プロローグ「席替え」
高2の始業式から2、3週間が経過し、旧クラスの派閥同士がなんとなく混ざり合ってなじんできた頃。その様子は、最初は芯があったのに、一緒くたに鍋で煮られているうちに角が取れて周囲と一体化するカレーライスのジャガイモやらニンジンに似ている。
閑話休題。カレーの話なんてしても腹が減るだけだ。今は帰りのHRの時間。
「えー、兼ねてからの希望により……今日は席替えをしようと思いまァァァァッス!」
ショーの司会者か何かのように、担任のオッさん先生は声高らかに宣言した。テンションたけーよオッさん。ノリのいいクラスの奴らは「いぇ〜い!」と合いの手を入れ、盛大な拍手が起こる。このノリすげーうぜえ。いつもだったらすぐに帰れるのにな。
クラスの連中がジャガイモやニンジンなら、さしずめ俺は溶けきれずに底の方に沈んでいるカレールーの破片だ。周囲に自分をなじませるのがダルい、そもそも行動を起こすのがダルい、もう何もかもがダルい無気力高二病ぼっち。俺を一言で紹介するなら、そんなところだ。
「はぁ……」
そわそわしているクラスの連中をよそに、俺――孤羽 芹人は小さくため息を吐いた。近くになって嬉しい友人がいるわけでもないし、席替えといえば、小学生の頃、隣になった女子に泣かれて以来良い思い出がない。むしろ軽いトラウマである。
「授業で忙しい時間を縫って座席表作ったから、この通りに机配置しろー」
急にテンションが最底辺に戻った担任が座席表を黒板に貼ると、クラスの連中はたちまち黒板に殺到する。
「なんだよまた一番前かよ〜」
「やったねリカちゃん! 隣だよ!」
「この配置は荒れそうだなぁー」
ある者は腕を組み、またある者は嬉しそうに手を取り合う。口々に勝手なコメントを残して、人混みはばらばらと散っていく。混雑のラッシュタイムが過ぎた頃、俺は重い腰を上げて自分の席を確認しに行った。窓際の一番後ろの席。青春ラブコメでも始まりそうなポジションだ。
「……」
席に戻り机を所定の位置にずらす。移動終了。やることもないしちょうど一番後ろなので、頬杖ついて人間観察と洒落込むことにした。どいつもこいつも机を移動させながら楽しそうにお友達と喋っている。楽しそうで良いな、お前ら。俺なんて中学生の頃、隣になった女子に「は? 孤羽とかマジありえないんだけど」と言われて以来席替えには良い思い出が以下省略……俺もお前なんかの隣になりたくねえよ。
昔を思い出してちょっと泣きそうになっていると、コツンと机になにか当たる音がした。俺がぼーっとしているうちに、隣の奴が来て、机をくっつけたんだろう。気づけばクラス全員の移動が終わっていた。……机といえば、小学生の頃、隣になった女子がかたくなにに机をくっつけようとしなかったんだけどその話はいいか。
えーと隣誰だったっけ、と視線を向けると、多少見覚えのある女子と眼が合った。いや、合ったかどうかは分からない。彼女は長い前髪で眼を隠しているからだ。
「……」
飴宮 薄荷。黒髪ポニーテールに、両眼が完全に隠れるほど長い、特徴的な前髪。シャツの襟のボタンを一番上まできっちり閉じた、地味で小柄な女子。常に無口で目立たず、友達と話しているところを見たことがない。俺と同じ、こっち側の人間――つまり、ぼっちだ。
俺がずっと見ていると、飴宮さんはぺこりと黙礼して席についた。
「……どうも」
短く挨拶を返した。だがまぁ、隣がぼっちというのはぼっち的にはかなりありがたい。お互いが不干渉であるため、さっき言ったようなトラブルはまず起こらない。そして英語の授業で教科書を読むときとか、二人組を作るときの相棒が自動的に決まる。……あの吐き気がするような同族嫌悪に目を瞑れば、の話だが。
そんなことを考えながら、帰りのHRを聞き流していた。
「……それじゃ、HR解散。また明日」
帰りの挨拶を終え、皆ばらばらと席を立ち、自由な行動を開始する。俺もかばんをかついでさっさと教室を後にする。
「――孤羽くん」
……はずだった。飴宮さんが俺を呼び止めたのだ。高めで、柔らかく、それでいて緊張に満ち満ちた声。
「呼んだ?」
案外可愛い声だったのはさておき、俺はそう返してかばんを机に置いた。立ち上がり、俺に向き直った飴宮さんは緊張した様子で前髪をいじっていたが、意を決したように口を開いた。
「あの……私の、友達になって、くれません、か?」
「は……?」
てっきり「私が消しゴム落としても拾わなくて良いから」とでも言われると思っていたものだから、絶句した。まぁ、こう言われた方が拾うかどうか考える手間が省けるから良いんだけどさ。
「私、コ、コミュ症で、こんな性格ですけど、人と関わりたくないわけでは全然なくて、その、色々話しかけてくれたら嬉しいな、って……」
「……なぜ俺なんだ? 周りに女子いるだろ」
「あの……孤羽くんは、話しやすいというか、私と同じ匂いがするので……あっ、に、匂いと言ってもべべべ別に孤羽くんの体臭をや、揶揄しているのではなくてですね、そ、その、あぅ……すみませんっ」
わたわたと落ち着きなく手を動かし、飴宮さんはぺこりと腰を折った。なに言ってんだこの子。不思議ちゃんすぎるだろ。
「いや……はいそーですかって言ってなるようなもんじゃないだろ、友達なんて」
飴宮さんの挙動にちょっと萌えた心とは裏腹に、そんな言葉が口を突いた。悪意はなかったが、冷たい言い方になってしまった。俺は飴宮さんから眼をそらして頭をかいた。
俺は飴宮さんに限らず誰とも馴れ合うつもりはない。だから、もし彼女だけを特別扱いして、その願いを聞き入れたなら、俺は友達のいない可哀想な飴宮さんに手を差し伸べたことになる。俺はそういうのが一番嫌いだ。
「……」
俺の返事を聞き、飴宮さんはしゅんと俯いた。やっぱり冷たかったな。初対面なのに申し訳ない。
「すみません……め、めい、迷惑ですよね。私みたいなのが、マトモに会話もできないやつが、なに言ってんだ、って感じですよね……無理言ってすみません。全部、忘れてください」
飴宮さんはそう言って、ぎこちなく自嘲気味に微笑した。自分の感情を圧し殺すようにスカートの裾をぎゅっと握りしめる。
「……」
勇気を出して話しかけたのに、相手に拒絶される。その痛みは、小学生の頃、鬼ごっこやサッカーの仲間に入れてもらえなかったかつての俺が、性格が歪むほど味わってきたものと同じだった。
「……」
純粋な彼女に昔の自分を重ねたのかもしれない。
俺のような人間が誰かを救うなんて傲慢だ。でも、それは誰かをいたずらに傷つけていい理由にはならない。そんなことを考えてしまう。飴宮さんの純粋な光が、論理や屁理屈に抑圧されていた俺の中の純粋に共鳴するように、揺さぶるほどに刺激した。
その刺激は、ただ友達がほしかった、あの頃の心を呼び起こす。……今だけは、素直になってもいいかな。
「……いや、悪い。さっきの、そういう意味じゃなくて」
結論が出れば、あとは彼女を呼び止めるだけ。お察しの通り、屁理屈をこねるのはそこそこ得意だ。
「あれ……ゆっくりお互いを知って仲良くなれたらいいねっていう……てか、本当に俺でいいのか?」
「……!」
しどろもどろな弁解に、うつむいていた飴宮さんは顔を上げた。ぱぁっと満面の笑みが咲く。
「もちろん、です! 孤羽くん、明日から、よろしくお願いします!」
飴宮さんは笑顔で一礼し、かばんを抱えて走り去っていった。
「お、おう……」
もういない飴宮さんに曖昧な言葉をかける。笑った顔が可愛くてつい見とれていたらワンテンポ遅れた、というのは内緒だ。
かくして、俺と飴宮さん、ふたりのぼっちは出会ったのだった。思えば彼女は、何もない俺の高校生活をかけがえのない思い出に昇華させた、隠し味のような人だった。




