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ジラットは定められた集合場所で待っていた。だが、護衛している留守番役の傭兵たちの姿は見受けられず、一人だけ、立派な鎧を着て、栗毛の馬を連れた騎士が傍に寄り添っている。アルスにもクローディアにも、覚えのない人物だった。
アルスは心身ともに疲労困憊していたが、それでも倒れることもできなかった。どうしても、訊きたいことがあった。
バドの疑念が的を得たものなのかどうか。そして、どうしてこんな事を仕組んだのか。なにもかもが混沌としていて、アルスは混乱していた。ジラットなら、それに答を出してくれるのではないかとさえ思う。
「先生……」
「やはり帰って来たね、アルス」
いつもと変わらぬ、おだやかな、のんびりとした声でジラットが迎えた。
「君は帰って来ると思っていたよ。他には、逃げて来た者はいるかね?」
アルスは頭を振った。どうにも口が重い。開けば、嗚咽が漏れそうだった。変わりないジラットの様子に心底ほっとして、それと同時にやるせないものがあった。
もういっそのこと、アルスを殺すぐらいの気迫で迎えるか、あるいは逃げていてくれたのなら、どれほど楽だったろう。そうすればジラットを悪者だと決め付けることができたのに。そうなら、もっと楽だったのに。
「みんなは?」
真相を尋ねることから逃げるように、そう尋ねた。
「残っていた者は逃げたよ。彼らには資金を分配した。しばらく生活に困ることもないだろう。帰って来た者にも、そうするつもりだよ」
ジラットは揺らがない。後ろめたい表情を浮かべることもなかった。ジラットはどこまでもアルスの知るジラットで、それ以外の何者でもなかった。
「どうして……」
喉が潰れたのかと錯覚するほど、その言葉を吐き出すのが痛かった。バドの顔が、ゴズの顔が、知り合ったいろんな顔が脳裏に浮かんでは消えた。それが、アルスの背中を押した。言うんだ、訊くんだ、声を出せ!
「どうして、こんなことをした、ジラット!?」
胸が張り裂けそうな息苦しさを、一瞬だけ怒りが忘れさせた。その開いた隙間を、さらに怒りが満たした。少しだけ気分が楽になる。アルスは思いを吐き出した。
「みんな、死ぬ! みんなだけじゃない。関係ない人も、たくさん死んだ! こんなことして、いったい、何になるんだよ? おれはなんのために……」
そう、なんのためにここに居るのだろう。バドを死地へ追いやり、おめおめと生き延び、そしてなぜここに居るのだろうか。
それを考えると、後には何もなかった。
怒りがすっと引いた。後に残ったのは、どうしようもないわだかまる気持ちだった。悲しみと呼ぶべきか、やるせなさと呼ぶべきか、アルスにはもう自分の気持ちさえ分からない。
その様子をじっと見詰め、そしてジラットはそっと少年の両肩に手を置いた。
「アルス、聞いて欲しい」
ジラットはそう言った。聞きたかったし、聞きたくなかった。どうすることもできず、アルスは黙って視線を落とした。
「君にだけは聞いて欲しい。私がこんなことをした理由をね」
優しい声だった。だが、アルスにはジラットの顔を見ることができなかった。その勇気がなかった。
「もうこうするしかなかったんだ。バドは君の力を手に入れたことで分不相応な望みを抱いてしまった。けれども、それは君の望むことではないだろう。そして、叶いもしない望みだ」
あんたにそれが決められるのか、と思い、しかし何も言えなかった。バドを見捨てて来たのは、他ならぬ自分だった。
「このままだと、君は望みもしない――嫌ってさえいた行為に手を染める事になっただろう。それに耐えられるかどうか、私には分からない。しかし、私は君にそれを為して欲しくない。そして、そうなってしまえば、君が離反する時が、バドが斃れる時だ」
ジラットはなにもかも見抜いているようだった。バドの考えも、アルスの恐怖するところも。
「その時になってからでは遅いのだよ。なにより、君にはここで終わって欲しくないんだ。これは私のわがままかもしれないし、君には迷惑なだけかもしれないけれど、これだけは分かって欲しい――君は私にとって、とてもよい生徒だったということだけは」
そうして、ジラットは傍らの騎士に呼びかけた。
「クリスティーヌ卿、彼を頼むよ」
その言葉に、アルスは顔を上げた。騎士の顔を見れば、それは女の顔だった。真っ直ぐな瞳は、夜目にもはっきりと分かるほどの黄金色だった。フードを被っていたので、今まで気付きもしなかった。そのフードから一房こぼれた髪も、鮮やかな金色だった。
「心得ております」
ハスキーな声がジラットの言葉に力強く答えた。それを見て、アルスはジラットの顔に視線を移した。そのアルスに答えるように、ジラットは優しくうなずいた。
「君はこれから彼女と旅をするんだ。彼女なら、きっと君をよく導いてくれるだろう。これが、私が君の師として出来る、最良の選択だと思っている」
「おれの……せいなのか?」
そう結論するしかなかった。バドの過ちも、ジラットの決断も、すべてがそこに起因するとしか思えなかった。幾ら鈍くても、頭が悪くても、ここまでくればそれぐらいは察することができた。
「おれのせいで、みんな、死んでいくのか?」
「そうじゃない。それぞれが死ぬとすれば、それはそれぞれの責任だ。間違っても君の責任ではないよ。バドはバドの欲望のために道を誤ったように、みんな自分のために誤る。実際、バドについて行かなかった君だけが帰って来た」
「でも、おれが居なけりゃ、バドはあんなこと考えなかった。おれがここに逃げて来なけりゃ、なんとか……助けられた仲間がいたかもしれない」
「アルス、いいかい? 君が逃げた事を後悔しているのなら、それでも構わない。ただ、少なくとも君は君の考えで、ここに戻って来たのではないのかね?」
「でも……」
「自分で決めた事なら、貫き通したまえ。まだ振り返るには早いよ。今、ここで決めた事が間違いだったのかどうか、これからを体験して決めるんだ」
「これから?」
「そう。これから、だ。ここでバドと離れることを選んだのなら、その上で何が出来るのかを試したまえ。命とは可能性だよ。人ひとりとは、この世界の中では小さな存在でしかない。その無力感に苛まれる時もあるだろう。けれど、それが答などではないはずだ。君はまだ何が出来て、何になれるのか――その可能性を示していない」
「私と共に来い、少年」
ハスキーボイスが、そう言った。女騎士の言葉は、甘い声ではない。厳しい声音だった。だが、その中に本当の心遣いが見えた気がした。
「そなたに何が出来るのか、それを見せてくれ」
アルスは黄金の瞳を見据え、そしてジラットを見た。少し自信がなさそうな表情こそ、少年が何かを決断した時の表情だと、ジラットは知っていた。
「先生の話、よく分かんねえけど……分かりたいとは思う。今はまだ分からねえけど、いつか分かると思う……気がする。だから、今は行くよ。自分で決めて、歩き出しちまったから、もう戻れないから――そうする」
ジラットは優しくうなずいた。そして、アルスに革袋を渡す。ずしりとした重みのある、その袋は、ジラットが計上したアルスの取り分だった。
「本当なら、もっと良い道を用意してあげたかったのだがね。私に出来るのは、これぐらいのものだ」
「先生は、どうするつもりなんだ?」
「私かね?」
ジラットは意表を突かれたような顔をしてみせたが、その返答に淀みはなかった。
「バドが戻って来たのなら、責任を取ろう。もし、そうならなければ、逃げた場所に戻るつもりだよ」
「逃げた?」
「そう。これでも聖都で教えを受けた身でね。君の嫌いな聖職者だったのだよ。教会の腐敗に耐えられず、逃げ出してしまったがね。もう一度、やり直すつもりだ。今度は逃げずに、戦うためにね」
君に偉そうな事は言えないね、と笑い、急に真面目な表情に戻ると、指で聖印を切った。
「逃げ出した私の祝福が役に立つかどうかは知らないが、どうか、君の行く道に神の祝福があるように祈らせて欲しい。……さあ、行きたまえ」
この人も同じなのだ。それを見て、クローディアはそう思った。人のために傷付く事を恐れない、勇敢で、そして不器用な人。彼女の父がそうであったように。
いつかアルスも、この人に逢えた事を感謝する時が来るのだろうと彼女は思った。その不器用な温もりに、どうしようもない喜びを覚えることも。
「ごめんよ、先生……」
それだけ言って、背を向ける。
もっとジラットの言葉を理解できたのなら、と思う。それはどうしようもない事で、アルス自身のせいではなかった。それと同じぐらいに、どうしようもなくて、彼のせいではない事――つまり、本当に子供で、どうすることもできない無力な存在だという事が、アルスには辛くてしかたなかった。同時に哀しいことだと思う。
いつか、こんな思いをしなくてすむようになるのだろうか。
それが「願い」なのだと、アルスはそう感じた。




