5-1
死の定めに捉われし時、聖グラウィー、語りて曰く、
「命数の限られたる故に虚無を恐る。我が生涯に何ぞ悔いのあるや」と。
立会いし者どもに涙せぬ者とてなし。
――聖典『黄金の書』第六節
雪がちらつき始める。地上の穢れを知らぬげに、純白の白い結晶は空から舞い降りてくる。まるで、その穢れを覆い隠そうとするかのように。
――冬は長くて辛いけどよ、雪が溶けると一面に白い花が咲くんだ。そりゃもう、また雪が積もったのかって思うぐらいさ
そんなゴズの言葉が思い起こされた。
バドは捕らえられて処刑されたという。首はさらされ、見せしめとされた。
これが末路なのだろうか。分不相応と、ジラットは言った。夢を見ることが悪いことなのか、アルスには分からない。その答を見つけるために、女騎士と旅に出た。
しかし、後ろ髪を引かれると言うのか、バドが死んだという噂を聞いてから、アルスは感傷的だった。
蹄の音を聞きながら、長い街道を歩いた。
女騎士の名はクリスティーヌ・オライオン。十年も前に滅んだ名家の末娘だという。
「女は捨てた。クリスと呼んでくれ」
彼女はそう言った。事実、その黄金の髪は肩口までで切り揃えられ、まるで修道女のようだった。長い髪も女性の美しさとして認識される時代である。
「悩むのもよいが、悩みすぎるのは身体に毒だぞ」
しんみりと後に続くアルスに、クリスが忠告する。振り返った黄金の瞳は、心配していると言うよりも、怒っているようにも見えた。
アルスの返答はいつも通りの上の空で、快活な少年の姿も影を潜めていた。
「おれがいたら、バドは助かったのかな?」
「そうやもしれんな。だが、それでどうするつもりだ? 彼奴に手を貸すのか?」
「死んじまったら、説得もできやしねえ」
「ジラット様も説得を諦めた相手に、そなたが何を説得できる? そもそも、もう事は終わった。彼奴は死に、そなたは私と旅に出た。それが全てだ」
クリスの言葉は冷たい。だが、その通りでもあった。いったい、バドに対して何ができただろうか。でも、と思う。諦めてしまえば、すべて終わってしまう。そんな気がした。
「昔、父上がご健在の折、私に向かってこう仰られたことがある……」
その少年の様子を見かねたのか、クリスはそう言った。
「人の道とは、日々間断なき決断の連続である――とな。こうして、一人で地に立って、ようやくその厳しさが分かった。だれかに守られていては、決して悟ることのない厳しさだ」
「どういう……?」
興味を示したらしいアルスに、クリスはわざと肩すかしをくらわせるように、昔話をする。
「私の父は一角の騎士であられた。だが、病には勝てなんだ。父上が倒れられ、兄上が跡目を継いだが、兄上は父上の代行としてはまだ不足であられたのだろうな。オライオン家は家門も領地も、すべてを失った。一族郎党、すべからく殺された」
悲劇に対しても、クリスの瞳は揺らぐ事はなかった。ただ淡々と事実を述べるように、語り続ける。
「兄上は自らに課された決断の厳しさに耐えられなかったのだ。分かるか、アルス? 人の上に立つ――いや、人よりも強い力を持つということは、人を支配しうるということだ。だが、支配した者が誤れば、その下に付いた者をも、その誤った決断に巻き込んでしまう」
その言葉には優しさはない。ただ、その厳しさは彼女がアルスを対等に扱うゆえの厳しさだと、クローディアは看取していた。
下に置き続けるつもりならば、その厳しさは必要ない。害にならぬ範囲で甘えさせておけばいいのだ。だが、クリスはそうはしなかった。
「自分の命だけならば、判断も楽にはなるが、我々にはそんな楽な決断は許されていない。手にした力のためにな」
背負ったクローディアが、また重く感じられた。武器とは、人の命を奪うばかりのものではなかった。他人を支配するためのものでもあるのだ。
クリスは少し眼を細め、再び前を向いた。
「もうじき、本格的に冬が始まるな。それまでに一冬の宿を探さねばならん」
「どういうことだ?」
尋ねるアルスに、クリスは説明してやった。
冬には戦がない。雪深い地方ともなれば、なおさらだ。そのため、傭兵は仕事がなくなる。そのため、それまでに稼いだ資金で一冬はどこかに腰を据えるのが普通だ。
「戦はだいたい春の終わりから秋口まで。暖かい地方ともなると冬に行うところもあるが、普通はそのぐらいだ。春先と秋は耕作に忙しい農民を徴用できぬからな。冬は寒さで兵を損なう恐れがある。そこまでの無謀を行う余裕はないからな」
「余裕、か……」
ジラットの言葉が思い出される。余裕がなければ、戦などしない――では、余裕があれば戦をするのか。
「余裕があれば、蓄えればよい。それでより豊かな生活が送れるはずなのだが、蓄えが多ければだれかに狙われる。それならば、余裕を戦費に回して他から略奪すればよい。その悪循環が世を乱世に変えている。だれも平和的手段での解決に見向きもせん。いや、その輪がどこから始まったのか、だれも知ろうともしない。それでは解法など知るはずもない」
ジラットと同じようなことを、クリスは言った。
「でもさ、戦がないと困るんじゃないのか、クリスとかは」
彼女もまた、傭兵として身を立てている。彼女にとって家系は、あくまでも利用する対象であって、依存する対象ではなかった。十年も戦場を往来しているという。
「なければなかったで良い。生き方など幾らでもあるのだ。いかに敵味方に分かれようと、人を殺すことが罪であることに変わりはない。考えようによれば、それから救われるのだからな」
「じゃあ、戦がなかったら、どうやって生きるんだ?」
「うむ。そうだな……学業に就くのも良いかと思っておる。聖都でなくとも、どこぞの大学でも良い。知らぬことを知るということは、代えがたい喜びだ」
「知りたくないこともあるけどな」
「知りたくないことから眼を背け続けては、なにもできん。まずは見ることだ。嬉しいこと、哀しいこと、辛いこと、楽しいこと――何も知らぬでは、乳飲み子と変わらぬ」
さて、とクリスは話を区切り、一冬を過ごす場所についての検討に話を移す。
「少し大きめの街が良い。一通り、不自由を感じずに過ごせるぐらいの規模は欲しい。が、大きすぎるとそなたが心配だ」
「どういう意味だよ」
「片田舎の流民に手加減してくれるほど、甘くはないということだ。都会では人情などないと思った方がよいからな」
クリスの言葉に、少年はそんなものか、という感想しか抱かなかった。結局、財力は彼女に依存するしかないのだ。どうこう言える立場でもなかった。
クリスがその知識から導き出した、冬越えの拠点はスプトリという町だった。一応ながら城壁に囲まれた町で、派手な大きさこそないが、悪くない町だと彼女は説明した。
変な名前の町だと、その語感を気にしたアルスに対して、クリスは名前の由来となった民間伝承などを話してみせた。
数日の旅を続け、町に到着すると、クリスは即座に旅籠を選んだ。以前にも滞在したことのあるらしい旅籠の主人は、彼女の事を覚えていた。もっともそう忘れられるものでもないだろう。偉そうな口調で話す、単身の女傭兵のことなど。
「ぼうずもエラい人の子分になっちまったなあ」
と、慨嘆してみせた旅籠のイグナーツ親父は、湯浴みを覗こうとして強盗と間違えられ、半殺しの体にされたらしい。
「あの時分は若かったのだ」
事も無げにしれっと答えたクリスに対し、アルスは覗きだけはやめておこうと心に誓った。
それからは冬越しの支度に追われた。まず交易量が少なくなる冬季には手に入りにくくなるものを手配し、時にはアルスを隣町まで走らせたりもする。それらは主に武具に関するものが多かった。中には馬の滋養剤などもある。それらを指示する際にも、クリスは決して説明を怠ったりはしなかった。どう使うのか、ないとどうなるのか、そうした事をいちいちアルスに教えた。
「ずいぶん、親切にするのですね」
二人だけの部屋で、クローディアは姿を変えて、クリスと相対しながら、そう言った。皮肉、というほどでもないのだが、どこか相手を窺うような調子があった。
信用の置ける相手であることは分かる。彼女の前では姿を隠す必要もなかった。クリスは極度に表裏が少ないのだ。子供っぽいとも思えるほど、含むところがない。
「従卒の教育は、こんなものだ」
平服に着替え、羊皮紙のリストをチェックしながら、クリスは答える。
平服も男装だが、無理のない凛々しさが、その姿に威厳を与えていた。識字率の低さから考えても、リストを作る彼女が貴族出身だという話はほぼ事実なのだろう。
「自分の行動がどういう成果をもたらすのか、それが分からねば、人は真剣に行動しない。また、自立的に判断もしない。それでは一人では何もできん」
茶飲み話でもするように、軽く答え、つとリストから視線を外した。その金色の瞳が、クローディアを見据え、
「それにしても、そなたは随分と変わっているな」
唐突にそう言った。
どういうことか、と表情で問うクローディアに、クリスは妙な顔をした。
「気付いておらんのか?」
「それはわたしの人格について、ですか?」
呆れたようなクリスに、そういう言い方をしてしまうクローディアは、コミュニケーションというものに本質的には慣れていなかった。
「ふむ」
リストを簡素な書台に放り出して、クリスは困ったような表情を作った。
「普通、魔器は感情など持ち合わせておらぬ。さらに言えば、そなたのように人の姿を取ることもない。まして、主の身を案じるなど、聞いたこともない。私の見た魔器とは、我が槍も含めて、どれもただ高性能な道具でしかない」
壁に立てかけていた彼女の槍を指差して、クリスは言った。彼女の槍も魔器だが、クローディアの見たところ、それは現在では精錬不可能な材質で作られた頑健さと、その強度を利した極限まで薄い刃で切れ味を保障しているだけに過ぎない。どういう過程で作られた品かは知らないが、強磁界シールドによって射撃戦が無効化された後に制作されたものと推測された。『トゥルース』に比べれば、およそ原始的な武器だと言えた。
否、クローディアの知る限り、『トゥルース』に優る白兵戦兵器などない。
沈黙したクローディアに、クリスはますます眉根を寄せた。
「そなた、本当に使う者を必要としておるのか?」
「どういうことですか?」
「自ら考え、動く。そなたは人間と変わらぬ。むしろ、脆弱な使い手は不必要などころか、邪魔ではないのか?」
クリスの問いに、クローディアは眼を伏せた。彼女の基底部分に構築された禁則事項に触れても、クリスは理解できないだろう。加えて、それが答でもない。
「確かに、もう使い手は必要ないかもしれません」
時間を掛けて、ゆっくりとクローディアは答えた。深緑の瞳が、わずかに震えている。
「そう言われたこともあります。封印処置は、暴走を危惧したのだとも聞きました。でも、わたしは一人ではどこへも行けない……そう思います。わたしには何も必要ないから。富も名声も、生きるための糧も必要ありません。人と居るのは好きだけど、人が死ぬのは悲しいことだから――兵器は人を殺す道具だから、わたしは人の居る場所に居ない方がいいんです」
それでも外へと踏み出したのは、アルスがいたから。彼を守るために――それだけでよかった。なにもいらない。ただひとつ、兵器としてではなく、クローディアとして必要としてくれるだれかが欲しかった。
「きっと、わたしのしている事は間違いだと思います。でも、アルスが必要としてくれたから、私はここに居るんです。後悔はしていません」
「間違いなど、だれが知る?」
クリスは静かにそう言った。
「現実など、すべて正誤に分けられるはずもない。どうやっても、だれかが泣くのだ。そなたはそれで構わぬと、私は思う。良い覚悟だ、とも――どうやら、アルスが戻って来たようだな」
騒々しい音が階下から聞こえる。クリスは話を打ち切ると、立てかけていた槍を手にした。その質感を確かめ、手に馴染ませるように握ったりしながら、クローディアを振り返った。
「アルスにも少し武芸を仕込まねばならん。来るといい」
そう言って部屋を後にした。クローディアは慌てて、彼女を追った。




