第94話「千本桜」
すみませんでした。永らくお待たせいたしました。
「ふひぃ、緊張の瞬間ですな、孤羽氏」
閉会式も大詰め、順位発表の時間。会場の体育館にて、隣のパイプ椅子に座る木藻男がふしゅーふしゅーと鼻息を荒くしながら、声をひそめて話しかけてきた。
「そうだな」
俺も小さく呟き返すが、心の内は木藻男にも負けず劣らず緊張していた。
「実を言うと拙者、そこまで合唱祭好きではなかったのだが、今年は初めて心から優勝したいと思ったのでござる。あのとき孤羽氏が練習に誘ってくれたから、今こうしていられるのでござる」
「人のせいにすんなよ」
木藻男の当てつけに、目を閉じて微笑する。きっかけを作ったのは俺かもしれないが、そこから自主的に練習を続け、優勝したいと思ったのは木藻男だ。
「優勝発表で餅月氏の泣き崩れる表情を見るのが楽しみでござる。デュフフ」
「……」
木藻男なりの冗談のつもりなのか、本気で言っているのか区別がつかない。ちょっと怖かった。
「それでは2年生の金賞・銀賞を発表します」
司会の一声がスピーカーから響き、俺たちは姿勢を正して司会の方に向き直る。
「ではまず、銀賞は――」
ダララララ……という吹奏楽部のドラムロールがして、違うクラスが呼ばれた。銀賞のクラスのやつらはワッと沸くが、俺たちが欲しいのは金賞だ。思わず木藻男と顔を見合わせて息をついた。そして、それと同時に、ありったけかき集めた最後の石で回した10連ガチャで確定演出が出たときのような、今にも心臓が止まりそうな緊張と全力の期待が混ざった感覚に襲われる。
「金賞は――」
暗転する体育館。ドラムロールが腹に響き、内臓をかき回す。心臓はドラムの刻むリズムにシンクロしそうなほどに早鐘を打ち、練習してきた数ヶ月が走馬灯のように駆け巡る。永遠に鳴り続くと思われたドラムロールがピタリと止み、刹那の沈黙で緊張はピークに達する――
「――」
* * *
なにもかもを終えて教室に戻る。人生最後の合唱祭が終わった。これでもう、永遠に朝練も放課後練もしなくて済む。それは俺にとって喜ばしいことのはずなのに、この愛すべきクソ行事と永遠に別れるとなるとなぜだか切なさが勝ってしまう。
もっと真面目にやってればな、と合唱祭との別れを惜しむクラスの奴ら。
友達に抱かれながら肩を震わせる餅月さん。
男連中に胴上げされている実行委員の本田。
「まさか、優勝してしまうとは……」
優勝ムードに浮かされている教室を眺めながら、飴宮さんは感慨深げに呟いた。
「うぅぅ……よかったぁ……」
友達の胸の中で嗚咽する餅月さん。合唱祭で優勝した経験がなく、人一倍それを求めて打ち込んできた彼女に贈られた、最初で最後の栄光のプレゼント。弱みを見せないしっかり者の彼女から、堰を切ったように感情が溢れ出ていくその姿には美しさすら覚えた。
「おめでとう」
口には出さないが心からそう思った。
* * *
記念撮影も終わり、実行委員ふたりの当たりさわりのない感動のスピーチも終えてなんとなく解散っぽい感じになっている中、俺たちは逸部と雑談していた。
「――そうそう、実行委員の京子と本田って付き合ってるんだって。孤羽が京子泣かしたときから、本田が真面目に仕事するようになって仲良くなったらしいよ」
「ふっ……図らずともリア充カップルを生み出してしまうなんて、俺はなんて罪深き非リアなんだ……」
「うるせーよ」
「あはは……」
逸部のツッコミに、飴宮さんが控えめに笑う。
「いやーでも、まさかほんとに優勝するとはねー」
「ほんとに、そうですよね」
「うちのクラスは非協力的なやつが多かったからなー」
「なにガッツリこっち見てくれてんの。あたしこう見えて練習はちゃんと参加してましたー」
「やーやーみなさんお揃いで」
すると、餅月さんが会話に混ざってきた。
「孤羽くんも明日の打ち上げ来るよね?」
「パス。『みんなで一緒に』とか本当はすごい苦手なんだ。しばらくはゆっくりさせてくれ」
「うぅ……じゃ、今日打ち上げやろうよ! クラスみんなじゃなくて、このメンバーでさ」
「おぉー、いいじゃん! やろやろ」
逸部も乗り気だ。だけどなぁ。
「……俺のために餅月さんがわざわざそこまでしてくれる理由がない」
「なに言ってんの。孤羽くんは優勝に充分貢献してくれたよ。だから、ね? ハッちゃんも来るでしょ?」
「え、ま、まぁ、孤羽くんが来るなら……」
「だって」
学校から電車を数駅進めた先で降り、餅月さんの行きつけというある建物に連れていかれる。気づけばカラオケの入り口前に誘導されていた。
「……カラオケなんて聞いてないんだが」
「さ、今日は喉潰れるまで歌うよ!」
「あんたが言うなや」
逸部が慣れた様子で受付を済ませ、マイクやらが入った籠を抱えて奥の部屋に先導してくれる。部屋に入った俺たちは適当にソファに座った。俺は端っこで、隣から飴宮さん、餅月さん、逸部の順と、実質主役の餅月さんを囲む形になる。
「それじゃー、乾杯っ!」
餅月さんの挨拶で、俺たちは各々の飲み物が入ったグラスを掲げる。
「そんじゃ早速! 盛り上がっていこーぜ!」
備えつけのタブレットでちゃっちゃと曲を予約した逸部は、ライブ中のバンドみたいな台詞をほざいて立ち上がった。流れるイントロは俺でも知っている流行りの女性アイドルの歌。逸部はその曲をマイク片手にぴょんぴょんと踊りながら、さながらアイドルのように歌っていた。
「らららら〜♪」
慣れているようで、踊りながらでも安定した歌声で高得点を叩き出していた。場の空気も良い感じに盛り上がり、切り込み隊長として完璧な仕事だった。
「よーし、それじゃ私も歌っちゃうぞー」
餅月さんが選んだのは大塚愛の「さくらんぼ」。定番っちゃそうだが、彼女のフルネームの「餅月さくら」からきているのだろうか。必ず歌う十八番のようで、こちらもノリノリで歌っている。
「あーなーたーとーあーたしさくらんぼ〜♪」
餅月さんは2番のサビを歌いながら、タンバリンを抱いて座っている飴宮さんにマイクを向けた。突然コールの指名をされた飴宮さんは「えっあっ」とテンパり、急かされるように差し出されたマイクに口を近づける。
「もう一回っ♪」
無茶ブリに全力で応えた飴宮さんは、ちらっと俺と目が合うと、我に帰ったように赤面した。
「な、なんですかその生暖かい目は」
「別に? ノリ良いなって」
餅月さんも歌い終わった。タンバリンをしゃららんとさせていると、餅月さんが持っていたマイクを俺に差し出してきた。
「はい! お待たせ!」
いや、待て待て、これから俺が歌うの確定みたいになってんじゃん。このままタンバリン裏拍職人として生きていくつもりだったんだけど。
「孤羽くんなに歌うんですか?」
「や、俺はいいよ別に」
さりげなく飴宮さんにマイクを促すと、後ろで逸部がにやにやしながらこっちを見てくる。
「餅月ちゃん、察してあげなよ。実は孤羽めちゃくちゃ音痴なんだよ。芸術科目も音楽じゃなくて美術取ってるし」
「そう言えば、孤羽くんが歌ってるの聞いたことないかも……」
「……」
逸部の安い挑発に餅月さんが騙されつつある。
「でしょ? ほら、餅月ちゃん。孤羽に恥かかすのやめようよ。だってすごい音痴――」
「誰が音痴だ。格の違いを見せてやるよ」
誤解されっぱなしなのはアレなので、逸部の思惑通りになって癪だが、引くほど全力でDOESの「曇天」を歌ってやった。
「……」
一同が呆気に取られている中、全てを出し切った俺は肩で息をする。俺をふっかけた逸部は、こっちを見て満足げに微笑み、不意にそっぽを向いた。
「じゃ次誰歌う?」
「なんか言えや」
逸部におちょくられて思わずツッこんでしまった。そんな俺に餅月さんは無邪気に拍手をくれる。
「すごー! よくヒトカラ行くの?」
「暇なとき行くけど、ヒトカラは前提なのか……」
「あ、あわわ、ごめん。つい」
餅月さんは両手をもたつかせて謝ってきた。逸部の露骨なイジりと違って悪気がないのが余計辛い。
「孤羽くん歌上手いんですね! じゃ、次は――」
何かをごまかすようにテンポよく喋る飴宮さんに俺はマイクを突きつける。
「お待たせ」
「う……わ、私はいいですよ、まだ」
「逃れることはできないぞ」
「ま、まぁ無理しなくてもいいけど」
餅月さんの優しいフォローに飴宮さんはむぐぐとうなって、やがて観念したようで、頼みごとをするときのような上目遣いで俺を見てくる。
「ひとりで歌うのは恥ずかしいので、一緒に歌ってくれませんか?」
「……」
近くにいた逸部にマイクを押しつけるも、表情を変えずに押し返された。飴宮さんは俺をご指名か。まぁいいけど。
「なに歌うんだ? 男女デュエットって言われても『3年目の浮気』くらいしか知らないけど」
「守備範囲広すぎませんかね」
なんだかんだで飴宮さんに曲を決めさせる。選ばれたのは『めざせポケモンマスター』。やがてイントロが始まり、飴宮さんはこっちの様子を伺いながら、恥ずかしそうに両手でマイクを持って立ち上がった。
「たとえ火の中――」
デュエットといってもパートがあるわけでもないので、ただふたりで歌うだけになる。飴宮さんの歌声を聴くのは初めてだったので今すぐにでも俺の声という雑音を消してやりたかったが、ふたりで歌うことになっているので仕方ない。「あの子のスカートの中」と歌うと逸部が黄色い悲鳴をあげた。コール役として盛り上げるつもりなんだろうが、この後のピカチュウの声真似もするんだろうか。もしそうなら笑ってしまい歌どころではなくなる。
「ぴかちゅー♪」
「似てねえっ」
途中しっかり逸部に笑わされつつ、サビの高音パートは声が出ない体で飴宮さんにソロで歌わせた。柔らかくて透けるような、天使の囁きみたいに心安らぐソプラノ。これで今まで歌うのを避けてきたんだからもったいない。2周目からは積極的に歌わせよう。
「わわ、どうしようここから知らない」
TVサイズと異なる進行に戸惑う飴宮さん。俺も知らないが、なんとなくノリで歌いきった。観客から拍手が起こり、飴宮さんはマイクを抱いたままぺこりとお辞儀をした。そして俺の方に向き直る。頰が上気した満足げな顔をしていた。
「付き合ってくれて、ありがとうございました。とても、楽しかったです」
「俺も全く同じこと考えてた」
「えーすごいじゃんハッちゃーん! 私ともデュエットしようよー!」
「いいねあーちゃん、すごい可愛かったよ! あたしも負けてられないな……」
逸部が2周目に突入し、アップテンポのイントロが流れる。そんなこんなで歌って騒いで、帰る頃にはすっかり喉が潰れていたのはいい思い出。