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あなたの記憶に幸福あれ ~とある記憶管理士の日常~  作者: 緑青ケンジ
第二章 記憶に挟んだ日常の栞と共に
20/22

File2-10 記憶補完


 茉莉香と、正樹は向かい合って面談室に腰を降ろし、互いに緊張した面持ちで会話の糸口を探っていた。


「昔、家族で遊園地に行った時に、買ってもらったアイスを転んで落としたんだ。その時に、姉ちゃんが代わりにくれたのを覚えてるよ。あの時に姉ちゃんが食べていたのはチョコミント味で、僕は苦手だったんだけど、嬉しかったなあ」


「そうだったんだ……仲のいい姉弟だったのね私達」


 二人が直接顔を合わせるのは今日で二度目だった。お互いに距離感を埋められずにいるが、正樹が茉莉香との思い出話を一つ一つ丁寧に聞かせていた。


 茉莉香は正樹が語る思い出話を熱心に聞いており、時に相槌を打ちながら、自分の記憶に存在するパズルのように歯抜けとなった光景を思い起こしてはそこに正樹がいた痕跡を探し続けていた。


 記憶は都合の良いようには元に戻らない。それでも、会話を続ける二人の間には確かな関係が少しずつではあるが再び紡がれ始めていることに、ニイナは気づいていた。


 暫くすると、新城真弓が白衣を着た格好で、三人の下に現れ、記憶抽出の準備が出来たことを告げた。


「それでは、そろそろ今回の治療について改めて説明をさせて貰います。記憶抽出については私が担当をさせて貰うのでよろしくお願いします」


 三人はそれに頷くと、内容について詳しく真弓が説明を開始する


「茉莉香ちゃんの記憶の空白地帯に、正樹くんの記憶を補完することで、茉莉香ちゃんの記憶の中に確かに正樹さんがいたという事実認識を持たせます。その上で、茉莉香ちゃんには、これをベース記憶として再度記憶の同期を行ってもらいます。若干の記憶混同が起こる可能性はありますが、それ以上に茉莉香ちゃんにとって欠落した記憶における事実関係の認識強化は余りあるメリットだと考えています」


 真弓の説明を受け、付け加えるようにニイナが自分の役割について説明を行う。


「その中継地点の役割を担うのが、私になります。他人の記憶を覗くことが出来るのは記憶管理士のみですから、正樹さんと茉莉香の記憶を私の中で統合し、補完された記憶を作り出します」


 茉莉香と正樹は説明を真剣に聞きながら、最終的に同意を示した。


 説明が終わると茉莉香と正樹双方の記憶抽出に映る為に治療室へと移動し、記憶抽出装置の側で二人はウェアラブルデバイスを装着させられると共に、導入剤を処方される。


「ニイナ、ありがとう」


 不意に茉莉香がニイナへ声を掛ける。それは、どういった感謝であるのかニイナは少し不思議そうな表情を浮べたが、ニイナは茉莉香に何か言う事はなく、ただ彼女の手を優しく握っただけだった。


「ニイナ、貴方も準備をお願いね?」


「はい、いつでもいけます」


 真弓とニイナのやり取りは極めて短く、その合間に正樹と茉莉香は既に眠りに落ちていた。


「ニイナ、あなた今回も良くやってると思うわ」


 ニイナは真弓の方を向き、怪訝な顔を見せる。


「誰かの為に何かをしようとすると思うことが重要ってことよ」


「そう……ありがとう真弓」


 ニイナは真弓に感謝を述べつつ、ゆっくりと目を閉じた。



 小さな男の子が、少し自分よりも背の高い少女によたよたと駆け寄っていく。転んだ拍子に手から抜け落ちたアイスを見て男の子は今にも泣きそうになっていた。


 それを見た少女は自分のアイスを手渡すと、身体についた砂を払い、少年の手を取って歩き始めた。少年は苦手な味のアイスを口に頬張りながら、涙目を堪えて笑顔をみせていた。


『これが幼いころの正樹さんと、茉莉香の記憶』


 ニイナは正樹の主観と、茉莉香の抜け落ちた記憶を相互に読み解きながらその補完を始めていた。主観と客観が入り混じる作業を丁寧に繰り返していく。


 気が付くと正樹は恵と学が言い争う声を聞いていた。その耳を塞ぐようにして抱きかかえる茉莉香の温かさを確かに感じ、恐怖と共にどこか安心感を覚えていた。両親が何で言い争っているかは分からなかったが、この時はそれが家族に亀裂を生む原因になるとは知らなかった。


 夏の時間は姉と共に過ごした日々の中でも記憶に残っているものが多かった。強い日差しと、夏草の匂い、飛び込んだ水の澄んだ冷たさや、子供達の笑い声がすぐに思い出せた。


 姉の後ろを付いて行き、小川を越えて、山道を歩く。途中で出会った一メートル以上はありそうな縞模様の蛇は当時の正樹にはこの世ならざる怪物にすら思えた。様々な出会いに驚きながら、姉と手を繋いで野山を駆けて行く。


 どれもが鮮明に、忘れえぬ焼き付いた記憶として正樹には残されていた。


『茉莉香はいつも正樹にとって良き姉として映っていた』


 正樹から見た茉莉香はいつも優しい、明るい姉として映っていた。自分のことを可愛がる姉を正樹は家族として好いていた。


 しかし、二人の別れは突然だった。


 小学二年生になった時、正樹と茉莉香は離れ離れになった。両親が唐突に離婚することになった時に、その理由を正樹は聞く事は無かった。ひょっとすると普通の家庭であることに恵と学が疲れていたのかもしれない。そうした中で、姉と自分が()()()としての役割を演じていたことを、今となっては愚かしく感じると共に、仕方の無かったことだとも感じていた。


 正樹は誰かを責めることはしなかった。けれど、姉弟が引き裂かれることになったことは正樹にとって忘れることの出来ない傷跡として強く記憶に刻まれている。


 気が付くと、いつも姉との別れを思い出している自分に気が付く。


 泣きわめいて、別れたくないという気持ちを表現してもどうにもならない状況だった。自分がただの子供であり、無力な存在であることを感じると共に、家族としての絆が断ち切られたことを実感せざるを得なかった。


「姉ちゃん、なんで行っちゃうの? 僕と一緒にいてよ!」


 茉莉香の手を握り、引き留めようと藻掻いていた。いつもと変わらぬ優しい、けれど寂しげな目を茉莉香は向けて、正樹を宥める様にしてその頭を撫でていた。それだけで、姉が自分の下にはもう留まることがないということを、正樹は理解出来てしまっていた。だから、どうしようもなく悲しくて涙が止まらない。そんな想いを茉莉香は理解してくれていた。


「ごめんね、正樹。私が一緒にいてあげないとお父さんが可哀想だから……本当にごめんね……」


 とめどなく流れる涙と、握られた手が離されたときの茉莉香の言葉を正樹は未だに覚えている。生まれた時には既に側にいて、自分と共に育った姉が見せた最期の優しさは、自分達を引き裂く原因となった両親に向けたものであったことを正樹は今も胸に抱いて生きている。


『これが愛情。でも、とても悲しい気持ち』


 ニイナは正樹の記憶を通して、幾つもの光景を目の当たりにしてきた。どれだけ正樹が茉莉香を慕っていたのか、その存在の喪失にどれだけ傷ついていたのか……幾つもの事実を受け止めながら、客観的な記憶の整合性を取り、茉莉香の記憶にある空白を埋めていく。


 それは果てしない作業であり、人の感情を直に受け止め続ける感情の濁流に身を落とすようなものだった。


 気が付けば、ニイナは自分の頬に涙が伝っていることに気づいていた。しかし決してニイナとしての自己を失うことは無かった。それが、ニイナの強さであり、記憶管理士として正樹の想いを茉莉香に伝える為に必要な役割であった。


『でも思わずにはいられません。この二人がまた本当の家族になれることを』


 ニイナは二人の記憶を垣間見ながら二人の行きつく先の幸福を願わずにはいられなかった。


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