第十話 ご乱心のお嬢様 Ⅲ
その後も美月が戻ることはないまま、合奏練習の時間が近づく。
「探しに行った方がいいよな……。一応、校長の娘だし」
「ううん。あの子はきっとまたここへ来るよ。あんたはとりあえず目の前の練習を優先して」
「どうしてわかるんだよ」
「理由は無いけど……。来る、というか、来て欲しいって感じ」
「なんだそれ」
「いいから早く行きなよ。講堂なんでしょ?」
日向の言う通り、合奏を講堂で行うと指示した張本人である俺が遅刻するというのはよろしくない。美月のことは心残りであったが、俺は日向の言う通り講堂へ向かうことにした。
実際にバンドが収まってみると、俺が思った通り講堂はちょうど良い『箱』であった。第二音楽室はとにかく狭いので、必要以上に音が室内で反響してしまう。広さだけでなく天井までの高さもある講堂は、練習環境としても申し分が無かった。強いて言えば若干照明が暗い点は気になるものの、これから先はもっと日が長くなるしたいした問題ではない。
「あの、秋村さん」
チューニングが終わると、玲香が声を上げた。
「ここ、練習やコンサートにはすごく良い場所だと思うんですけど……」
彼女は何やら言いづらそうに周りの部員と顔を見合わせる。
「呪われているんですよね?」
「……は?」
「だって、この近くで殺人事件があったって……。だから肝試しスポットになっている訳ですし」
改めて一同を見渡すと、怯えている様子の者もちらほらいる。
「ああ、その話か。俺のことだから大丈夫だよ」
そう言ってメトロノームのゼンマイを巻き始めると、皆はぽかんと口を開けたまま固まった。
「はい。じゃあロングトーンね。まずは低音楽器から重ねていく練習――」
「ちょっと!!」
立ち上がったのは淑乃である。
「おい、その雛壇あまり頑丈じゃないから――」
「どうでもいい!」
「よくねえだろ」
「あんたが犯人だったの!?」
「違うわ!」
いい加減、人相だけで判断するのはやめてほしい。整形でもすればいいのか?
「俺は被害者だ。前に昔話をした時、刺されたって言っただろ? その場所がこの辺りだったんだよ。でも俺はこうして生きている訳だ。呪いなんて存在しないから安心しろ」
今思えば、その後に俺が不登校になったせいで話に尾ひれがついたのかもしれない。
「なんだ、そんなことだったのか……」
優一が呟くと、白けた空気が漂う。せめて同情くらいしてくれてもいいんじゃないかと思ったが、目の前にいるのは感情の乏しい変人集団だということを失念していた。今日から参加している二年生は、なんのことかわからず困惑している。
しかし、限られた練習時間を無駄にする余裕は無い。俺はメトロノームの針を動かした。
「せっかくこんないい場所を使えるんだからありがたく思いなさい。……じゃあ気を取り直してロングトーンから始めるぞ」
実際練習してみても、合唱部に譲っている第一音楽室よりもよっぽど良い環境だ。俺が刺されたためにここが放置されることになったというのは因果な話だが、活用できるものは使うべきだろう。
部活紹介のために行った『響かない部屋』での練習の効果は時間の経過と共に薄れていくため、講堂いっぱいに音を響かせるには時間がかかりそうである。みっちりと基礎合奏に時間をかけると、今日から参加している二年生はしんどそうに肩で呼吸をしていた。腹式呼吸を続けるスタミナが無いのだろう。楽曲に関しても、たった数名の二年生が増えただけであるが、音の濁りやタイミングのズレが目立った。
「……よし、今日はここまで。二年生達は久しぶりの活動だったよな。お疲れ様」
労う俺と視線を合わせる者はいない。先輩達とのレベルの差が計り知れないのは、火を見るより明らかだ。本人達がそれを一番よくわかっている。
「やっぱり、体験入部は三年生が仕切ってくれ。二年生はとにかく楽曲の練習だな」
俺の指示に、彼らは申し訳無さそうに目を伏せた。
「そう気を落とすな。新歓演奏会なんて楽しくやればいいんだよ。それと、無理に全曲やらなくていい。少なくとも明後日にある一度目の演奏会は課題曲だけでも構わない」
さらっと譜読みをする三年生達が異常なのだ。二年生をその次元に合わせてはいけない。俺は最低限のフォローをして、その日の練習を終えた。講堂にまつわる真実が明るみに出たせいで恐怖心が無くなったからか、皆は撤収時間まで講堂で自主練習を続けるようだ。
「犠牲者はいなかったんだね! こんな場所が放置されてたなんてもったいないよ」
部員の会話が耳に入ってくる。厳密に言えば俺が刺されたことは事実で、死んではいないが犠牲者みたいなものなのだけれど。
「本当だよね! ははは!」
薄情な奴らだ。
「……萌波、ちょっといいか?」
俺は練習中から様子が気になっていた萌波に声を掛けた。
「はい?」
「悪いんだが、楽器を吹くのはここまでにして、音楽準備室に来てくれないか?」
「……わかりました」
返事だけすると、彼女はてきぱきと片付けを始めた。不穏な空気を感じ取った周囲の視線が痛いものの、萌波自身はとくに気にすることもなく、準備室へ向かう俺の後ろを黙ってついてきた。




