(ハックして)あげるわ!」
レイがノートパソコンを大理石の床に叩きつけるようにして開き、限界を超えた速度でハッキングコードのタイピングを始めた。彼女のランクS・固有コマンドが起動する。
【ランクS・固有コマンド開放:【仕様変更】】
「カズキ! 怪物のチャージ(エネルギー集積)の中心点にある、データの脆弱性の位置をナビゲートしなさい!」
「分かった!」
一樹は【解析の眼】の焦点を、セリカ・エンドの背中で激しく脈打つ光ファイバーの結節点へと絞り込んだ。
彼の眼に見えたのは、単なる弱点ではない。ゲームマスターがこの怪物に与えている「プログラムの命令文」そのものだった。
『if (charge_complete) { execute_all_delete(); }』(もしチャージが完了したら、すべてを消去せよ)
「レイさん、怪物の背中の第3ノードだ! 命令文の『all_delete(全員消去)』の変数を、マスターコマンドで【self_destruction(自己崩壊)】に書き換えるんだ!」
「了解!!」
レイが不敵な笑みを浮かべ、エンターキーを力強く叩いた。
彼女の端末から放たれた純白のハッキングコードの矢が、一樹のナビゲート通りに怪物の背中のノイズへと突き刺さる。マスター権限による書き換えは、運営のファイアウォールを紙切れのように容易く貫通した。
怪物の背中の光ファイバーが、一瞬にして禍々しい紫色から、純白の「エラーの光」へと反転していく。
「ギ、あ……、あ、あああああああ!?」
怪物の頭部から、セリカの本物の悲鳴が漏れ出た。
全方位へ放たれるはずだった即死のエネルギーが、システム命令の矛盾によって怪物の体内へと逆流し、その巨大な肉体を内側からドロドロの液体ノイズへと溶かし始めていく。
「これで、終わりだ!!」
一樹は【近接格闘心得】の身のこなしで、崩壊していく怪物の頭部へと一直線に駆け上がった。
彼の右手には、あの最初のステージから彼の手を、そして仲間の命を護り続けてきた、強化アルミ製のタクティカルペンが握られていた。
【ランクS・固有コマンド開放:【強制終了】】
一樹がペンの先端を、怪物の額のコアへと真っ直ぐに突き立てた瞬間、彼のスマートフォンから「すべてのプログラムの強制デリート」を命令するマスター・シグナルが送り込まれた。
パリィィィィィン!!!
世界が粉々に砕け散るような、凄まじい電子の破裂音がコア・サーバーの空間に響き渡った。
セリカ・エンドの巨大な肉体は、一瞬にして何百万もの光の塵へと分解され、大理石の床の上には、最初から何も存在しなかったかのような、静かな虚無だけが残された。
裏切りと捕食を繰り返した最悪のランカー、セリカ。
彼女は最期まで運営の道具として利用され、そして一樹たちの覚醒した「絆の力」の前に、データの藻屑となって完全に消え去ったのだ。
ピコン。
四人のスマートフォンに、システムからの「最終確定ログ」が流れる。
『セキュリティ・パッチ 1.05 の消去を完了しました』
『エリア内の生存プレイヤー数:4名』
『──これより、すべてのゲーム進行を凍結します──』
空間のすべてのノイズが消え去り、再び完全な「静寂」が訪れた。
タカシはバットを床に置き、深く息を吐き出しながら一樹の肩を叩いた。
「やったな、カズキ。俺たち、マジで化け物ごと、あの最悪なルールをブッ壊したんだな」
「うん……。みんなが僕を信じて、それぞれの役割を100%以上の力で果たしてくれたからだ」
一樹はミサキとレイの顔を見つめた。
ミサキは自分の目が元の黒色に戻るのを確かめ、ホッとしたように微笑んでいる。レイも左肩の痛みを忘れ去ったかのように、気高く、美しいエンジニアの立ち姿を取り戻していた。
「さあ、案内するわ、カズキ」
レイが崩壊したサーバーラックの奥、空間の最深部にそびえ立つ、巨大な【真鍮製の電子の扉】を指差した。
「あの扉の向こうに、このゲームの全サーバーを管理しているホストコンピューターと……ゲームマスターの本体がいる。私たちのすべての日常を奪った元凶が、あそこで待っているわ」
一樹はうなずき、四人で一歩一歩、その扉へと歩を進めた。
彼らの右手にあるスマートフォンは、今や彼らを縛る呪いのアプリではなく、不条理なシステムを完全に『アンインストール』するための、最強の武器へと変貌していた。
扉の前に立ち、一樹が手を伸ばそうとした、その時。
ガチャリ、と軽い音がして、真鍮の扉がひとりでに、ゆっくりと内側へと開いていった。
扉の向こう側から漏れ出てきたのは、これまでの冷たい電子の光ではなく、どこか見覚えのある、温かみのある「自室の照明の光」だった。
そして、その部屋の中央。
数台のモニターに囲まれたデスクの椅子に座り、楽しそうにスマートフォンを操作している「ひとりの人物」の後ろ姿が、四人の視界に飛び込んできた。
その人物がゆっくりと椅子を回転させ、一樹たちの正面を向いた瞬間──一樹の息が、完全に止まった。
「──やあ、一樹。ずいぶんと時間がかかったね。待ちくたびれたよ」
そこに座っていたのは、おぞましい怪物でも、狂ったAIでもなかった。
それは、一樹が大学の講義で毎日顔を合わせ、そして数日前のあのアパートの火災で行方不明になったと警察から告げられていた──一樹の【唯一の親友】の姿だった。




