第93.5話「となりの席の孤羽くん」
エイプリルフールネタです。肩の力抜いて読んでください。時間軸は合唱祭が終わったあたりでしょうか。
廊下を歩いて階段に差しかかるところで、視界の隅に飴宮さんを捉えた。
「や」
「あ、どうも」
片手を上げて軽く挨拶を交わす。
「!」
よそ見をしたせいで階段を踏み外した。視界がスローモーションで傾いていく中、咄嗟に俺の手を取った飴宮さんの姿が映るが、支え切れずにふたりしてゴロゴロともつれるように階段を転げ落ちていった。やがてドサリと踊り場に投げ出される。
「……」
全身を打ったが、どこも骨折も捻挫もしていないのは幸いだった。俺は身体を起こして巻き込んでしまった飴宮さんに手を……。
「……」
あれ? 飴宮さんがいないぞ? てか、隣で倒れてるこの男は一体……。
「いたたたた……」
男は頭を押さえながらゆっくり起き上がる。目が合う。
そいつは俺の顔をしていた。そして、そいつの瞳にはなぜか飴宮さんが写っていた。思わず「なっ」と声が漏れるが、ヘリウムでも吸ったみたいに高い声が出た。俺の顔をした奴も全く同じ反応を見せ、互いに顔を指差しあう。
「俺たち」
「私たち」
「「入れ替わってる⁉︎」」
* * *
この状況、非常に信じがたいが、俺と飴宮さんの意識と身体が入れ替わってしまった……と考えるほかなかろう。
世にも奇妙ななにかしらがスタンドアップしてしまったが、この手の創作物に多く触れてきたからか、この状況をお互いすんなりと受け入れてしまった。あと、スカートってすごい足がスースーして落ち着かない。
「ちょ、え、どうすんの? これちょっと」
なんの気なしに腕を組むと、手のあたりにむにっとした今まで感じたことのなかった感触が――
「……」
「とりあえず、手は頭の上でお願いします。変なことしたら、前髪むしりますからね」
俺……というか俺の身体に入った飴宮さんは、自分の前髪をぐしゃっと握って軽く引っ張ってみせた。覚悟が決まった目だったので、仕方なく両手を頭の後ろで組んだ。うわなんかすごい。髪の毛手触りさらさら。キューティクルつるつるじゃん。同じ人間とは思えない。
「やべ、なんか急にトイレ行きたい」
「えっまっあばばばば」
「ってのは冗談だけど」
「言ってる場合ですか! ほんとにもう……」
「大丈夫ー? すごい音したけど」
階段の上からひょこっと餅月さんが出てきた。俺たちはとりあえず互いの役を演じることにした。
「いや、別になんでもないから……です」
「そ……そうだぜ。ちょっと、転んじまっただけ、なんだぜ」
やたら塩な飴宮さんと、本の中でしか聞いたことのないような男言葉を使う俺の奇妙なふたり組を見て、餅月さんは「大丈夫そうだね」と言って歩き去っていった。
「どうすんのこれ」
「もう一度同じ衝撃を加えてみますか……」
「同じ衝撃ねぇ……」
階段の踊り場で、転げ落ちた階段と同じ高さの階段を見下ろす。
「同じ……」
飴宮さんは小さく呟く。身体のあちこちの痛みがズキンとぶり返した。
「ダメだ。すごい痛かったし、これ以上は飴宮さんの身体がもたない!」
「私の身体なんかどうなってもいい! 元の生活に戻れるのなら……」
「戻るといえば、そろそろ教室戻らないと。授業が始まってしまう」
腕時計で時間を確認すると、飴宮さんはずっこけた。
「遅刻の心配してる場合ですか! 実はこの状況楽しんでるでしょ⁉︎」
「ふたり揃って授業サボってもそれはそれでアレだろ。戻る方法なら授業中でも考えられる。今はとりあえず目の前の問題を片付けよう」
「そんなキリッとした顔で正論ぶつけられましても……」
ごまかされてくれた飴宮さんと共に、チャイムが鳴る間近の教室に駆け込んだ。
俺の席には俺の身体を持った飴宮さんが座り、飴宮さんの席には飴宮さんの身体を持った俺が座る。傍目にはなんの違和感もない、違和感だらけの風景。隣の席の孤羽くんだ。
先生の話を聞き流しながら、せめてもの手がかりになればと、とりとめもなく頭に浮かんだ考えを教科書と共に広げたノートに書き連ねていく。飴宮さんのペンケースを漁るという行為に背徳感を覚えなかったといえば嘘になるが、今の俺は飴宮さんなので仕方ない。罫線が引いてあるだけのノートに、見慣れた文字のメモ書きが埋まっていく。なるほど、筆跡は身体に依存しないのか……メモメモ。
「……脚」
俺の姿をした飴宮さんが、小声で俺に伝えてきた。
「脚?」
「その……」
あぁ……そういうことね。いつもの感覚でだらっと椅子に身体を預けていたが、スカートを履いた自分の姿を想像して姿勢を直した。やれやれ、女の子は大変だぜ。
「あと、さっきから人のノートに何を書いているんですか?」
「意識と身体の一致に関する実験」
「落描きしてるだけじゃないですか」
「頭で思い描いた通りに絵が描けた。身体能力によらない運動機能は精神に依存するとみていい」
言ってる間に猫の顔の絵が出来上がる。飴宮さん……いや、俺なんだけど……も「ほんとだ」と言いながらノートに何やら描いている。
「孤羽くんの似顔絵。線がぎこちない気もしますが」
そう言って見せてくれたのは、けだるげな半目男のデフォルメ絵だった。飴宮さんが宿っているものの俺が描いた絵にしては上出来すぎるが、飴宮さん的には不服らしい。
「……なんか描き慣れてない?」
「はっ? そそそそそそんなわけがないでしょうが」
そんなこんなで授業はあっという間に終わった。ノートを取っていたかなんてのは、入れ替わりに比べれば些細な問題だ。
* * *
解決法が特に何も浮かばないまま休み時間になる。どうしたもんかなと思いながら、身体を伸ばして大きくあくびをした。その様子を隣で飴宮さんが複雑な顔で見ていた。まぁ確かに口元くらいは隠してもよかったか。失敬失敬。
「うぃーあーちゃーん!」
油断した瞬間、逸部が後ろから抱きついてきた。肩に体重を預けられ、背中になにか柔らかいものが押しつけられる。
「!?」
!?
「顔真っ赤にしちゃって、可愛い子猫ちゃん。一緒にトイレ行こうぜ」
逸部に抱きつかれたまま耳元で甘く囁かれる。いや、俺違うから。中身は孤羽くんだから。ほんとにやめて。
「む、無理……」
脳機能が壊滅状態になりながらも、最後の理性で短い言葉を絞り出す。
「えー行こうよー」
甘えたように言いながら、逸部は更に強く抱きしめてくる。
「いやほんと……」
薄れゆく意識の中、視線で隣に救援を送る。や、やばい。飴宮さん助けて!
「え、えーっと、その、こ、あ、飴宮さん、おなか痛くて動けないんだっけ?」
逡巡の末、飴宮さんは助け舟を出してくれた。それを聞いた逸部は身体を離してくれるが、おなか痛いとか言ったら……。
「そうなの孤羽? でも、それならなおさらトイレに――」
ほらな。
「あぁー! 無理! 一歩でも動いたら死ぬ! 立ち上がったら死ぬ! もうほっといて!」
とはいえ、今は飴宮さんの用意した泥舟に全力で乗っかるしかあるまい。鬼気迫る演技でとりあえず逸部を退けることに成功する。
「だ……大丈夫? なんか様子変だけど」
「寝たら治るから、ほんと、ごめん」
そう言い、半ば強引に机に突っ伏した。さすがの逸部もこれ以上は絡んで来ないで「お大事に……」とか言っていなくなった。
「……」
なんとかことなきを得てひと息ついていると、飴宮さんが不満そうに俺の顔を見てきた。
「顔、真っ赤にしちゃって」
「事故だから……ほんとすいません」
なぜか俺が平謝りするが、飴宮さんはもじもじしながら頰を染めた。
「やっぱり、そういうの興味あるんですか? 男の人は」
「は? いやいや俺に限ってそんなわけ」
「ちょっとだけなら、その……触っても、いいですよ」
「……え?」
「私の――」
ぶつん、と俺の中で何かが切れて、目の前が真っ暗になった――
* * *
「……」
目が覚めると、机の上に突っ伏していた。衣ずれの感覚を覚えて足元を見ると、スカートではなく見慣れたスラックス。ぼんやりした頭でそっと胸に手を当てたが、男の胸板に触れただけだった。
「……」
机の上で無造作に開かれたノートの端に、半目男のデフォルメ絵がこっちを見ていた。
「!」
寝ぼけ眼をこすってもう一度見ると、落書きはその筆跡すらなくなっていた。
「あれ? 夢オチ?」




