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Hybrid Rainbow  作者: pepe
9章:消え残る灯火を抱きて行く者
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24/26

9-2

 ベルナルドが乾坤一擲の賭けに出たとするなら、ヴリストもまた千載一遇の好機に賭けたと言うべきか。

 重囲を解けば、ベルナルドの逃走を許してしまう。それはサン・ローを陥とせない以上の痛手だ。むしろバルドレードこそベルナルドとも言える。討てばすべてに片が付く。

 ヴリストは間違いなく本陣への強襲を目論むだろうベルナルドに対して、防備を厚くしなかった。重囲を解かず、本陣を囮にしてもベルナルドの逃げ場を閉ざし、殲滅する。

 バルドレード軍とソヴァース軍の勝機は、完全に一点に絞られていた。すなわち、ヴリストの本陣がベルナルドの猛攻を凌げるか否か。

「来たな……」

 遠目に『銀の双鷲』が見える。随伴する幾つもの黒旗は親衛隊だろう。ソヴァース軍の軍旗は無残に倒れ、その下で何が起こっているかを明確に伝えていた。

 やはり、陣の重ねが薄い。そして、バルドレード軍は強かった。

「一撃を凌げ! 良いな!?」

 再三に亘って確認した事を、もう一度、徹底させる。乱戦となれば、足が止まる。まずはそれが狙いだ。際限のない消耗戦に引きずり込む。寡兵がいかに強かろうと、消耗戦では数が少ないほうに勝ち目はない。

 ソヴァース軍に参じた騎士たちが轡を並べる。その後ろで、長槍兵が長槍を並べた。

 轟々と風が鳴ったように思えたのは、両軍の鬨の声だった。一兵卒に至るまで、ここがこの戦の要点であることを実感している。特にここを食い破らねば後がないバルドレード軍の気迫は凄まじかった。

 ソヴァースの重装騎士たちが拍車をかけた。地響きが重層的に轟く。人馬は鋼の奔流となり、激流に等しいバルドレードの先鋒とぶつかり合う。

 波が打ち合って波頭が砕けるように、両軍の騎士たちが脱落する。だが、その後ろから、バルドレードの騎士たちは脱落した味方すら踏みしだき、前進する。錐のごとく、一点を食い破る。

 その様に、長槍兵たちが槍を構え直した。腰を入れ、足を踏ん張り、恐怖と戦意の入り混じる表情でそれを待ち受けた。馬防柵も、その激流の前では心許なく思えた。

 バルドレード軍は、その身を矢玉とするように馬防柵に突っ込み、それを後続が味方ごと押し込んで、無理やり突破した。深く地中に打ち込まれていたはずの、丸太で組んだ柵が、いとも簡単に打ち倒される。

 もはやなりふり構わず、ソヴァース軍は味方ごと敵に矢を射掛けた。それで脱落したのも少数。長槍で刺し貫かれながらも、なお前進を続ける。

「馬鹿な……我らは何と戦っているのだ?」

 呆然と本陣の将軍が呟いた。そして、いまさら気付いたように叫ぶ。

「閣下をお守りしろ!」

 豊富な予備兵力が、鉄壁と化して立ち塞がる。その様に、ベルナルドは吠えた。

「何ほどのものかっ!」

 岸壁に叩き付けられた波のように、バルドレードの先鋒が打ち砕かれる。が、その隙間をベルナルドと直属の親衛隊が埋めた。『銀の双鷲』は最前線にあって、なお燦然と輝いている。

 岸壁すら打ち砕き、持ち直した騎士たちが主君を守るように先頭へと返り咲く。同時にソヴァース軍でも、最前に打ち砕かれた兵力を再編して、再び壁と成した。

 ヴリストはあくまでも退かず、徐々に両軍の本陣の距離が縮まる。

 ここへ来て、ようやく絡め取ったという実感があった。同時に、陣を下げれば一挙に網が崩壊することも分かっている。退くに退けず、ヴリストは冷たい汗を握り締めた。

 いつの間にか、仕掛けた罠に自分がはまり込んでいるような錯覚を覚える。否、これこそがベルナルドとの戦だ。仕掛け、仕掛けられ、対応し、対応される。その正面決戦における高度な技術(アート)の応酬と心理戦において、最後に勝敗を決するものが何か。それをヴリストは十年で学んだ。

 勝つとは限らぬ。だが、負けるつもりは毛頭ない。牙を以って敵を噛み砕くのがベルナルドである。それはだれにも匹敵しえない力強さと、鋭さを備える。だが、その点でベルナルドに匹敵しえないとしても、ヴリストにはヴリストの戦い方があった。

 即ち、相手の勢いを受け流す、流水のごとき即応性がそれだ。

 最後の最後で確かめる。勝つのはベルナルドの精悍さか、それともヴリストのしなやかさか。

 戦場は時を経るごとに混沌として、だれが勝利者として勝ち残るのか、もはや戦場に居る何者も、予測することはできなかった。



 戦場は泥濘と化していた。もがけばもがくほど、その足掻きを嘲笑うかのように深く引きずり込む。だれがこの戦場を支配しうるというのか。

 それが混沌の要因となっていた。高度に入り乱れて返って無秩序な攻勢と防戦。だれもが己の為すべき所を知らない。ただ、与えられた命令に縋り、ひたすらにその行為を繰り返す。そうすれば間違いないのだと自分に言い聞かせ、不安から目をそらす。

 その人の意思によって形作られながら、もはや人の意思の介在を許す事のない状況を、多くの者が絶望的な目で見ていた。

 必然として、そうなったと言うべきか。ベルナルドの作り出した波は、岸壁を打ち砕きながらも渦を巻いていた。

 クリスは突出しすぎていた。常ならば決してしない行動だった。人ごみをすり抜けるように、戦列を掻い潜り、前へ前へと進む。それは土に水が浸透するような滑らかさだった。

 アルスがその後に続く。こちらはすり抜けるとは行かず、『トゥルース』の力で押し通る。土を掘り返し、染みていく水を探すように。

 意識がないのか? そう疑うが、それをすぐさまクローディアが否定した。

 何らかの意思の力を感じはする。だが、それが錯乱状態ではないとまでは、クローディアにも断言しかねた。ただ、鍛え上げられた力は、遺憾なくその身を守っている。

 そして全体を振り返り、クローディアは偶然が大きく戦場を揺り動かす瞬間を見た。

奇蹟(ウィッシュ)……?』

 クローディアの呟きは、騒乱の音に掻き消されてだれにも届かない。ただ、その意図したところは、だれもが同時に実感していた。

 クリスとアルスが呼び水となっていた。

 クリスが浸透し、アルスが打ち砕いた戦列に、後続が食い込んでいる。にわかにソヴァース陣営の気が乱れた。それだけで決死のバルドレード軍には十分だった。

 瞬く間に戦果が拡大した。こじ開けられた傷口を、容赦なくえぐった。傷は決定的なほど致命傷に近い。すでにバルドレードの先鋒はヴリスト公の本営を臨んでいた。

 必然の流れを変えるために必要な偶然。クリスはその呼び水だったのだ。あるいは意図したのかもしれない。ただ、その正誤を知るのはクリスだけで、それを気にしたのはクローディアだけだった。

 一気に形勢が傾く。怒涛のように雪崩れ込んだバルドレード軍に、ソヴァース軍は最後の防戦に立たされた。ヴリストに退避を求める将軍たちの声が、バルドレード軍先鋒にまで聞こえた。

 ヴリストは動かない。意地であるようにも見えたし、なにかを待っているようにも見えた。しかし、待っているのだとすれば、それは他ならぬヴリスト自身の死期であろうと、だれの目にも映った。

「行け! 打ち砕け!」

 ベルナルドが叫ぶ。先鋒に位置し、その周りを数こそ減じたものの、鉄壁のごとく親衛隊が固めている。これが最後の展開だと、だれもが信じた。ベルナルド自身を含めて。

「勝利は――」

 なんと続けるつもりだったのか。その言葉は、永遠に続けられることはなかった。

『アルス! ベルナルド伯が!』

 クローディアが悲痛な叫びをあげた。泥と汗で汚れた顔に、濃い疲労の色を浮かべて、アルスは振り返った。綻びを生じることのない親衛隊に囲まれ、大樹のように軍団の先鋒に位置し続けた鉄人を振り仰いだ。

「クローディア……」

 呆然と呟く。激流のように、激しく渦巻いていた戦場の空気がすっと遠のいて、恐ろしいほどの虚無が場を満たした。

 「勇猛公」の太い首に、短剣が深々と突き刺さっていた。その揺らぐ事とてないと思われた巨躯が、ゆっくりと傾ぐ。

 だれもが――敵軍の将兵すら含めて、だれもが信じられぬ思いで、銀の旗に彩られたバルドレード伯を見守っていた。

 熱い戦意に満たされていた心が急激に冷やされ、ひび割れる。

 不動のバルドレード伯としてその名を馳せた「勇猛公」ベルナルドが、落馬した。



 だれもが終わったと思った。

 バルドレード軍は戦意を支えるべき柱を失った。ソヴァース軍は重圧から解放されていた。

 ヴリストは兵を退くように将軍たちに命じる。もはや残敵を掃討する必要を認めなかったし、またその余力も失われていた。なによりも、雄敵とただ一人認めた男の死は、一時的にヴリストの戦意を失わせていた。

 偉大な男だった――その一言で、ヴリストはベルナルドを過去へと送った。

 虚無を塗り替えるように、ソヴァース軍が勝ち鬨をあげた。質量さえ伴って、その声はバルドレード軍を打ちのめした。

 傭兵たちはすぐさま逃げ始め、主を唐突に失った親衛隊と騎士たちは呆然と立ち尽くしている。

 その中で、

『偏光迷彩』

 クローディアの呟きを、アルスは聞き逃さなかった。覚えがあった。見えない衣を纏い、背後から襲ってきた男――

「アトリ……」

 姿が見えなくても、アルスにはそれがはっきりと分かった。

『落ち着いて、アルス』

 さすがにクローディアは彼の考えを正確に読んでいた。屈折した思いがある。敗北の屈辱、バドを死なせてしまったという思い、そしてベルナルドを殺した。屈折した思いは、ベルナルドの死で怒りへと姿を変えている。

 今にも仕掛けようとするアルスを、クローディアは制止した。

『今は逃げるべきよ。こんな所で死ぬために、クリスについて来たわけではないでしょう?』

「でも、あいつは……」

『時間は多くないわ。敵が戦力を立て直す前に、この場を離れないと。クリスだって、もう体力的に限界のはずよ』

 クリスを引き合いに出され、アルスは虚を突かれたように彼女の姿を探した。少し離れた場所に、馬上で空を仰ぐようにしているクリスを見つける。その身体には、もう何の力も残されてはいないように見えた。

 逃げてばかりだ。だが、だれかを守るために逃げるのなら、それも構うまい。アルスは目を閉じて、浅く息を吐き出した。

「分かった、クローディア」

 そう言った瞬間、ぞわりとした感覚が背中を走る。その理由を、アルスは直感的に悟った。それは、アトリと対峙した時と同じ寒気だった。

「見つかった?」

 その言葉に、クローディアが同意する。

 死体をついばむ鴉のように抜け目のない男に見つかった。一刻の猶予もなく、アルスは自分がしておくべきことを悟る。

 雑然とする人の間を抜けて、クリスのもとへと走る。もう、アルスには敵も味方も分からないし、どうでも良かった。ただ、敵と認めるのは、アトリただ一人だった。

「クリス!」

 呼びかけると、面頬を上げたクリスは夢を見るような瞳で彼を眺めた。常の覇気は、その影すら潜めて、弛緩しきった感さえあった。

「勝敗は決したな……」

 だれに言うともなく言って、クリスは微かに笑った。

「逃げるんだよ、クリス!」

「敗れたのだ、我々は。あの日と同じだ。何もかも無くなってしまう。まさか、な……」

 俯くクリスに、そんな表情はしてもらいたくはなかった。絶望したような表情だけは、浮かべて欲しくなかった。だから、頬をひっぱたくぐらいの勢いで、アルスは叫んだ。

「何も無くなっちゃいない! まだ生きてる。おれたちはまだ生きてるんだ! 生きてる! あんたはここから出発したんだろ? 何も無くしてなんかいない、そうじゃないのかよ!?」

 答えないクリスに歯がみして、その手に握られた槍を奪い取る。変わりに、『トゥルース』を押し付けた。

『アルス?』

「クリスを守ってくれ。帰るんだ、オロドヴァまで」

『あなたは……』

 どうするつもりなのか、とは聞かない。分かってしまう。それがどれだけ不幸な事か、それはだれにも分からないだろう。

『無謀だわ!』

「おれと一緒に居たら、クリスまで危ない。頼むよ。多分、これがおれのやり方なんだ」

 覚悟を決めた者の余裕が、アルスの心を満たした。精一杯の笑顔を浮かべ、ようやく故郷を語っていたゴズの気持ちを知った。泣いてはいけない時を知ってしまったから、笑うしかないのだ、と。それは優しさであり、強さであり、厳しさだった。

「信じてくれよ、クローディア。君が信じてくれたら、おれはきっと帰るから。どんな手を使っても、きっと帰るから……」

 そして、クリスを振り仰ぐ。

「信じていいのか、アルス?」

 クリスが少しだけ冷静さを取り戻した表情で、尋ねた。

「心配すんな。おれはあんたの弟子なんだ」

「そうか、そうだな」

 哀しげな微笑を浮かべて、うなずいた。

「信じるよ」

 そう言って、クリスは馬に拍車を当てた。

 クローディアは何も言えなかった。アルスの決意も分かっていたし、クリスの体の事も分かっていた。揺るがない少年の意思も、女騎士の体がもう余力を残していないことも、彼女にはどうする事もできない事だった。

『待ってるから……』

 それだけが許された言葉のように、クローディアはそう言った。そして、柄を取り落としそうになるクリスの手に、柄を巻きつけた。

 アルスを信じたのだ。その言葉を、祈るように自分に刻み付けて、クローディアは自分を抑え込んだ。

「情けないものだ……助けるつもりで、助けられるとは」

 力の入らない身体に、クリスが嘆く。

「本当に分かってはいなかったのだな、アルスの事を。どれほど成長し、何を身に着けてきたのか……どうして、残らなかった、クローディア?」

 クローディアの力があれば、アルスが単身で脱出することもできたはずなのだ。そうしなかった意図を、クリスは読み損ねた。

『信じたからです。アルスを信じたから。信じるって約束したから』

「そうか」

 クリスはうなずき、急速に遠のき始める意識を感じた。

「本当に、情けない……」

 呟き、馬上で突っ伏した。最も正確に認識できなかったのは、自分自身の身体だった。本来ならば、もう戦に出るほどの体力はなかったのだ。

 判断を誤り、アルスを危険にさらした。

 過ちは我が身で受けたい。だれかを犠牲にしたくはなかった。

 祈るような気持ちでそれだけを願い、クリスの意識は霧散した。

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