第七話 発露する不穏 Ⅱ
合奏練習後、俺は音楽準備室に幹部連中を招集した。
「お前ら、何か言うことあるよな?」
開口一番に問い掛けると、皆揃って目が泳ぎ始めた。わかりやすいことこの上ない。
「な、なんの話でしょう?」
それでも悪足掻きのようにとぼけたのは優一だ。この期に及んで往生際が悪い。
「よし。じゃあ明日の合奏練習前に全員の前で発表することに――」
「すいませんでした!」
ものの数秒で優一は陥落した。まあ、悪いことをしたという自覚があるだけまだマシだ。
「え、もしかして補習のこと?」
「あー、テスト前も家で練習してたからなー」
「まさか補習組まれるなんて思わなかったね」
目眩がしてきた。
「お前らは本当……」
こめかみを抑えながらため息を吐く俺とは正反対に、目の前にいる不良達には緊張感が漂っていない。練習時間が減るというのに普段とあまり変わらない様子の彼女達に、違和感を覚える。
「補習なんか出なくていいでしょ」
案の定、皆を代表するように淑乃が言った。俺が思った通り、奴らは最初から自分達に都合の悪いことを黙殺するつもりだったのだ。もう完全に思考回路が独裁者とか軍部の人間みたいである。
「いい訳ねえだろうが!」
耐え切れずに声を荒げると、不思議なものを見るような視線を浴びせられる。多勢に無勢とはこのことだ。
「部活以外のことを全く把握していなかったのは俺の管理不足だと思うよ。でも、役員が揃いも揃って補習を受けるなんて、天文学的確率の事象まで想定できねえだろ!」
絵理子がロイヤルストレートフラッシュなどと意味不明なことを言っていたけれど、俺は食らわされた側だ。しかもここにいるのは六人だから実際のカードの枚数よりも多いし。ジョーカーでもくっついてきたかと思ったが、よく考えたら全員ジョーカーみたいな奴らだった。
「失礼ですけど、秋村さんも部活ばっかりだったんですよね?」
静かだった玲香が、露骨な論点ずらしを展開し始める。
「そりゃ俺も、決して優秀ではなかったよ。でも補習を受けたことは無い」
俺の返答に、皆は驚きを隠す素振りも見せない。失礼にも程がある。
「というか『出ない』なんて無理だろ」
「どうして? 普通にボイコットすればいいじゃん」
「普通じゃねえ時にするのがボイコットだろうが!」
乱暴なことを言う芽衣を見て、俺はやるせない気持ちになった。
「とにかく、もう今回に関しては仕方が無い。お前らは真面目に補習を受けて、間違っても追加とか延長にはならないでくれよ」
諭すように告げると皆はようやく事の重大さを理解したようで、反論の声は上がらなかった。遅過ぎる。
「それから、自分のパートのメンバーにはしっかり報告をすること。わかったな」
不承不承といった感じで、全員頷く。
「言うまでも無いが、期末テストは本気でやってくれよ? コンクール直前に補習なんて、マジで笑えないからな」
まあ、今回も全く笑えないのだけれど。
「三年生は部活の顔なんだよ。俺が現役時代に失敗したのも、去年のコンクールが悲惨だったのも、ほとんどは三年生の責任だ。後輩に隙を見せるんじゃない」
俺は無意識に淑乃へ視線を向けながら言った。無論、董弥のことがあるからだ。
「今日のところは解散にしよう。俺が言えたことじゃないけど、授業は真面目に受けろよ?」
俺はそう言って場を締めた。授業どころか最後の半年は不登校だったのだから説得力など皆無だが、現状が無職であることも彼らは知っているので、この際反面教師だと思ってくれても構わない。
「――ねえ、あんたって本当に働かなくていいの?」
玲香達を帰した後、様子を窺っていた日向が唐突に質問してきた。
「良くはないんだろうな」
「なんで他人事なの? 勤労は国民の義務って、中学生でも知ってるよ」
「納税はしてるからいいだろ」
「そのお金はどのから生まれる訳?」
「生まれてないよ。取り崩しているだけだ」
「親のスネじゃん」
ストレートな批判に、俺はげんなりした。
もともと、音楽家である父母が遺した資産はかなりあった。また、相続や資産管理については、ありがたいことに例の家政婦さんがきっちり面倒を見てくれたので、一人になってからも困らなかった。
そもそも家賃は無いし、欲も無い。最低限の生活費と税金を払うだけなら、まだしばらく無職でいられる。もっともそんな生活に嫌気が差して死のうとしたのだから、やはり俺は救えないクズなのだと思う。
だが、今でこそ吹奏楽部に関わっているとはいえ、働きに出たら職場をめちゃくちゃにする可能性だってある。他人と関わらないようにしていたからこその無職なのだ。
「いや、このご時世、やろうと思えば一人でも何かしらできるでしょ」
「うるせえな……」
日向の言葉は正論だが、余計なお世話でもある。
「なんでそんなこといきなり聞くんだよ」
イライラしながら尋ねると、日向は「別に」と呟いたきり静かになった。気まぐれな奴だ。
音楽準備室を施錠し、帰路につく。
夜はだいぶ涼しい。シャツ一枚では肌寒いくらいだ。
自宅への道を早足で歩きながら、俺は改めて今日知り得た悪いニュースを整理する。
補習の件は言わずもがなだが、合同演奏会の出演順が高校の部のトップバッターということも頭痛の種である。そういえば、俺達の次に演奏する躑躅学園に関して、絵理子は何を言おうとしていたのだろう。まあ、良い内容でないことは薄々察したけれど。
『このままだと、失敗しますよ』
耳にこびりついて離れないのは、董弥が残した不吉な予言である。その信憑性を高める要素がいくつも噴出してきたので、俺としては気が気でない。
「ねえ。淑乃、大丈夫かな……」
いつになく不安げな顔で日向が呟く。
「それについては俺も一番心配しているよ……」
先ほど招集した補習メンバーの大半は、自身が該当する科目のスケジュールにスポットで参加する。つまり、純粋に出来が悪かった科目だけ受講すればいい。練習時間が削られるのは痛いけれど、月曜日から金曜日までずっといない訳ではない。
――ただ一人、淑乃を除いて。
「ヤバいだろ」
「ヤバいね」
語彙力まで喪失した。
「全科目ってなんだよ。あんな偉そうな態度なのに頭は空っぽかよ」
「ちょっとあんた。言い過ぎ」
そう窘めた日向だって、実際は同じようなことを思っているだろう。
本来、基礎合奏練習のタクトを振るというのが淑乃の仕事だ。もしも今年俺がその職務を引き受けていなかったら、彼女は一週間分の基礎合奏練習に穴を空けていたということになる。重要な演奏会の直前なのだから、はっきり言って更迭事案だ。
しかも、実際に淑乃の失脚を待ち望んでいそうな部員もいるのが厄介極まりない。部員というか、弟だが。
ここまで悪条件が重なれば、「失敗」という言葉がいよいよ現実味を帯びてくる。
しかし、それをなんとかするのが指揮者なのだ。かつて俺自身が璃奈や萌波に言ったように、演奏の全責任を負うのは指揮者である。俺が折れてしまったら、本当にこのバンドは終わる。
「日向、お願いがあるんだが」
そう口にしてから、あまり彼女に頼み事をした覚えが無いことに思い至る。それは日向も同じだったようで、こちらに振り返ってきょとんと俺を見つめた。
「何?」
「朝の迷惑行為を復活させてくれ」
「は?」
「目覚ましだよ。あのバカでかい音量の」
「……ああ」
彼女なりに気を遣っているのか、しばらく襲撃を食らっていない。それを敢えてお願いしようというのは、なかなか頭のおかしな話である。
だが、それくらいのことをしてもらわないと、朝しっかり目覚められる自信が無い。
「じゃあ、どんな曲がかかるか楽しみにしてて」
日向は悪戯っぽく微笑みながら答えた。
その言葉に俺は気休め程度の安心感を得る。
ここから合同演奏会の当日まで、まともに寝られる日は無いだろうから。




