356 求姫来風
――リメスの古祭壇。
皇国宰相ウィズベリアの天幕。
「やはり――娘だな」
突然そう言ったウィズベリアに、アラドが聞き返す。
「〝骨姫〟ですか」
「ああいう人道主義者ぶりが反吐が出るほど嫌いだった」
「我、関せずを決め込んでおられましたな。おかげで私は大変でしたが」
「議論する価値を感じなかったのだ。お前はどう思う、アラド?」
「未帰還兵の捜索と返還……言うのはたやすいが極めて難問です」
そう前置きしてから、アラドは難問である理由を語り出した。
「王国の未帰還兵とは、皇国からみれば『侵略軍の残兵』でしかありません。戦場となった地域の皇国人は、残兵に対し容赦しなかったでしょう。王国魔導騎士すらも落ち騎士狩りにあったと聞きます。魔導のない兵卒が生き残れるとは……」
ウィズベリアも頷く。
「しかもバビロンは残兵狩りに関知しなかった。好きにやれと放っておいたのだ」
「逃げそびれた王国兵は惨い最期を迎えたでしょうな」
「生き残りがいるとすれば……うまく化けた者か、あるいは奴隷となった者か?」
「奴隷は聞きませんなあ」
「ん……奴隷として拘束したところで、他の北部人に見つかればなぶり殺しにされようからな。念のため調べるが望み薄だろうの」
「……そういえば。珊瑚海まで出て、海路で逃げ落ちた集団がいたと聞いたことがあります」
「知らぬ。どこから出た話だ?」
「東商人です。当時バビロンにいて、侵攻の報せを聞いてもどうせ失敗すると高を括っておったのが、北部の大敗を聞いて慌てて海路に出て――そこで海上から見たのだと」
「眉唾だのう……事実だとして、そんなあやふやなものを追えるかね?」
「見つかるかはともかく、宰相閣下が仰るならば追いますが」
「閣下はよせ。……すまない、追ってくれ」
「ハッ」
アラドが皇都へ報せる【手紙鳥】の準備のため、天幕から出ていく。
彼の足音が遠ざかり、天幕に静けさが満ちる。
ウィズベリアは燭台の揺らめきを眺め、独りごちた。
「私はつくづく、雪梟に振り回されるのだな……」
――ウィズベリアの天幕から大天幕を挟んで反対側。
宮中伯コクトーの天幕。
コクトーとロロが一つの机を挟んで、今日の会議の書類をまとめている。
ふと、ロロが口を開いた。
「ウィズベリア様の仰った通り、ロッテン卿は誰かに唆されたのでしょうか?」
コクトーは羽根ペンを止めて宙を見上げた。
「ロクサーヌ卿も王前会議にいただろう。あの場でのロッテン卿を覚えているか?」
「ええ。初めてお目にかかりましたが……終始不満そうなお顔だったのが印象に残っています」
「さもあらん。本来、このような会談は外事部が取り仕切るものでね。もちろん各方面の有力者の意見も無視できぬから、あの王前会議のような話し合いが設けられるのだが……あの会議、ロッテン卿は蚊帳の外だっただろう?」
「ああ、ですね。いろんな方が発言されて、ロザリーさんも……でもロッテン卿は存在感がなかった。特に、一番目立っていたのは……」
「そう、シャハルミド院長だ。おそらく、あの会議を仕切れず苛立っていたロッテン卿にギオネス総長あたりが囁いたのだろう。このままでは外事部までも魔導院に取り込まれるぞ、とな」
「聖堂騎士団の!? 魔導院と仲が悪いんですか?」
「とりわけそういうわけでもないが。ただ、魔導院は大きくなり過ぎたのだよ。だから各方面からこの手の茶々が入る。シャハルミド院長が健在のうちは何の問題にもならないが」
「問題大ありですよ! そんな内向きの諍いで外交の場を荒らされて! ここにシャハルミド院長はいませんし!」
「あの程度、荒れたうちに入らんよ。両国の文官同士が取っ組み合いを始めてやっと、多少荒れたと言える」
「え……外交とはそういうものなのですか?」
「そういうものだよ。……そうだ、ロザリー卿は? 姿が見えないが」
「あ。少し外を歩きたいと」
「……何だと? ここは皇国領だぞ?」
「ウィズベリア様の許可は取ると言ってました。散歩するだけだからと」
「ならよいが……全速力でバビロン方面へ駆けて行ったりはすまいな?」
「そんな、まさか!」
「間違いないな?」
「たぶん……おそらく……」
「頼むぞ? 他の魔導八翼とかち合いでもしようものなら、あちらは国家防衛の大義名分をもって挑んでくるからな? そうなればもう、友好どころの話ではないぞ?」
「せ、戦争の口火に、とか……」
「無論、なり得る」
「私っ! ちょっと探してきます!」
「駄目だ」
「なぜです!」
「ここは皇国領だと言っているだろうが。王国人が勝手に歩き回れる場所ではない」
「あ……すいません」
ロロはしゅんとして、しかしすぐに顔を上げた。
「でも、じゃあなぜコクトー様は私を焦らせるようなことを仰るのです」
コクトーは鼻で笑った。
「ロクサーヌ卿の焦る様が面白いからだ」
「……はあああああ!?」
「私の部下は冷静沈着な者ばかりでな。卿のようなタイプはいないのだ。どうだ、王都守護騎士団を辞めてこっちへ来ないかね? 相応のポストを用意するが?」
「む~っ。結構ですっ!」
――再び、ウィズベリアの天幕。
女宰相が天幕から出て風に当たっていると、もう一人の大魔導がこちらへ向かって歩いてくるのに気づいた。
「どうされた、ロザリー卿?」
微笑みを持って迎えると、ロザリーはへりくだるような笑みを向けてきた。
「ウィズベリア様。ちょっとご相談が……」
「おいおい、未帰還兵の件以上の難題は勘弁願いたいぞ?」
「違うのです! ええと……」
そのとき。
ぶわっと突風が吹き抜け、ロザリーとウィズベリア両者の長い髪が真横に靡く。
「……リメスの草原って風が豊かで。大陸の息吹を感じるような心地がして」
「ほう?」
「だから少し……少しだけでいいから、外を歩きたいのです」
「なるほど。お願いというわけか」
「はい」
ウィズベリアは風の来るほうを見つめ、目を細めた。
「皇国の地は広大だ。風もまた違おう」
「……それって?」
「一時間だけだぞ?」
「っ! 感謝いたします!」
こうしてロザリーは夜の草原に降り立った。
古祭壇の石垣の真南には剣王配下を含む皇国騎士たちや、天幕運搬を担った人足たちの野営陣地があった。
だからロザリーは彼らの目につかぬよう南西のほうへ進み、古祭壇や野営の灯りが小さく霞むところまで、闇に紛れて歩いていった。
やがて、なだらかな丘を見つけた。
夜風の起こす草のざわめきを聞きながら、傾斜を一歩、一歩、登ってゆく。
そして、丘の頂上に出た。
「うああ! 風、つよ!」
思わず出た大声も、ゴオオオ――という強風にかき消される。
その丘は周辺で最も標高の高い場所のようで、草原を広く見渡せた。
南西の方角から何の障害にもぶつからずに吹いてくる風が強烈で、ロザリーはその圧に負けて目を閉じた。
――すると。
「風が……止んだ?」
急に圧がなくなって、ロザリーが目を開く。
いつの間にか、目の前に青年が立っている。
草原の青とも蒼天の青ともつかぬ神秘的な青の髪は、目元を隠し鼻先まで伸びている。
細身で、背が高く、どこか気怠そうな空気をまとった青年だった。
「あなた、誰?」
「誰でもいいさ」
少しだけ風が吹き、彼の髪が靡く。
そのとき見えた顔はロザリーよりはっきりと年上だが、どこか少年の面影も残っていた。
「この風は――」
青年が南西を指差した。
「――このずっと先、風の丘から吹き下ろす」
「風の丘?」
「かつて風の都ウィンディアがあった場所だ」
「あった……今はないの?」
「今はない。みんな消えた。風のように立ち去った」
「そう。悲しいね」
「昔のことだ。悲しくはない」
「そう? 悲しそうに見えるわ」
「……僕が?」
青年がロザリーを見つめる。
彼の瞳は草原を光る風のように輝いている。
ロザリーは輝く瞳を見つめ返し、尋ねた。
「どうしてここに?」
「往く宛てがないのさ」
また風が強くなった。
青年はゆっくりと、静かに言った。
「本当は……君に会いに来たんだ」
「私を知っているの?」
「会ったことはない。でも知ってる」
「そうなんだ。もしかして、お母さんの知り合い?」
青年が初めて笑った。
途端、突風が吹き抜ける。
ロザリーは髪を押さえ、身を丸くして風に耐えた。
そして――。
「あ、れ?」
顔を上げると、青年の姿はなかった。
ロザリーは狐にでもつままれたような気分で、丘の上に立ち尽くした。
――風の都。
皇国の地理に疎いロザリーには、それが本当に存在したのかわからない。
でもきっと、確かに存在したのだろうと思った。
「あ、雷」
後方で雷光が走った。
雨の到来を予感して、ロザリーは丘を降りていった。
やっと出てきた例の方。
会議パートで一番やっておきたかったのがこのシーンになります。
ちなみに二番目にやりたかったのは次話です。





