クロの瞳の異邦人 「9」
「修道院のシスターが、バケモノに……まさか、そんなことがあったなんて……」
――長い夜と、森林地帯とを越えて。
アリサたちは、太陽が中天に触れるかどうかの頃合いで兄妹の故郷へと辿り着くことが出来た。
馬車で眠りこけていた子供たちは初めて見る町に飛び出し、今は近くの公園で他の子供たちと走り回っている。
アリサは町の集会場に身を寄せ、ヒニアスと同席してこれまでの経緯を町長に説明していた。
ヴェーンヘイム修道院での子供たちの生活、狼街道を支配していたバケモノ、その正体とシスター達の顛末、それから……
アリサが諸々の話を終えると、町長は涙ぐむヒニアスの頭に優しく掌を乗せる。
「……事情はわかりました。子供たちのことも、我々が責任をもってお預かりいたしましょう。アリサさんも、ヒニアスくんも、よくぞご無事で……」
『どうってことないさ』
何でお前が威張るんだよ。
床ですっ転がってるパンドラの角に、アリサのブーツの爪先が鋭利に掠める。
これ以上、アリサが彼らにしてやれることはない。
不躾だとは重々承知だが、残りの始末は町の人間に任せてアリサは自らの旅路へと戻るべく集会場を後にする。
たまたま最初に出くわした女性に何処か店はないかと尋ね、案内された雑貨屋で肌着を始めとした消耗品などの補充を簡単に済ませると、アリサは町の北側へと向かって歩き出す。
目指すべき『駅』は、この町から北東方面に伸びる道の先にあるとのこと。
それらしい建物が、僅かにだが既に視界の中に映っている。
「おねえさーん!」
背後から呼ばれて振り返ると、小さな紙袋を携えるルウシェとスウェンの姿があった。
特に出立の意を告げることなく出たつもりだったのだが、町を出歩いている間に嗅ぎつけられてしまったらしい。
「あ、ありがとうございました。色々と……あの、これ」
「……?」
手にして、妙に軽いなと袋を改めると中身はお菓子の詰め合わせだった。
少し剥げた缶に入ったクッキーと、個包装になったキャラメルとキャンディーが数粒。
家の中と近くの駄菓子屋で、二人が出せる金額で最大限買ったアリサへの御礼だと彼らは言った。
ずいぶんと可愛らしい報酬に、不意にほんの少し頬が緩んで、何だか気恥ずかしくなってしまう。
「はは……ありがと」
「ありがとう、おねえさん!」
「『街』の方は危険だって村長さんが言ってて、だからその、アリサさんも気を付けてくださいね」
『ありがとねー、お二人さん。お菓子はオイラが責任をもって守っておくよ』
「……コイツ、たまに勝手に食べるけどね」
鞄がお菓子をどうやって、なんて不思議そうに見つめてくる二人に手を振って、アリサは二人の故郷を後にする。
北上する傍ら、アリサは早速袋からキャンディーを一つまみして口に放り込む。
「……ハッカかー」
舌先でふわりと膨らむハッカの味に顔を渋く歪めながら、アリサはなだらかな傾斜の道を進んでいく。
見回せば、枯れ草ばかりが空を躍る昼下がり。
狼街道と同じく、アリサ以外の人の往来は全くと言っていいほど無い。
けれど、先の街道に比べればいくらか綺麗に舗装された道には、頼りないが木製の柵が不揃いの間隔で点々としており、まるで道標かのように北へと伸びている。
『命を救った報酬がお菓子の詰め合わせとはね』
「別に、アタシは……いらなかった、けど」
『……そんなにイヤなら吐き出せばいいのに。んな顔してまで食ってんじゃねえや』
「……」
味もそうだが、アリサはこの咥内を突き抜けてくる清涼感というものが物凄く苦手で、例えばガムでもミント系の味は決して食べない。そもそもガムは嫌い。
ちょっとした水分補給のつもりで口にしただけなのだが、カラフルな包み紙の中身がまさかハッカ味とは誰も予想出来まいて。
『で、さ。前から気になってたコトを、ひとつ聞いてもいい?』
「……なに?」
『もし、中央市街で《赤ずきん》に会えたら、どうする?』
「どうするって……そりゃあ、これを」
ホルダーに収まったハチェットを指先で弾いて示して見せる。
アリサの旅の目的は、彼女が忘れていったこの忘れ物を届けること。
『その忘れ物を届けた後は、どうするの?』
「……」
アリサは無言で歩き続ける。
まるでハッカの味で苦しんでいる風なのを利用して誤魔化しているかのように、そのまま黙って歩きながら、パンドラもまたアリサの手でふらふら揺れながらその答えを待つ。
「……なるほど、お役御免になるのが恐いの」
『いやま、そりゃ、そーなんだけどさー』
苦し紛れにアリサの口から出てきた言葉は、そんなぞんざいなだった。
……実を言うと、何も考えていない。
それは今この瞬間に限った話ではなくて、アリサが旅に出たあの日からずっと。
アリサは、ただただ《赤ずきん》にこの忘れ物を届けるという理由だけで今日までこうして旅を続けていた。
改めて思えば、旅をするにしては理由が軽薄過ぎる。
『上手く言えないんだけどサ。なんか、時々イヤな予感がするんだよね。アリサ、死にたがってる節があるように見えるんだけど、気のせい?』
「……まさか。死にたがってるんなら、とっくに大人しくやられてる」
『そりゃあ……そーか……? うーん……』
鞄の癖に小難しく考えてる風なパンドラを他所にアリサはひたすら歩き続ける。
唸り続ける鞄の鬱陶しさも忘れて、アリサはふと自問する。
彼女――《赤ずきん》と会って、忘れ物を届けたら、その後はどうするんだろう?
また一緒に旅をするのだろうか。
旅を止めて、市街とやらで平凡に暮らすのだろうか。
それとも、こんな欲しくもなかった異能力を使って、さして楽しくもないバケモノ狩りを続けるのだろうか。
「…………はぁ」
歩きながら思考も巡らせば、否応なしに疲労する。
そうやって疲れて、疲れ切ったこの身体にまた鞭を打って、アリサは『駅』へと向けてその歩みを続けた。
※22時にあとがきも更新します。