第20話:真実しか言えない囚人
第20話:真実しか言えない囚人
収録が事実上の打ち切りとなった後のスタジオは、まるで熱を失った廃墟のような静けさに沈んでいた。コントロールルームに残された機材のインジケーターだけが、意味のない光を明滅させている。
私は逃げるようにブースを後にした若菜さんの背中を追い、ラウンジへと向かった。
3月の夕暮れ時は、冬の名残を含んだ冷たいオレンジ色の光を窓辺に投げかけている。その光の中に、若菜さんは独りで立っていた。
ガラス窓に映る彼女の横顔は、剥き出しの神経を無理やりなだめているかのように鋭く、そして今にも砕け散りそうなほどに脆い。自動販売機で買った温かいコーヒーの缶を二つ、手のひらの中で転がしながら、私は彼女の隣に並んだ。
「……若菜さん。お疲れ様です。これ、もしよければ」
差し出した缶を受け取る彼女の指先は、驚くほど冷え切っていた。3月の風よりも、彼女自身の内側にある「正しさ」という氷壁が、その体温を奪っているかのようだった。
「……瑞希さん。ありがとうございます」
若菜さんは一口も啜ることなく、ただその温もりを縋るように両手で包み込んだ。沈みゆく夕日が、彼女の瞳の奥にある澱を赤く染め上げる。
「……白河さんの言う通りです。私は、こはくを殺している。彼女が千年の時をかけて積み上げてきたはずの、人を化かすための『遊戯』を、私の浅薄な倫理観が汚している。……分かっているのです。けれど、喉の奥で言葉が固まってしまう」
彼女の声は、更衣室で私が自分の「空っぽさ」を叫んだ時と同じ、救いのない震えを伴っていた。
「……瑞希さん。あなたなら、私のこの愚かさが分かるでしょう?あなたが『正解を出す機械』だったと言うのなら、私は『真実しか言えない囚人』なのです」
「囚人……ですか」
「ええ。自分自身にかけた、解除不能の呪縛です」
若菜さんは、ガラス窓に反射する自分の虚像を、憎しみを込めて見つめるように語り始めた。
「アナウンサーを辞めるきっかけとなった、忘れられない事件がありました。……3年前、ある地方で起きた多重衝突事故のニュースです。犠牲者の中には、まだ小さな子供も含まれていました。私はその原稿を、いつも通り完璧に読み上げました。アクセント、イントネーション、鼻濁音。一点の曇りもない『正しい日本語』で、事実だけを、鏡のように透明な声で電波に乗せたのです」
彼女の指先が、コーヒー缶を強く締め上げる。カチリ、と金属が軋む音がした。
「放送後、局に一本の電話が入りました。犠牲となったお子さんの遺族の方からでした。その方は、掠れた声でこうおっしゃったのです。『あなたには心がないのか』と。……私の声が、あまりにも正確で、あまりにも冷徹だったから、子供の命がただの数値として処理されたように感じた、と」
私は息を呑んだ。100点の技術を追求するあまり、その裏側にある「痛み」を切り捨ててしまった彼女の絶望。それは、私が「機械」として生きてきた歳月と、残酷なまでに共鳴していた。
「私は、自分の守ってきた『正しさ』が、時に人を無慈悲に傷つける最凶の凶器になることを、その時初めて知ったのです。以来、私は言葉を発するのが怖くなった。真実を語れば誰かを傷つけ、嘘を吐けば自分という存在を汚すことになる。……私は、言葉という名の迷宮に閉じ込められた囚人なのです。だから、こはくのように笑って人を化かすことなんて、今の私には……『不潔』で、おぞましいことに思えてしまう。でも、好きなんです。声で何かを伝えることが。だから諦めきれなかった……」
若菜さんの独白は、3月の冷たい夕闇に吸い込まれていく。彼女の抱える「誠実さ」という名の鎖は、私が想像していたよりも遥かに太く、重い。それは彼女がプロとして積み上げてきた矜持そのものであり、同時に彼女を窒息させている元凶でもあった。
私は、自分の手の中のコーヒーを見つめた。
少しずつ冷めていく液体。けれど、その微かな温もりだけが、今この場にある唯一の「救い」のように思えた。
「……若菜さん。こはくは、嘘を吐く時にきっと、少しだけ笑っているんだと思います」
私の唐突な言葉に、若菜さんは弾かれたように、驚いた眼差しで私を見た。
「……笑う?相手を騙すことを、楽しんでいると?」
「いいえ。そうじゃなくて。……その嘘が、誰かの救いになることを知っているから、笑うんだと思います」
私は、かつて子役時代に一度だけ、台本にはない「嘘」を吐いた瞬間のことを思い出していた。
「嘘は、相手を傷つけるためだけにあるんじゃない。……誰かを喜ばせたり、驚かせたり、あるいは自分自身の脆い心を守ったりするためにある嘘も、きっとあります。……若菜さんの、あの日の事故のニュースだって、本当は誰かを守るためのものだったはずですよね? 正確に伝えることで、二度と同じ悲劇を起こさないように。その『正しさ』は、若菜さんの精一杯の優しさだったんじゃないですか?」
「私の、優しさ……」
「ええ。若菜さんのその『正しさ』は、不潔なんかじゃない。ただ、あまりにも切実で、生真面目すぎただけです。……ねえ、若菜さん。こはくとして、思い切り『嘘』を吐いてみてください。それはきっと、どんな残酷な真実よりも温かい、最高の『化かし』になるはずですから。……嘘を吐くことで、誰かの心を温める。それが、Vtuberという新しい物語の中での、若菜さんの役割なんじゃないでしょうか」
若菜さんの瞳に、明らかな揺らぎが生じた。
頑なに閉ざされていた彼女の「結晶の檻」に、微かな亀裂が入る。けれど、築き上げてきた彼女の仮面は、そう簡単には剥がれ落ちない。彼女は迷子のような顔をして、私の言葉を、あるいは自分自身の内なる声を探しているようだった。
その日の夜、若菜さんの収録は結局、出口の見えない重い課題を残したまま終了した。
更衣室に戻る途中、ひよりちゃんと詩音さんが、心配そうに私たちを待っていた。ひよりちゃんの太陽のような明るささえ、今は湿り気を帯びた3月の夜気に沈み、暗い色を帯びて見える。
「若菜さん……。あんなに悲しそうな顔、見たことないです。私、何もできなくて……」
ひよりちゃんが、今にも泣き出しそうな声で呟く。
「……彼女の問題は、技術じゃないわ。魂をどこに置くかなのよ」
詩音さんが静かに言った。その視線は、主が立ち去った後もまだ、収録ブースの明かりが虚しく灯り続けているスタジオに向けられていた。
「瑞希ちゃん。若菜さんは明日もマイクの前に立つつもりよ。……でも、解決策がない今のままじゃ、彼女は自分の正しさに押し潰されてしまうわ」
4人の絆が深まったからこそ、一人一人が抱える傷の深さが、隠しようもなく鮮明に浮き彫りになっていく。
私の止まっていた時計の針は、今、仲間を救いたいという切実な祈りと共に、重く、けれど確実に刻まれるのを待っていた。
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