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エメラルド・サウンズは黎明に輝く  作者: 文月 薫
第二章 極星 ―― spiritoso
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第一話   悪魔に翻弄される死神 Ⅱ

「――ちょっとあんた!?」

 耳元に入ってきた日向の声で覚醒した俺は、反射的に目を開いた。心配そうな日向の顔が映る。

「……おはよう」

 掠れた声で挨拶すると、ひとまず安心したのか日向もベッドを下りてコンポのもとに向かう。

「ん?」

 なんの用かと不思議に思っている俺をよそに日向が再生ボタンを押した、その瞬間。

「――うるさいうるさいうるさい!!」

 爆音のオーケストラが俺の鼓膜を襲撃する。楽曲はオッフェンバックの『天国と地獄』だ。ご丁寧にも一番ボリュームが大きいところにタイミングを調整してあったようで、最初からクライマックスである。

 俺が数十秒にわたりもがき苦しんでいると、ようやく日向が演奏を止める。

「どうして二日続けて運動会なんだよ」

「いや、なんとなく」

 選曲に関してはもはやどうでもいい。

「意図はなんだ?」

「目覚まし時計の代わりにと思って」

「起きてから鳴らしても意味ねえだろ!」

 ただの嫌がらせじゃないか。

(うな)されてたみたいだから、忘れさせてあげようと思って」

 心配してくれたと思ったらこの仕打ちである。

「善意ならボリュームと選曲を考慮してくれ」

 明日あたりは『ワルキューレの騎行』あたりが流れるんだろうな、とどうでもいいことが頭に浮かぶ。こんなの騎行じゃなくて奇行だ。

 俺はため息を吐いて身体を起こした。そのまま立ち上がろうと右手に体重を掛けた、その刹那。

「痛てて!」

 腰のあたりに刺されたような痛みが走った。

 反射的に肌着をめくって右手で擦ると、普通の肌ではないような不思議な感触があった。

 ――かつての古傷である。とある事情で数針縫ったのだ。自分自身では視認できない場所にあるので傷の存在すら忘れていたし、これまで痛むこともなかったのだが。

「どうしたの?」

 日向が怪訝な顔をしながらこちらの様子を窺っている。

「いや、大丈夫」

 少し深呼吸をすると症状は落ち着いた。先ほど見ていた夢といい、急に存在を主張した古傷といい、長年封じていた記憶が表出し始めた。理由は一つしかない。俺が再び吹奏楽部と関わりを持ったからであろう。

 時刻はちょうど八時である。

 休日練習は九時からと聞いている。今日から本格的な指導を始める予定の俺は適当に朝食や準備を済ませ、早速学校へ向かうことにした。相変わらず空模様は芳しくないが、幸い雨はやんでいる。

「で、今後はどんなプランなの?」

 日向が無邪気に尋ねてきたが、正直プランと呼べるほど高尚なものは用意していない。

「今のままだと俺みたいになるぞっていう話はしてみようかな」

「何それ」

「あいつらって友達いないだろ?」

 唐突な俺の質問に日向は面食らう。

「昨日の話から察するに、あいつらは本当に音楽しか頭に無いんだよ」

 あの部員達にはコミュニケーション能力というものが無いように思える。対話ができず武力に頼っているのだから、テロリスト扱いされても仕方無いだろう。

「後輩達が逃げ出したって話だったよな。あいつらにも言い分はあるんだろうが、それで良しとしている先輩の方が九割以上悪いだろ」

「まあそれはそうだけど、あんたが言うの?」

「俺だから言うんだよ」

 無意識に右手が古傷を擦る。

「とりあえず今日は、絵理子のことは放っておこう。今日も第三職員室に引きこもっていると都合がいいんだがな」

「年中引きこもりのあんたからそんなこと言われているのを知ったら、撲殺されるよ」

「殺害パターンが多過ぎる」

 くだらない会話をしているうちに翡翠色の校舎が見えてきた。建物に近づくにつれ管楽器のロングトーンの音が大きくなる。まるで昨日のことが無かったかのように普段通り練習している三年生達の徹底ぶりに、一周回って安心感すら覚える。

 来校窓口に行くと、担当は昨日の事務員であった。自然な動作で電話へ手を伸ばすのを見て、絵理子への内線だと悟った俺が即座に声を上げると、事務員は怯えたように「失礼しました」と言って手続きを終わらせた。失礼なのはむしろこちらの方なのだが、大人しく引き下がってくれたことには素直に感謝する。

「どっちがテロリストなんだか」

 湿気たっぷりの日向の言葉を無視して、俺は真っ直ぐ音楽室へ向かった。部員達をどうやって招集しようかと考えていた、その時。

「あ。おはようございます」

 部長の玲香と都合良く鉢合わせた。相変わらず何を考えているか読み取れない無表情なので、会話しづらいにもほどがある。部長ならもう少し外交力が無いと務まらないだろう。ああ、そんなもの皆無だから武力行使なのか。

「おはよう」

「本当に来たんですね」

 ずいぶんな言いようだが、俺が歴代最悪の部員だということも知られているので、この段階で信頼などあるはずも無いのだろう。

「改めて、今日からよろしく頼む。九時になったら一度集合するのか?」

「はい」

「じゃあ、そこで昨日の話の続きをしよう」

「はい」

「楽曲はいくつか考えてきたか?」

「はい」

「……今日はいい天気ですね」

「どこがですか? 頭おかしいんですか?」

「ちっ」

 本当に頭がおかしくなりそうなので、俺は早々に音楽準備室へ避難した。

「おい日向」

「ん?」

「俺はあそこまでじゃないぞ」

「いきなりなんの話?」

「あいつらのコミュニケーション能力の話だよ。先輩と後輩の繋ぎ役って、全部お前一人でやっていたのか?」

「生徒会とも、先生達とも、ね」

「そりゃ、お前がいなきゃ成り立つはずも無いわ……」

 この後のミーティングがまともに遂行できるのか、始まる前から不安でしかない。ちなみに、やはり日向のことを認識できるのは今のところ俺と絵理子だけのようなので、部員達への関与を頼めないのがもどかしい。

「そういえば絵理子が言っていた数々の悪行って、お前がいなくなった後の話なのか?」

「ああ、そうだね。あたしもびっくりしちゃった。そんなに行動力があったなんて」

「屈折してるなあ」

 肩を竦めながら第一音楽室に入る。俺もいくつか楽曲をピックアップしていたのだ。楽譜を数冊抱え、自宅から持参した指揮棒を片手に反対側の第二音楽室へ向かう。この指揮棒を使うのも十年ぶりだ。

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