第1話「飴宮さん」
翌日。
俺はいつも通り遅刻寸前で教室に到着した。あまり早く教室に着いても手持ち無沙汰になるだけだし、それならギリギリまで家にいたい。他人に通学時間を合わせるなんてもってのほか。
自席に着き、机にかばんをドサリと置いた。当然ながら、俺と挨拶を交わす人間はいない。大半は俺が来たことすら気づいていないだろう。
そんななか、隣の席の飴宮さんは俺の到着に気づいたようで、読んでいた文庫本から顔を上げた。長い前髪に隠された眼で俺を見ている……のだろう。
「……おはよ」
「お、おはよう、ございます……」
あくびを噛み殺しながら片手を上げると、飴宮さんはぺこりとお辞儀した。慣れないやり取りに、首筋のあたりがかゆくなる。と、飴宮さんは頰を紅潮させてうつむいた。緊張したらしい。
首筋をかきつつかばんから荷物を出していると、HR開始のチャイムが鳴った。
時間にルーズな担任はいつも数分遅れて教室に来る。生徒の遅刻は咎めるくせに自分は平気で遅れる。汚い大人だ。
「……」
クラスの連中にとっては楽しいお喋りタイムのこの半端な時間を、普段の俺は教科書類を机に詰めたり、意味もなくかばんの底をガサガサさせたりして過ごす。
いつも通りそうして時間を潰そうと思っていると、隣から視線を感じた。
「……?」
飴宮さんの方を見ると、彼女はサッと眼をそらしてうつむいた。やっぱりな。まぁ、昨日あんなことを言ってしまったし、飴宮さんとのコミュニケーションを図ってみるか。
「……何の本、読んでんの?」
昔、休み時間に本を読んでいたら、皆と仲良くタイプの奴にこう訊かれたことがある。とりあえず借り物の言葉で話しかけてみた。
「梶井基次郎さんの『檸檬』です」
「へ、へえ……」
会話はそこで途切れた。梶井基次郎って誰やねん……。まぁ、たまたまお互いがその本を知っていたりでもしない限り、この手の質問をすると大体こうなる。この質問は雑談のきっかけに過ぎず、その答えからどう話題を広げるかが本当の勝負なのだ。
「それはそうと、飴宮さんって兄弟とかいるの?」
……話題を広げるのは諦め、次の質問をする。無難で、あまり踏み込まない、上っ面の質問。
「ひとりっ子です。……こ、孤羽くんは、兄弟いますか?」
飴宮さんはそう答えて俺に訊き返した。相手に同じ質問を返す口下手の常套テクニック。俺も重宝しているが、新しい話題を考える必要なく会話が続くからかなり使えるんだよな……会話する相手いないけど。
「妹がひとりいる」
「へえ。じゃあお兄さん、なんですね」
「まぁな。面倒くさいぞ、兄は」
俺はおどけた口調で返す。実際、兄は面倒くさい。下の面倒を見ないといけないし、親からはことあるごとに「もうお兄ちゃんなんだから」と言われ、その度に窮屈な思いをする。
「……」
そんなことはどうでもいい。それより、あんまり敬語を使われると、同級生と話している気がしないな。それより、仲良くなりたいのに敬語でいいんですか、飴宮さん?
「飴宮さん、敬語やめようか……心の距離を感じて寂しくなっちゃうだろ」
実際、クラスの女子に敬語を使われるとリアルに傷つく。今まで接点がなかった奴となれなれしくできない、という心理はまぁ分かるが、あからさまに「お前とはタメ口をきく仲ではないし、これからなる気もない」オーラ出してくる奴もいるからな……。
飴宮さんも思うところがあったのか、はっと息を飲んだ。
「す、すみません……つい」
「すみませんも禁止」
「へっ⁉︎ そ、そんな、難しいです……難しい、よ」
「それはそうと、飴宮さんってなんか部活入ってる?」
「ちょっと、それはそうと、って無視しないでくださいよ……帰宅部、です」
「俺と同じだ……敬語、戻ってるけど」
「あっ……ふふ、む、難しいですね」
飴宮さんは照れくさそうに微笑んだ。その笑顔に、俺も釣られて頰が緩む。前髪で眼が隠れているせいでよく分からないけど、この子結構可愛い気がするんだ……。
「そうだ。飴宮さんってスマホのゲームなにやってる? 俺は『スレイブドール』っていう社畜を育成して戦わせる、パワプロとドラクエ混ぜたようなとち狂ったゲームやってんだけどさ」
ポケットからスマホを取り出しアプリを起動していると、飴宮さんは驚いたように口元を押さえた。
「えっ…………私も、です」
「そうなの? うっそ、すごい奇遇じゃん。いやこれわりとマイナーなゲームだからさ……え、ハンネは?」
ハンネとはハンドルネームの略であり、ゲーム内での名前のこと。ちなみに俺は自分の苗字にちなんで「片翼の堕天使」。
「……ミント」
「ミント……ってあの対人戦トップランカー常連の人⁉︎ えっ、そうなん⁉︎ そ、それじゃさ、課長と対戦するイベントで有効な攻撃とか知ってる? どの攻撃で倒しても好感度すごい落ちるんだけど」
「ああ……あれには攻略法があって、攻撃せずに20秒間ガードし続けると、敗北扱いにはなるけど煽り耐性のコツLv4が取得出来て――」
「なにその情報……じゃあ、一番体力ステータスを伸ばせるのはどの会社とかある?」
「そうですね……おすすめなのはやっぱり前回のアップデートで追加された――」
スレイブドール談義に花を咲かせていると、前のドアががらりと開いた。担任のお出ましだ。俺は慌ててスマホをポケットに突っ込んだ。
「それじゃ、その話は後で……昼休みにでも、詳しく」
「はい。お弁当食べながら、ですね」
コソッと内緒話のように言葉を交わした。飴宮さんとの意外な接点を見つけられたのは収穫だった。最後、口調が敬語に戻ってたけど、まぁ本人が慣れるまでそのままでいいか。