第1話:呪縛の履歴書
第1話:呪縛の履歴書
2025年、12月。
街路樹を彩るイルミネーションが、帰路を急ぐ人々の顔を華やかに照らし出す季節。世界がどこか浮き足立った熱を帯びる中で、私の指先だけは、感覚がなくなるほどに冷え切っていた。
鞄の中には、角が少しだけ折れ曲がった履歴書の束が重く沈んでいる。何度もカバンから出し入れされ、私の焦燥が滲んだその紙束は、もはや単なる書類ではなく、私という人間を否定し続ける記録の塊のように感じられた。
空調の効きすぎた高層ビルの待合ロビー。不自然なほど静まり返ったその空間で、革靴が床を叩く乾いた音だけが反響する。
ガラス張りの窓の向こうには、冬の陽光に照らされた街並みが広がっていたが、私の瞳に映るのは色彩を失った灰色の迷路だった。整然と並ぶビル群は、私を拒絶する巨大な墓標のようで、そこを行き交う人々は、確かな目的を持って未来へと歩みを進めている。
その当たり前の光景が、今の私にはあまりにも眩しく、そして残酷なほど遠かった。
「――次の方、如月瑞希さん。どうぞ」
無機質な声が、私の思考を無理やり引き剥がした。
私は膝の上で握りしめていた拳をゆっくりと解き、一度だけ深く、肺の奥を凍らせるような息を吐く。立ち上がり、スーツの膝にできた僅かな皺を、指先で執拗に撫でて伸ばした。
これが何度目の「儀式」だろうか。
期待を捨て、感情を殺し、ただ「普通」の自分を模索するための無意味な準備。私は重い扉に手をかけた。
会議室の中に充満していたのは、古い紙の匂いと、三人の面接官が発する密やかな威圧感だった。
真ん中に座る中年の男性が、机に置かれた私の履歴書に目を落とす。その瞬間、彼の眉がわずかに跳ね、瞳の奥に奇妙な光が宿った。
それは何度も見てきた、嫌悪感を催すほどに見覚えのある、あの反応。
「如月……瑞希さん、ね。失礼ですが、あなた。十年前のドラマ『朝日の向こう側』に出ていた、あの……」
心臓の鼓動がドクンと跳ね、次の瞬間には胃の奥が氷を直接流し込まれたように冷たくなった。
面接官の瞳に灯ったのは、一人の就職希望者の資質を見極めようとする厳格な光ではない。かつて一世を風靡した珍しい動物や、博物館に並ぶ時代遅れの展示品を眺めるような、薄気味悪い「好奇心」だった。
「……はい。10年前まで、子役として芸能活動をしておりました」
私の唇から漏れた言葉は、自分でも驚くほど乾燥していた。
その答えを聞いた瞬間、それまで背もたれに体を預けていた左右の面接官までもが、獲物を見つけたかのように身を乗り出した。
私がこの会社のために用意してきた、徹夜で書き上げた「志望動機」や、血の滲むような思いで捻り出した「自己PR」への関心は、霧散するように消え去った。
「やっぱり!当時は『天才子役』って言われて、テレビで見ない日はなかったですよね。あの最終回の涙、僕も家で見て感動したんですよ」
「どうして辞めちゃったんですか?実にもったいない。今も続けていれば、きっと誰もが知る大スターだったのに」
「あの、泣きの演技のコツとか、今でも注文されたらすぐにできるんですか?」
土足で踏み込まれるような質問の礫。
彼らが求めているのは、今の私が何を見て、何を学び、何ができるかではない。10年前、テレビという牢獄の中で大人たちの理想を完璧に出力していた『如月瑞希』という名の残像だ。
私は、自分の呼吸がどんどん浅くなっていくのを感じた。喉元を透明な手に強く絞められているような錯覚に陥る。
目の前の面接官たちは、満面の笑みを浮かべている。きっと彼らに悪気はない。それどころか、私を褒め、場を和ませているつもりなのだろう。
けれど、その善意という皮を被った言葉の一つ一つが、鋭い楔となって、私の手足を過去という名の処刑台に打ち付けていく。
「……申し訳ありません」
耐えきれず、私は質問の途中で言葉を遮った。
面接官たちの笑顔が、驚きと戸惑いに塗りつぶされ、滑稽な形に固まる。
「今日の面接は、今の私の能力を評価していただく場だと思って参りましたが、どうやら私の勘違いだったようです。御社が求めているのは、今の私ではなく、10年前の私のようですので」
私は無感情に立ち上がり、深く頭を下げた。
椅子が床を擦る嫌な摩擦音が、静まり返った会議室に激しく響き渡る。その不協和音さえも、私を嘲笑っているかのように聞こえた。
「失礼いたします」
「え、ちょっと、如月さん!まだ話は終わって……!」
背後から飛んでくる制止の声を、私は意識の表層で弾き飛ばした。扉を閉め、エレベーターホールへと続く廊下を歩く。その距離が、永遠に終わらない回廊のように長く、足取りは泥沼を歩いているかのように重かった。
ビルの自動ドアを抜けると、牙を剥いた冬の冷たい風が容赦なく頬を刺した。
駅まで歩く気力さえも削ぎ落とされた私は、近くの公園にある古びたベンチに、糸の切れた人形のように座り込んだ。
22歳。大学4年生。
本来なら、人生で最も輝かしく、可能性に満ちているはずの季節。
けれど、どこへ行っても、何をしても、私の「現在」は、10年前の「過去」という怪物に喰い潰されてしまうのだ。
私の時間は、あの12歳の夏から、一歩も前に進んでいない。
「天才」。
それはかつて私を輝かせた称号ではなく、大人たちが私に焼き付けた、一生剥がすことのできない呪いのレッテルだった。
台本を一目見れば台詞を完璧にコピーし、監督が求める「正解の涙」を0.1秒の狂いもなく流すことができた。周囲の顔色を伺い、期待される「如月瑞希」というキャラクターを完璧に演じ続けること。それが私の世界のすべてであり、生きるための術だった。
けれど、ある日突然、張り詰めていた糸が音を立てて千切れた。自分が誰なのか、本当は何を言いたいのか、何のためにこの顔を作って笑っているのか。
何も分からなくなった私は、吐き気とともに、逃げるようにして芸能界という舞台を降りた。
それからの10年間は、まるで解像度の低い、ノイズだらけの映像を眺めているようだった。
「普通の学生」として過ごした時間は、確かに穏やかではあったけれど、何の手応えも、体温も感じられなかった。
履歴書の白い余白に書き込めるのは、色褪せた学歴と、私が捨て、そして今も私を縛り続ける過去の栄光だけ。
「如月さんは、何をしても『如月瑞希』なんですね」
かつての共演者に言われた言葉が、今も耳の奥で疼く傷跡のように消えない。
どこへ行っても、誰と会っても、私は「元天才子役」という分厚い仮面を剥がすことができない。仮面の下にあるはずの私の本当の顔は、もう自分でも思い出せないほど、すり減って消えてしまったのかもしれない。
「……死ぬまで、これを繰り返すのかな」
震える指先を隠すようにポケットへねじ込み、独り言を漏らす。その言葉は、冷たく湿った冬の空気に吸い込まれ、一瞬で消えた。
普通の就職。普通の生活。そんなささやかな願いさえ、私にとっては呪縛を強化するための儀式に過ぎないのではないか。
空っぽの「元・天才」という殻を被ったまま、誰にも気づかれず、社会の隅っこで音もなく枯れていく未来。
それを想像しただけで、喉の奥が砂を飲んだようにヒリついた。私は一生、この死んだはずの『如月瑞希』の影に殺されながら生きていくんだ。
……空っぽのまま、凍えながら。
季節は、無情にも私を置き去りにして進んでいく。街は、クリスマスの喧騒を過ぎると同時に、一気に年末の慌ただしさへと塗り替えられた。
何度も面接に落ち、何度も過去を抉られ、気づけばカレンダーは今年最後の一枚をめくろうとしていた。
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