第5話 アルトとの生活
おかみさんが用意してくれたアルトの服は、ところどころつぎはぎだったり、無理やりパッチがあてられていたりしたけど、じょうぶであたたかそうだった。あたしと似たようなジャケットと、デニムのズボン。厚手の手袋と、靴底に鉄板の入ったブーツ。砂ぼこりをよけるためのゴーグルやマスクまでくれた。
あたしは困っていた。たぶん、お金が足りない。
アルトには申し訳ないけど、あたしはもっと粗末なものを想像していた。こんな立派なものをもらっても、ほとんどたくわえが無くて、このあいだ星のカケラを捨ててきてしまったあたしには、払えるだけのお金がなかった。なにか仕事をして、お金をつくってこなかったあたしの失敗だ。アルトは当然無一文。どうしよう。
あたしは素直に、おかみさんにお金がないことを話した。おかみさんはきょとんとした顔をしたあとガハハと豪快に笑って、「水臭いこと言うんじゃないよ!」と言いながらあたしとアルトの背中をばんばんと叩いた。
おかみさんはあたしたちに栄養食のバーまでおごってくれた。最近は食品工場の調子が悪くて、栄養食は貴重なはずなのに。でもまたごめんなさいを繰り返すのも失礼だと思ったから、ぎこちなく笑いながら受け取った。
帰りの道中。しっかりとした足取りのアルトを、元気のない足取りのあたしがついていく。
――あたしは心配になって、正直に話した。
「アルト、あのね、聞いてもいい?」
「はい、どうかしましたか?」
アルトが足を止めて、あたしを振り返った。
「……あたし、きみが、無理してるんじゃないかって、心配なの」
「それは……ええと。正直、全くしていないわけではありませんが……なぜです?」
「だって、普通、もっと落ち込むんじゃないか、ううん、立ち直れなくなっちゃうんじゃないかなあって。だってきみは、千年前の地球を知っていて、この赤い地球に放り出されたばっかりなんだよ。なのに、なんでそんな強く元気でいられるの?」
「強いわけじゃない、です」
アルトの顔は、たしかに今も悲しみにくれていた。くちびるにはいくつもかみしめた跡があって、血豆になっていたし、髪もかきむしっていたことがわかるくらいぼさぼさだ。でもその瞳には力のある光があって、生きよう、生き続けようっていう彼の強い意志があらわれているようにみえた。
「でも、へこたれていたら、ノアと、みなさんと……なにより、ステラさんに申し訳ありませんから」
「で、でも、無理はよくないと思うんだ。アルト、きみは今、ショックで妙にハイになっちゃってるだけなのかもしれないよ? もうすこしのんびりしたペースでもいいし、なんならしばらく休んでもいいと思うんだけど。きっとノアちゃんだったらそう言うと思う」
「ありがとうございます。でも、ボクはできるうちにできることをやりたいです。生きて、生き続けていたいです。ノアのために、ステラさんのために」
「そこでなんであたしが出てくるの? ノアちゃんはわかるよ? 千年間、アルトを守ってくれたんだもの。でもあたしがしたことは、あなたを赤い地球に連れてきちゃったことだけ。ほかのことは、みんな村の人がしてくれたし。……あたし、何の役にも立ってないじゃん」
「そんな風に言わないでください」
アルトが厳しい口調になった。
「あのままノアのいなくなった『スフィア』から放り出されていたら、ボクは何もわからず、おろおろして干からびてしまっていたはずです。でも、ステラさんがいてくれたから、ボクはいまこうして生きています。ステラさんが自分に厳しい人なのはわかりました。でも、ステラさんが自身のことを悪くいうのは正直、嫌なんです。やめてほしいです」
「あたしは……」
なんて言っていいかわからなかった。たしかにアルトのいうとおりかもしれないけれど、それでも……。
「ステラさんは、ボクにとって命の恩人なんです。どうかそれだけは、否定しないでください」
「わかった」わかってない声であたしは言った。
だって、あたしは困ってる人を助けただけ。人間の命がかかっていることだからがんばっただけ。そんなの、だれでも当たり前にやることでしょう?
「……ごめんなさい。少し言いすぎました。ステラさん、もしよければ、村の中のことや、暮らしのルールを教えてくれませんか?」
「うん、いいよ。じゃあ、まず村の中を案内するから、ついてきて。その時、村の人たちにもアルトのことを紹介するね」
「はい!」
あたしとアルトは鉄板の上をゴツゴツと歩き出した。
***
アルトが村に来て、二週間くらいが過ぎた。
村の人はみんな、アルトを歓迎してくれて、いろんなことをアルトに教えてくれた。アルトは頭が良くてカッコいいし、親しみやすい感じの男の子だから、すぐにみんなと仲良くなれた。いまだに人とのやりとりが苦手なあたしとはまったくの正反対だ。
でも、アルトが宇宙からやってきた星の王子さまだってことは言わなかった。代わりに、行き倒れていたところを連れてきた、そのせいで記憶喪失気味になってる、ってことにしておいた。浜辺にあるでかい玉から出てきた千年前の人間です、なんて言っても、まず間違いなく信じてもらえないだろうし。
これにはアルトも同意してくれて、みんなもこのもっともらしい話に納得してくれた。
ここの村は、人数は百人ちょっとくらいだけど、施設はわりと充実してる。
昔の映像や記録を拾い集めて保管してる記録室。
飲める水がつくれる大型の浄水器。
昔の機械を掘り起こして使えるようにした、食料の生産工場もある。
修理とかが手伝えるように、前に仕組みを学ぼうとがんばって勉強したんだけど、あたしのあたまじゃどうしてもわからなかった。わかったのは、食べ物を粗末にしてはいけないことだけだった。
畑はちいさいのがいくつかある。でも、作物がうまく実らないことのほうが多いし、実ったとしてもそれはとても貴重だから、子どもたちに優先的に食べさせたり、保存しておいて誰かの誕生日とか記念日に食べたりしてる。
電気はほとんど使えない。さいわいうちの村には、昔の地球にあったソーラーパネルっていう太陽の光で電気がつくれる機械がいくつかある。でもその電気は診療所とか無線塔とか、村で一番たいせつなところでつかうから、ふつうの家にはいきわたらない。
だから、夜はろうそくや、やむをえないときは星のカケラの光を使って過ごす。ひとつまみで熱と光を同時に出してくれる星のカケラは、こういうとき本当に便利だ。
あたしはヤボ用で宿屋に来ていた。アルトはこの宿屋の一室を借りて生活している。おかみさんが、ふたりで一つ屋根の下のほうがいいんじゃないのってからかってくるから、ちょっとやりにくい。早く帰りたかった。
そりゃあもちろん、恋人どうしみたいに思われるのは、その、まんざらでもなかったけど。
実際、生活をともにするうちに、アルトのことが気になり始めているのは事実だ。
アルトは頭がよくて優しくてかっこいいし。アルトと過ごす時間は楽しいし、向こうも楽しそうにしてくれるし。――アルトといると、なんか幸せだし。
――ずっと、一緒にいられたらいいな、って思うし。
この気持ちは、たぶん、というかきっと、『好き』ってことだと思う。
でもアルトはなんでもどんどん覚えていろいろできるようになって、今じゃ村のヒーローみたいになってる男の子。一方、あたしはどんくさくて、もの覚えの悪い、石拾いしかできない役立たず。アルトには、あたしなんかじゃつり合わないよ。
うつむいてため息をついたあたしにおかみさんが、アルトにおやすみを言ってから帰りなよ、と提案してきた。
確かに、あたしは仕事以外のアルトの暮らしぶりをあんまり知らない。あたしは星のカケラ探しにいったり、アルトは村の仕事を手伝ったりして、ずっと一緒にいるわけじゃないから。
言われるがままにしたあたしに、おかみさんは「がんばってね」とニヤニヤしながら言ってきた。なんのこっちゃ?
部屋番号を教えてもらって、階段を上がる。2階の端っこの部屋。あたしは部屋のドアをこんこん、とノックした。
「はーい、いまいきまーす」アルトの優しい声が聞こえた。
ん? あれ? これってよく考えたらマズくないか?
ドアを開けてくれたアルトが、少し驚いたように目を丸くした。アルトはいつも来ている分厚いジャケットを脱いで、シャツ一枚でいたから、その姿は新鮮だった。
「あれ、ステラさん? こんばんは。珍しいですね」
だってこれってさあ。
「こ、こんばんは。ちょっと、寄ってみようかなあって、思っただけ。じゃまだったかな?」
アルトは男の子で、あたしはまがりなりにも女の子でさあ。
「そんなことないですよ。どうぞ、入ってください」
招き入れられたら断れないから、入るんだけどさあ。
「お、おじゃまします」
「すみません、椅子がひとつしかないので、ベッドに腰かけていてください。いま、お茶を入れますね」
夜に男の子の部屋を女の子がひとりで訪ねて、ベッドに座らせてもらったらさあ。
――あとはその、ああなってこうなってそうなっちゃうんじゃないかなあ!?
おかみさんの「がんばってね」の意味が分かった瞬間、自分の顔がすごい熱っぽくなるのがわかった。え、えーと、これはあれだときどき大流行するいきなり熱が上がるタイプの風邪じゃないかなきっとたぶんまちがいなくそうだあたしがアルトの部屋で夜にふたりきりでしかもあたしは男の子のベッドに座っているというシチュエーションにきづいてしまったからではだんじてない。ないよ?
あたまの中がヘンテコな空想で満たされて体がどんどん熱くほてってきて、あたしは思わずジャケットを脱いだ。顔がまっかっかになってるだろうあたしを気にせず、アルトがお茶のカップをくれた。
「どうぞ」「あ、ありがとう」あたしは震える手でカップを受け取った。
アルトは椅子をあたしの前まで引っ張ってきて、あたしの真正面に座った。
お茶をゆっくり飲んでいると、だんだん心のしっちゃかめっちゃかと体のほてりがおさまってきた。
ふたりでなんの変哲もなくお茶を飲み、なんの変哲もなく時間を過ごす。
「こうしてふたりきりで過ごすの、なんだかひさしぶりな気がしますね」
「そ、そうだね……なんだかひさしぶりだね」
いまのあたしには、言葉をそのまま返すのがせいいっぱいだった。
それから、しばらく、あたしたちはしゃべらなかった。
沈黙が苦にならない、不思議で、おだやかな時間。
静かだ。今夜は風もおとなしくしているし、いろんな機械も夜は動かさないから。
この部屋にあるのは、あたしとアルトがお茶を飲む音と、ランタンの中のろうそくがゆれるひかり。
それと、あたしとアルトの吐息の音だけだった。あたしとアルトの、ふたりだけの空間。
アルトを見つめる。『スフィア』を出て村で生活するようになってから、少し日焼けした肌。力仕事でたくましくなった腕と肩。整った顔立ち。青い宝石のような、きらきらした瞳。長いまつげ。血豆が治ってきれいになった、やわらかそうな唇。
かっこよくてどこかかわいい――星の王子さま。
「……どうかしましたか?」
アルトがほほえんで言う。あたしは「なんでもないよ」と言おうとして、
「……好き」
「えっ?」
――あたし今なんて言った!?
あたしは自分の顔がドロドロと溶け出しているんじゃないかってくらいに熱を感じて、あわててアルトにカップを返した。
「ご、ごめん! なんでもないから! 忘れて! あたし帰るね! ご、ごちそうさま!」
勢いよく立ち上がって部屋を出ようとする。運動オンチなあたしがそんなことするから、あたしは自分の足に自分の足をひっかけるという、なんともお間抜けなことをして転びそうになった。
「危ない!」アルトの腕が伸びてきて、あたしのからだの下に入って、あたしのからだが持ち上げられて、あたしのからだがベッドに落ちて。
――あたしの上にアルトが覆いかぶさっていた。
アルトの顔が、瞳の中が見えそうなくらい、唇が触れそうなくらい、ちかくにある。
アルトからつたわってくる。心臓の鼓動が、肌の感触が、あたたかさが。
アルトにも、あたしから同じものがつたわっているはず。
そのまま、しばらくお互いに動けなかった。動きたくなかった。あたしも、たぶんアルトも。
心地よくて、あたしはずっとアルトを、もっとアルトを感じていたかった。
アルトが無言でからだを起こす。アルトの頬が赤くなっていた。
視線が交わった。
あたしの手がアルトの頬に伸びる。アルトの手があたしの頬に伸びる。
アルトの唇が開く。
「ボクも……」
バサバサバサバサーッ。
紙だかなんだかが崩れるような音がして、あたしたちのふたりきりの空間はきれいさっぱりなくなった。あたしたちはお互いの頬から手を離した。
アルトがあわててあたしの上から離れる。
「す、すみません。とっさだったので、つい」
「あ、あたしのほうこそごめん」
お互いにそれっぽいことを言って離れる。
なんちゅーことをしてんだあたしは。心臓がバクバクしすぎて、今にも破裂しそうだ。
本音を言えば、このままさっさと部屋を出ていきたかった。
けど、それをすると明日からギコギコカチカチなぎこちない毎日を過ごすことになるのは目に見えていたので、ぎこちなさをここでやっつけておくべく、話題をつくることにした。
「えーっと。さっき、なにかが崩れるような音がしたけど、あれはなに?」
「ああ、ええと、それはですね……」
アルトは机の上から床にぶちまけられた紙の束を拾っている。あたしは手伝おうと思って同じように紙を集め始めた。
その中の一枚には、驚きの言葉が書かれていた。
『スフィア再起動計画』
(つづく)