第3話 仕事
セイリューは、目の前で起きたことが信じられなかった。
セイリューの戦いは、退路を求めてストーンゴーレムを斬りつけ、自身の剣の損傷という敗北の結果で幕を閉じていた。
ダンジョン内での敗北者の末路は、死だ。
それゆえ、二つに分かれて転がるストーンゴーレムの存在を、現実だと思えなかった。
「こちら、ご注文いただいてた出前になるっす。保温の魔法をかけてるんで、出来立てに近い状態で召し上がっていただけるっす」
そんなセイリューの心境など想像することもなく、ファイは弁当の入った風呂敷をセイリューの足元に置いた。
「代金は冒険者ギルド経由で受け取ってるんで大丈夫っす。では、またのご利用をお待ちしてるっす」
「ま、待ってくれ!」
用事は済んだとばかりに帰ろうとするファイに、セイリューは焦って声をかける。
「なんっすか?」
「状況を見てわかるだろう? 魔物……ドラゴンに襲われてるんだ! 助けてくれ! 」
命の危険に瀕している恐怖半分。
状況を見れば人として助けて当然だろうと考える怒り半分。
セイリューは、必死にファイに訴えた。
「え、普通に嫌っすけど。そういうのは、冒険者ギルドとか護衛ギルドの仕事なんで」
が、ファイの表情は変わらない。
さっさと次の出前先に向かいたくて仕方ない様子を隠さない。
「!? き、君は冒険者じゃないのか!?」
「え? 最初に名乗ったはずっすけど。俺は出前ギルドの人間で、冒険者じゃないっす」
二人が会話している間にも、ストーンゴーレムはゆっくりと前進を続け、包囲網を狭めていく。
ファイは、近づいて来たストーンゴーレムを視認することもなく、一撃で仕留めながら断りの会話を続ける。
この長い会話の間、マッドドラゴンが何の動きも見せなかったのは、奇跡というほかない。
「ぐおおおおお!!」
マッドドラゴンが叫び、一歩踏み出す。
泥にまみれた足がダンジョンの地面に踏みつけられ、周辺に泥がまき散らされる。
「ひいっ!?」
セイリューは足音のする方へと向き、一歩近づいたマッドドラゴンを見て、恐れおののく。
セイリューの頭の中に浮かぶのは、マッドドラゴンに踏み潰されるか、食われる自分の未来。
すぐにファイの方へと振り向き、マッドドラゴンを指差す。
「た、頼む! あいつを倒してくれ! 冒険者じゃなくても強いんだろ? 金! 金ならいくらでも払うから! 頼む!!」
「はあ……。金とかの問題じゃなくて、うちは出前ギルドなんで、そう言うのやってないんっすよ」
しかし、無情。
状況は変わらない。
ズウン。
マッドドラゴンの二歩目が響く。
「ああああああ!? 終わりだああああああ!? 最後の晩餐を食うこともできず、俺たちはここで死ぬんだああああああ!?」
セイリューの絶叫が響く。
「え? 出前、食わねえんっすか?」
ファイが、意味が分からないと言った表情で訊く。
出前を持ってきた人間の前で、出前を食べられないと言われれば、当然の反応だろう。
ここが死地でなければ、の話だが。
「当たり前だろう! 目の前にはマッドドラゴン! 周りにはストーンゴーレム! こんな状況で、どうやって食事を楽しめって言うんだよぉ!」
結論、ファイに悪意はなかった。
なぜならファイには、この状況がまったく死地に見えなかったからだ。
せいぜい、弁当箱に蟻が近づいてきているから食べる前に振り払っとかなければ、程度の光景にしか見えなかった。
「はー。なんだ。最初っからそう言って欲しかったっす」
「へ?」
ファイはダンジョンから出るのを止め、マッドドラゴンの方へ向き直る。
ファイの仕事は、出前だ。
出前とは、依頼者のもとに食事を届け、食べてもらうまでが仕事である。
つまり、依頼者であるセイリューが食事を食べられない現状の打破は、ファイにとって自身の仕事に含まれる。
「このダンジョン、マッドドラゴンは奥の奥で寝てるはずなんっすけど、なんでこんな手前まで出てきてるんっすかね? 昨日の大雨で、ダンジョンの奥が水浸しにでもなってるんっすかね?」
マッドドラゴンは本来、全身を泥に埋めたまま眠って過ごすドラゴンであり、巣に近づいたり攻撃を仕掛けなければ危険性はない。
が、巣の湿度が高くなりすぎた時と低くなりすぎた時は、快適な泥を求めてさ迷い歩く。
さ迷い歩く時は大抵の場合寝起きであり、機嫌が悪く、好戦的になっている。
「ぐおおおおおお!!」
マッドドラゴンが叫び、口の中に入っていた泥が飛ぶ。
「あっぶな!? 汚れたらどうするんっすか!?」
ファイは、弁当の入った風呂敷を掴んで背に隠し、横に飛んで泥を避ける。
そのままストーンゴーレムの頭の上に立ち、左側にいたストーンゴーレムの頭に風呂敷を置き、右側にいたストーンゴーレムの頭を掴む。
「こでれもくらってろっす!」
そして、ストーンゴーレムをマッドドラゴンの目に向かって投げつける。
マッドドラゴンは、ストーンゴーレムのぶつかった目を閉じ、痛みで頭を上下左右に動かし悶える。
ファイは、ストーンゴーレムから下りると一気にマッドドラゴンとの距離を詰め、マッドドラゴンが頭を上に挙げた瞬間、つまり首が一番よく見えたタイミングで首に向かって剣を振る。
ザンッ。
心地よい音共にマッドドラゴンの首は胴体から離れ、地面へと落ちる。
頭部を失った胴体からは力が抜け、手足の支えがなくなり、ズシンとその場に伏せた。
繰り返す。
ファイには、この状況がまったく死地に見えなかった。
ファイにとって、シルバーランクの冒険者を死地に追い込む程度の魔物など、敵でさえないからだ。
ストーンゴーレムは知性の高い魔物ではないが、目の前の相手が強いか弱いか判断し、強い場合に撤退する程度の思考能力はある。
マッドドラゴンという周辺で最も強い魔物があっさりと倒された様子を見て、ストーンゴーレムは命の危機を感じて逃げ出し始めた。
「おっと、お前は駄目っす!」
ファイは、一体を除いて、逃げていくストーンゴーレムを見逃した。
風呂敷を頭の上に置いている一体以外を。
ストーンゴーレムの頭は、円柱の形をしている。
ダンジョン内のテーブル代わりには丁度良い。
さっくり首を斬り落とし、頭ごとセイリューの前に置く。
手際よく風呂敷を開いて四人分の弁当を差し出せば、ダンジョンに似つかわしくない香しい香りが周囲に広がる。
「う、うーん……何の匂い……?」
「お、お前たち!?」
香りは、人の脳を刺激する。
倒れていたゲンブとビャッコも、弁当から漂う香りを前に、意識を戻した。
きょろきょろと辺りを見回し、マッドドラゴンとストーンゴーレムがいないことに驚き、意識を失う前までいなかったファイが立っていることに驚いた。
が、すぐにお腹がグーッと鳴り、視線は弁当へと移る。
「あ、これ」
「出前だそうだ」
「食べて、いいの?」
「もちろんだ」
ゲンブとビャッコは状況を把握する前に、弁当へと手を伸ばす。
セイリューとスザクも、死の恐怖で忘れていた空腹を思い出し、直後に手を伸ばす。
「うめぇ! これはなんだ?」
「イノシシの肉じゃねえか?」
「温かい!」
「うめえ! うめえよ! 死ぬかと思った!」
料理人にとって、作った料理を美味しそうに食べられることは最大の喜びであり名誉。
もしここにエニィがいれば、にこにこと四人を見守っただろう。
「じゃ、出前確かに届けたんで、俺はもう行くっす」
が、ファイの仕事は届けること。
美味しく料理を食べる人間を見ても、何も感じない。
ファイはさっさと次の出前先へ向かいたくて仕方なく、そのままダンジョンの出口方向にくるっと回転した。
セイリューとスザクの手が、ピタリと止まる。
二人は知っている。
ファイは、ボロボロの四人をダンジョンに残すことに抵抗がないことを。
そして、マッドドラゴンを退けたとはいえ、周辺には大量のストーンゴーレムが蠢いており、現在の四人だけではダンジョンを生きて出られる保証がないことを。
「全員立てえええええ!!」
セイリューは弁当を持って立ち上がった。
スザクもまた、急いで後に続いた。
「え?」
「へ?」
遅れたのは、ゲンブとビャッコ。
地面を蹴る音と共に、ファイの姿が一気に遠くへと跳んだ。
セイリューとスザクは、自身の武器を回収することも諦め、弁当を食べながらファイの背中を負う。
「ダンジョンに取り残されて死にたくなけりゃ走れ! あの人に、死ぬ気でファイさんについて行くんだ!!」
セイリューとスザクの背中も、あっという間に遠くへいった。
残されたゲンブとビャッコは、ダンジョンの奥にたった二人で残されかけていることだけわかった。
先程まで、死にかけていたダンジョンで。
「ああああああ!?」
「待って!? 置いて行かないで!!」
ゲンブとビャッコも弁当を食べながら立ち上がり、必死にセイリューたちの背中を追う。
後日談を言えば、四人は装備のほとんどを犠牲に、ダンジョンから生還できた。
アイは、四人の生還を喜び、出前ギルドへとお礼の手紙を送った。
「誰っすかそれ?」
なお、ファイはセイリューたちのことなど、とっくに覚えていなかった。




