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Hybrid Rainbow  作者: pepe
9章:消え残る灯火を抱きて行く者
23/26

9-1

 ペデルギウス、神に尋ねて曰く、

「なぜ、あなたはかように不便な存在であるのか」と。

 神、答えて曰く、

「知が勇を縛るゆえに」と。

 ――聖典『沈黙の書』第三節


 昨日まで喧騒に満ちていたサン・ロー砦だったが、その喧騒も嘘のように、静かな朝を迎えた。朝から晩まで、それこそ毎日繰り返されてきた攻防戦(プロセス)も、今はない。

 バルドレード軍は出撃の準備に余念がなく、対するソヴァース軍もその攻撃を待ち構えていた。両軍の総大将は、打ち合わせもなく合意に至っていた。狂乱の極みにあるべき戦場で、それは両者の技量が伯仲し、なおかつ性質がひどく似通っていたがために導かれた、儀式のような一幕だった。

 重い沈黙が、帳のように降りていた。

「葬式のようだな」

 篭手をはめながら、クリスが呟いた。鎧の止め具を気にしていたアルスが、その言葉に手を止める。負け戦ではないかという疑問は、いまさらのものでもない。クローディアも注意を払っていたが、その言動にどうやらそうらしいという確信を得るまで、そう多くの時は必要なかった。

「さて、だれを弔うつもりなのか」

 だが、アルスが手を止めたのは、そのためではなかった。クリスの呟きに、彼女の恣意的なものがまったく感じられなかったからだ。

 皮肉でも戦意でもなく、なんの意思も感じられない。ただ思いついた言葉を並べたような口調は、溌剌とした女騎士にふさわしくないものだった。

「クリス、だいじょうぶなのか?」

 黄金色の瞳がこちらを見た、ただ淡々と。それはひとつの無垢の形だったかもしれない。なんらの感情も含まず、それゆえになんの拘りもない。

 ぞっとした。が、それも一瞬のこと。金色の瞳がたちまち表情を取り戻していく。

「体調は悪くない」

「そっか。それならいいけど」

 止める気も、もうない。止めたところでどうなるわけでもない。砦に籠もっていても、危険なことに変わりはない。

「ちゃんと準備しておかないと」

 クローディアが緊張した空気をなだめるように割って入る。アルスが気にしていた鎧の留め具を、調節する。

「分かってるさ。それより、この戦が終わったら、どうしようか?」

 手袋をはめながら、赤毛の少年は穏やかにそう言った。クリスに訊くようでもあり、自分の思いを確かめるようでもあった。

 いろんな場所でいろんなものを見て、いろんなことをしたい。手袋をはめた手を何度か握って様子を確かめながら、そんなことを考えた。

 死地に赴くつもりはない。まだ十分に生きたつもりもない。だから死なない。それだけを心に念じて、アルスは恐怖を打ち払う。

 きっと生きて帰れる。クローディアとクリスと三人で、必ず帰る。

 今、心にあるのは、ただそれだけだった。



 朝もやが晴れると同時に、サン・ローに立てこもった全軍が撃って出た。文字通り、全軍。砦には一人として残らず、弓兵も前線戦力として狩り出された。

 開くことのなかった城門が開かれるや、壮絶な戦闘となった。

 門扉を挟んで配置された両軍の弓兵が、互いを切り崩すために矢を放った。それが終わらぬ内に、騎馬隊が友軍の弓兵を蹴散らす勢いで突撃する。歩兵隊がその後に続き、騎兵の広げた傷口を拡大させる。

 そこまでがアルスに認識できた展開だった。後は、圧倒的な急流に身をもまれるように、戦場の只中へ放り出されていた。

 白兵戦闘は酸鼻を極めた。クローディアが慌てて刀身を短くしなければならないほど、至近距離で敵味方が入り乱れる。無闇に長い武器は邪魔なだけでなく、味方を傷つける恐れすらあった。

 しかし、それだけに『トゥルース』は恐ろしいまでの威力を発揮した。彼我ともに体勢が整わぬ以上、アルスの技倆であっても敵に切りつけるだけなら問題はない。そして『トゥルース』の刃は、切りつければ鋼だろうと骨だろうと、易々と切り裂く。

 槍を持った兵士が、槍ごと胴を断ち割られて、どうと倒れる。切り裂くと同時に傷口を焼く高磁圧が、肉を焦がす異臭を放った。即死できなかった兵士は、凄まじい断末魔の声を上げ、アルスの身を竦ませた。

『立ち止まらないで!』

 咄嗟にクローディアが呼びかけなければ、クリスと離れてしまっていただろう。少年はしゃくりあげるような呼吸音を残して、走り出す。

 クローディアの中から、アルスを逃がさなければ、という考えは消えていた。どうするか、散々に迷い、そしてもうとっくに答を定めていたことに気付いた。

 アルスにとって、後悔のないように。それだけが答だった。

 その眼前には、栗毛の駿馬に跨った女騎士の後姿がある。純白のマントに彩られた、美しい騎影は、いまや血に彩られて凄絶だった。

 クリスの技は常以上に冴えていた。命を刈り取る冷酷な死神のように、淡々と槍を操る。馬上から敵味方の区分以外、何も持たず、立ち塞がる者を駆逐する。

 兵士などまるで相手にならない。騎士でさえ二合を超えて合わせる者とてなく、乱戦下であるにも関わらず、彼女の周囲には場違いな空白が生じていた。

 バルドレード軍全体が死力を尽くしていた。ここで勝利を得ねば生きる道もなし――背水の思いが、獰猛な手負いの獣のごとく、彼らを駆り立てていた。だが、クリスのそれはまったく質が違うように、クローディアには感じられた。

 刃を用いての近接戦闘にも関わらず、まったく泥臭さを感じさせない。狂戦士の強さではなく、どこか神がかり的な強さだった。そう言えば、そういう神話があったような気がした。だが、戦神の加護を得た英雄は、最後には悲劇的な討ち死にを果たす。

 そうはならないように祈らずにはいられない。だが、祈る以上のことは出来そうになかった。クリスが言ったように、クローディアにとって第一義はまずアルスの命なのだ。

「クローディア!」

 アルスが叫んだ。同時にアルスの思考をトレース。無数の触手に細分化した刀身が、押し寄せる数人を一気に斬り刻む。

 だが、その奥から新手が現れ、これではきりがない。寡兵であることは分かっていたが、数字の対比と実際に感じる戦力比はまったく重みが違った。

 事実、バルドレード軍は綻びかける戦列を気迫と勢いで維持しているに過ぎない。

 ベルナルドが言った「援軍」の姿は確認できず、とにかく全軍は先頭を走る『銀の双鷲』の軍旗を目指して走る。

 泥濘と化した地面は走りにくいが、倒れればそこで終わってしまうのだという事はアルスにも分かった。感じた、と言うべきか。ともかく、足を取られて転べば、敵どころか後続の味方に踏み潰されかねない。

 視界は瞬く間に汗と泥と血で曇った。聴覚は入り乱れる声と打ち合う金属音で飽和している。五感すべてが失われてしまいそうな恐怖に、歯を食いしばって耐えて、アルスは襲い来る敵を斬った。

 憎いわけじゃない。殺したいわけじゃない。ただ、殺さないとおれが死ぬんだ。手加減が出来るような全能者など、居るはずがない。どうしようもなく人を殺すしかない自分が、やけに哀しい存在だと思える。なまじ強すぎる力を与えられただけに、その思いは恐怖に近かった。

 いつか、クリスが語った。いかに敵味方に分かれようと、人を殺すことが罪であることに変わりはない――その意味が、クリスの苦悩が、ようやく分かる。

 人が人を殺す事は、とても悲しい事だった。

 視界が妙に歪んだ。

『アルス?』

 新たに視界を濁らせたものが涙だと、クローディアの声でようやく気付く。

「なんで、おれはっ……なんでっ、こんなに……」

 こんなに人を容易く殺せるのだろう。涙を振り払うように、駆け込んできた敵兵を睨みつけ、切り伏せる。

 『トゥルース』という魔器ロストを持っているという事が、その答ではなかった。その力を振るう事に躊躇しない自分が哀しかった。肉を裂く感触も、骨を砕く感触もない。ただナイフで柔らかいバターを切り分けるような手ごたえの向こうで、見知らぬだれかが死んでいる。

 明らかに過ぎたる力だった。いや、人の分を超えた力であるようにすら、アルスには思われた。魔器(ロスト)は、魔器ロストだった。人の理の及ばぬ力。

 だが、それは確かに人の生み出した力なのだ。それが分からぬではない。それでも、これは余りにも酷かった。同じ命を賭けているのに、賭けるべき対象のレートが明らかに違う。

 それが不平等だと言わずして、何だと言うのか。

 初めて人を殺した時は、ただ哀しかった。身を焦がすほど、悔しさと悲しさが混ざり合って、それは怒りに摩り替わった。今は哀しさばかりが深い。

 恨みはないのだ。なのに、斬らなければならない。殺さなければならない。

 何のために? 何のために命を奪い合う?

 主義か、主張か、信念か、それとも金のためか。金のためならば分かる。だれにとっても必要なものだ。そしてだれにとっても価値あるものだ。だが、主義や主張や信念に、他者を殺すほどの価値があるのか。

 君は、君の意に沿わぬ者をことごとく排除しうるということだ――魔器ロストを持つとは、そう言うことだと、ジラットは言った。そんな事はしたくないし、させたくない。それは矛盾する考え方だった。

「君に、魔器ロストが正しく使えるのかね?」

 おれには無理だ、先生。きっと、ひでえことをしちまう。きっと、その事に気付かない。気付かないフリさえしちまうだろう。

 絶叫がほとばしる。それは周囲の喧騒に紛れて、だれの耳にも届く事はなかった。だが、アルスは叫んだ。村で野盗に立ち向かった時のように、深い絶望とともに。

 そして、心の中で叫んだ。クローディア、クローディア、おれを止めてくれ。おれが間違っていると言うのなら、君だけがおれを止められるのだから。君を傷付けたくないけれど、どうしたって、もうそうするしかないみたいだから。

 脳裏に、カルカサの祠が浮かんだ。最奥部の部屋で佇む精霊の姿が。穏やかな笑みを浮かべて、ただひたすらに自分だけを見てくれる、深緑の瞳が。

『信じてるから』

 クローディアが強く囁いた。決して揺るがない声で、決して諦めない声で、ただ彼のためだけに外界へと身を投じた剣の乙女は、祈るように。

 それは止めはしないという宣言。突き放すようで、しかし相手を認めるための言葉だった。それこそが彼女を生み出したプロフェッサーの望みであり、

『これが――信じる事が、ヒト以外の存在が人になれる可能性として在る、わたしの存在価値(アイデンティティー)だから』

 彼女のたったひとつの希望だったから。

『信じられる人に、逢えたから……』

 そのクローディアの圧倒的な強さに、アルスは打たれた。

 何のために戦うのかなど、だれが知ろう。ただ、生きるために、生きていくために、いま持てるだけの全てを以って挑まなければ、活路など見出せるはずもない。

 だから、アルスは走った。

 このまま死ねるものかと思った。見ると決めたから、目をそらさないと誓ったから、だから、ここに居るのだと自分に言い聞かせ、震える足に力を込めて、前へと踏み出す。その向こうに何があるのかなど知らない。知らないからこそ、それを見るために前へと進んだ。

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