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エメラルド・サウンズは黎明に輝く  作者: 文月 薫
第二章 極星 ―― spiritoso
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第十話   ご乱心のお嬢様 Ⅳ

 夜の学校は慣れているが、得意な人間などいないだろう。違和感があればなおさらだ。

「あれ、電気消して来なかったかな」

 音楽準備室の戸に嵌まった長方形の磨りガラスから漏れる明かりが、廊下を照らしていた。萌波が黙ったままであるのもなんとなく不気味に感じたが、純粋にスイッチを切り忘れたのだと自分に言い聞かせながら躊躇なくドアを開けた、その瞬間。

「きゃああああああ!!」

 室内にいた美月が絶叫した。

「――電気がついてるんだからノックくらいしてよ!?」

 そのまま部屋に入った俺と萌波に対して、美月が声を荒げる。日向が予言した通り準備室に戻ってきた美月であるが、自身のトロンボーンケースの蓋を開けたまま室内を右往左往していた。こいつの方がよっぽど不審者だと思うのは俺だけだろうか。

「さっき逃げたのはお前だろ? 不可抗力じゃないか」

「うるさいうるさい!!」

「……探し物でもしていたのか?」

 俺が尋ねると、美月はびくっと反応して顔を逸らせる。

「ち、違います」

「これか?」

「ああああああ!!」

 あっさり目当ての物をポケットから取り出すと、物凄い勢いで美月が手を伸ばしてきた。

「返してください!!」

 血走った目をしている彼女の取り乱しようがあまりにも激しく、俺は無抵抗のまま例の勾玉のキーホルダーを渡す。

「それって、もしかして日向ちゃんの……」

 事態を見守っていた萌波が少し驚いた様子で呟いた。

「日向?」

 ここでその名が出てくるとは思わず聞き返したが、萌波と美月は黙って俯いてしまった。いつの間にか入口に立っている日向の方を見ると、彼女も悲しそうに目を伏せた。

「……え?」

 ふと、俺が抱えるスコアの表紙が目に入ったのか、美月が声を上げた。

「もしかして、この曲をやるんですか?」

「ん? ああ、何か問題でも?」

 例の『宝島』である。萌波も何か因縁がありそうな含みを持たせていたが、やはり曰くがあるのだろうか。

「先輩が『あの部分』を吹くんですか? よく平気でいられますね」

 美月が吐き捨てるように言う。

「どの部分のことだ?」

「決まっているでしょう! トランペットとのソリですよ!」

 楽曲における『ソロ』の複数形が『ソリ』だ。たしかにこの曲には、中間部に該当する部分がある。しかし何が問題なのか俺にわかる由もない。

「……中止になった半年前の定期演奏会でも、この曲を演奏する予定だったんです。そして、ソリを担当するのは美月ちゃんと日向ちゃんのはずでした」

 ぼそぼそと萌波が説明を始める。

「でも、知っての通り日向ちゃんは……」

 慕っていた先輩とのデュエットが幻となっただけではなく、日向そのものがいなくなってしまったという訳か。

「美月ちゃん。知ってると思うけど、明後日には一回目の新歓演奏会があるの。時間が無い中で公演を成功させるためには、練習したことがある曲の中から選ぶのが効率的でしょ?」

「でも、この曲は……!」

「美月ちゃんのための曲なの? じゃあ私達がもし廃部になるとして、たった十人の二年生で演奏できるの? 二年生にはトランペットがいないのに」

「そ、それは……」

 萌波の正論にたじろぐ美月は、先ほど取り返したキーホルダーを強く握りしめている。

「私達は変わろうとしているの。美月ちゃん、部活紹介の玲香ちゃんのスピーチとか私達の演奏を聞いて、何も感じなかったの?」

「もうやめて!」

 美月は唇を噛み締めたまま泣きそうな顔をしていたが、いよいよ耐えきれなくなったのか金切り声を上げた。

「元はと言えば萌波ちゃんが私を捨てたんでしょ!? お説教しないでよ!」

「……萌波、ちゃん?」

 突如出現した親密感のある呼称に思わず俺が反応すると、美月は顔を真っ赤にしながらトロンボーンを棚へ戻した。

「もう知らない!! 帰る!!」

 まるで駄々を捏ねる小学生のように叫んで、美月は大股で扉へと向かっていく。つい数刻前と同じ状況だ。

「美月ちゃん。復帰するかどうかはあなたが決めればいい。でも、新歓演奏会は聞きに来て欲しいな」

 扉に手を掛けた美月の後ろ姿に向かって、萌波は冷静に声を上げた。だが、美月は振り向くことも言葉を返すこともせず、そのまま走り去ってしまった。

「どういうことだ、萌波ちゃん」

「つ、通報しますよ……」

「なんでだよ!」

 いきなり物騒なことを言う萌波も、普段は大人しいがやはりあの三年生の一味だと改めて思い知らされる。

「私と美月ちゃんは、家が近所で小学校からの幼馴染みなんです。あの子は昔からあんな感じでお嬢様なので、あまり友達もいなくて、いつも私と一緒にいました。高校で吹奏楽部へ入ったのも、私が誘ったからだと思います」

「そう、だったのか……」

「もともと美月ちゃんは体が強くないんです。去年もたまに部活を休んでました。それでも、経験を積んでもらおうと思って『宝島』のソリを任せたんですが……」

「あの子のレベルって、実際どうなんだ?」

「薄々察してると思いますけど、決して上手ではありません。そもそもあの子は、校長の娘が帰宅部だと世間体が悪いという理由で部活を始めたような節もありました。まあ、音楽は好きみたいなので楽しそうに活動してましたけど」

 同好会とかサークルのようなノリなのかもしれない。それはそれで否定はしないが、先輩達が目指す音楽とは決定的に違ったのだろう。

「日向ちゃんの事故が起こる少し前。いつまで経ってもソリで躓く美月ちゃんに、とうとう淑乃ちゃんが我慢できなくなってしまって」

「簡単に想像できるな、それは」

「さっきあの子が『萌波ちゃんが私を捨てた』って言ったのは、その時のことなんですよ。美月ちゃんは、ずっと私が味方でいてくれると思っていたんでしょうね。でも、口論になった二人を仲裁するはずの私は、パニックになってしまって……。『吹けないなら萌波とパートを変わって』って言った淑乃ちゃんの言葉を否定できなかったんです」

「……それは、当然のことなんじゃないか?」

「秋村さんならそう言うでしょうね。でも、美月ちゃんは自分が楽しければいいって考えですから」

「レベルは低いのにプライドが高いのか。面倒な奴だな」

「……そんなストレートに、本人に言っちゃダメですよ」

 萌波は苦笑しながらそう言ったが、否定はしなかった。

「その場をフォローしたのが日向ちゃんでした。一緒に練習しようって。でも、その数日後……」

「なるほどな」

 俺はスコアを開いてページをめくった。問題のトロンボーンの箇所は、難易度としては高い部類である。

「だから今日、お前も魂が抜けたような演奏だったのか」

「えっ」

 萌波が驚いて顔を上げた。

「そもそもここへお前を呼び出したのは俺だろ。まあ、理由がわかったから手間は省けたが」

「すいません……」

「美月のことはもう放っておいて、もう一度新歓に集中するか?」

「えーと……」

 俺が尋ねると、萌波は曖昧に言葉を濁した。

 すると、突然日向が萌波の側まで駆け寄った。呆然とする俺を横目に、切迫した表情で萌波を見つめる。

「萌波! あんたがそんなんじゃダメだよ! パートリーダーでしょ!?」

「おい、お前……」

「え?」

 萌波には日向の姿が見えないし声も聞こえない。俺が突然動揺しているように見えるだろう。日向はもどかしそうに拳を握り、何か訴えるようにこちらを見た。目にはうっすら涙が滲んでいる。

「ひとつ相談があるんだが」

 俺はこのタイミングで、昨日から考えていたとあるアイデアを萌波に提案した。

「――そんな、私が……」

「嫌なら無理強いはしない。よく考えるんだな」

 ちょうど講堂から部員達が戻ってきたようで、廊下がざわつき始める。

「今日のところは帰りなさい。返事も来週でいい」

「……わかりました」

 萌波はどこか上の空になりながら、ふらふらと部屋を出て行った。

「……ごめん。つい感情的になった」

「お前が謝ることじゃない。どうせ見えないしな」

「うん……」

 珍しく、普段は能天気で楽観的な日向が沈んでいる。

「あのキーホルダーは、いったいなんだ?」

「……あたしがあげたの。お守りになればと思って」

「それにしては、ずっとケースの中にしまいっぱなしだったな」

「でも、処分するって言ったら飛んできたでしょ?」

「楽器じゃなくて、そのお守りが大事だったってことか?」

「そりゃ楽器も大事だろうけど……。萌波も、きっとわかってるはずだよ。美月が本当はどうしたいのか」

「……女子高生の機微なんて、おじさんの俺にわかるはずもないな」

 肩を竦めて苦笑いを浮かべると、日向から「ただでさえ変人達だしね」という毒にも薬にもならない答えが返ってきた。

「お前も苦労していたんだな」

「ようやくわかった?」

 ふてぶてしく微笑む日向であったが、その目だけは切なげに曇っていた。

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