354 宮中伯の隠し玉
――会議は続く。
ロッテン卿が黙して以降、会議はスムーズに進んだ。
まず協議で決定したのは――
・休戦協定は現在も有効であると両国代表が認め、調印文書を交わすこと
・新たに休戦期間を三年と定めること
――の、二点であった。
三年という短い期間に不安を覚えたロザリーは、つい口をついて言ってしまった。
「たった三年?」
それを聞いたウィズベリアはにこりと笑い、言った。
「前回の無期限というのが逆に曖昧だったのだよ。期限が近づいて不安に思えば、また延長すればよい」
「そう、なのでしょうか……」
「延長するためには、また三年後にこうして会談を設けなければならん。互いに顔を合わせる機会を設けることこそが、平和への近道とは思わぬか?」
「それは! そうかもしれません」
「で、あろう?」
「では三年後にまたウィズベリア様に会えますね?」
「フフ……ここで確約せねばならないか? これは困ったな……」
こうして休戦期間が決まり、そのあとはコクトーとアラドを中心に両国の外事官と外務卿たちが協議し、次のことが決まった。
・緩衝地帯の明文化
・緩衝地帯内付近に見張り塔を置くことを互いに認める。
ただし、見張り塔の大きさと駐留人員は両国同一の規格に準じる。
・休戦期間終了時、見張り塔は即時破棄する。
・休戦期間は随時、延長することができる。
協議を終えたアラドが言う。
「こんなところでしょうか。両国の団長がご納得であれば、以上の内容で調印文書を作成しますが」
ウィズベリアが書面を眺め、ゆっくりと頷く。
「ふむ。私からは特に付け加えることはないが。宮中伯殿はどうか?」
「私もございませぬ」
「であれば、さっそく調印を――」
「――お待ちを。休戦協定とは別に、この場で王国側から提案したい議がございます」
コクトーの発言に、ウィズベリアが片眉を上げる。
「ほう。それは?」
コクトーは隣に座るロザリーに目を向けた。
「ロザリー卿。ここからは卿が話したまえ」
言われたロザリーは、緊張した面持ちで立ち上がった。
ロロが小声で「ロザリーさんっ、がんばっ!」と声援を送る。
ロザリーは静かに切り出した。
「私からご提案させていただくのは、事前に送った文書にも概要を記しておりますが――十六年前の戦争、獅子侵攻における未帰還兵のことです」
「ああ……あれはロザリー卿の発案であったのですね」
そう言ったアラドも、皇国の外務卿たちも反応が悪い。
「お気持ちはわかる。ですが……」
そう言って、アラドがウィズベリアの顔色を窺う。
そのウィズベリアは手元の書類に目を落としたまま、無視を決め込んでいる様子。
アラドはため息をつき、それからスッと目を細め、ロザリーを見据えた。
「十六年も経って、なぜ今さら?」
「十六年経っても、まだ待っている家族がいるからです」
「それはいるでしょう。私のかつての友人にも戦時行方不明者がおります。彼の奥方は今も夕食には陰膳を作ります。どこかで生きている彼が、その地で飢えないように……ですから、お気持ちはわかります。ですが、今さら探して見つかるものとも思えません」
「失礼ですが、そのご友人というのは魔導騎士では?」
「ええ、そうですが」
「騎士については当時から何度も捜索が行われたことが記録にあります。捕虜に取られても、のちの人質交換のためにリスト化され、処刑などはまずされなかった。しかし、魔導のない兵卒たちは?」
「……わかりかねます、な」
「問題としているのは、その兵卒たちのことです。私どもは今回、王国側の記録を調べてきました。重要視されていない情報の上、十六年の月日に埋没していたので、とても苦労しましたが」
そう言ってロザリーは席に座り、隣のロロの太ももを、テーブルの下でぽんと叩く。
ロザリーが議論するための情報を集めたのは彼女だった。
ロロが立ち上がり、一冊の古い本を掲げて見せた。
「これは王国立魔導書図書館において非公開となっていた、ある騎士の日記です。彼は部隊長として獅子侵攻に従軍していました。日記の後半は敗走記録になっています。捕虜に関わる部分だけ、読み上げます」
敗走記録という言葉に、王国の外事官たちがわずかにざわついた。
ロロが日記を読み上げる。
「――二十七日目。正午。撤退が決まった。高位貴族の遺体と遺品、軍品を持ち帰れと命が下る。荷馬車はあるが馬は逃げた。人も足りない。担いではとても運べない。どうすればいい?」
「同日、日暮れ。早くも落ち騎士狩りが来た。ニド様の部隊に蹴散らされ、落ち延びていた兵卒たちのようだ。迎え撃って三十二名を捕虜に取った。これで荷馬車を動かせる」
日記は非現実的な戦場の光景を淡々と語る。
簡潔であるがゆえに真実味があり、議場の者たちは引き込まれていった。
ロロは何度も読み込んでいるらしく、淡々と流れるように読み上げていく。
「――三十日目。レオニードの門が通れないとわかった。北部連合が飛竜渓谷を封鎖しているらしい。来た道を戻れと命が下る。まさか、ハイランドを迂回する気か」
「――四十五日目。西方は厳しい。道はなく、食料もない。蛮族の襲撃もあったと聞く。私は家に帰れないかもしれない」
「――五十一日目。捕虜が死に始めた。誰も同情はしない。次は自分の番かもしれないからだろう。腐敗した高位貴族の亡骸と軍品を捨て、馬車を減らした。幾分、マシになった」
「――六十日目。捕虜が半分になった。騎士に荷馬車を引けと命じる日がこようとは」
「――六十日目、夜半。王国領から救援の輜重部隊が来てくれた! 食料を捕虜にも配る。もう死なれては困る」
ここでロロが話し口調に戻り、注釈を入れる。
「このとき、この部隊長は捕虜に取った兵卒の身元を聞き、名簿を作っています。補給を受けてからは順調だったのか、日付と現在地のみの日記が続きます。そして日記の最後に、捕虜の処遇について書かれています」
ロロはコホンと咳をして、最後の日記を読み始めた。
「――王都帰還七日目。ポートオルカにて、捕虜十六名を船に乗せた。皇国行きはなく、東方便だ。遺品を持ち帰った貴族家から謝礼金が出たので、彼らに余分に渡すことができた。彼らは私を恨んでいるだろうに、礼を言う者もいた。中には『捕虜を逃がして咎められやしないか』と私の身を案じる者までもいた。構うものか。そのときは王や高位貴族の前で言ってやるのだ。『あなたたちが負けたからこうなったのだ』と」
日記を読み終わったロロが席に座る。
議場は静けさに包まれたままだ。
入れ代わりにロザリーが再び立ち上がり、口を開く。
「このとき東方へ行った十六名がどうなったのか。これ以降のことはこちらの資料ではわかりません。でも、皇国側で調査したら彼らの行方がわかるかもしれませんよね? 両国で協力して調べることの意義はここにあります。他の戦時行方不明者についても、こうして両国で情報を一つ一つ積み上げていけば全容が――」
「――徒労に終わるだろうな」
「!」
冷たい言葉で口を挟んだのはウィズベリアだった。
「ロザリー卿がおっしゃっていることには前提がある。戦時行方不明者が戦場で死なず、生き残ったという前提だ。しかしここでいう戦時行方不明者とは魔導のない者たちであって騎士ではない。今から探して、実は生き残っていたなんて者がはたしてどれだけいるかな?」
「わずかでも見つけ出せたら、それだけで価値があるとはお思いになりませんか?」
「フ……どうだろう。その日記の十六名も、生き残っていればとうに帰郷しているのでは? そうでなければどこかで野垂れ死んでいる。国が多大な労力を費やして調べる価値のある情報とは思えないな」
「……たとえ死んでいても。死んだという事実を家族が知らないのは不幸なことです」
「そうだろうか。知らないままなら、どこかで生きているかも――そう希望を抱くこともできよう。父が帰らぬ息子にわざわざ『十六年前、お前の父はたしかに死んでいた』と報せることが正しい行いだと思うのか?」
「ええ、そうです。私だったら、家族がどうなったのか知りたい。死んだのが事実なら、どんな最期を迎えたのか、その顛末も知りたい。……アラド卿、ご友人の奥方は知ることを望まれないでしょうか?」
アラドは黙って背を丸め、俯いた。
ウィズベリアが言う。
「死霊騎士だから……か?」
「どういう意味でしょう?」
「卿の発言は遺族に寄り添っているようでその実、死者に想いを馳せているように聞こえる」
「……そこに差をつける必要がありますか? 分けられないものだと考えますが」
「いずれにしても、死への情だ。情ばかり乗って利が見られない」
「利……多大な労力を費やすことはわかります。でも、利益がそんなに大事ですか?」
「国を預かる身ならば当然だ。ロザリー卿は利を重んじられない?」
「私にとって家族を待つ国民に報いることも、ひとつの利です」
「ふむ……それで黄金城や巨塔の何人が納得するだろうか……」
その後もロザリーは必死に説得を試みるが、ウィズベリアが相手となってからは旗色悪く、話が進まない。
夕刻になって今日の協議も終わりに近づき、この提案はこのままお流れか――そんな空気が議場を支配してきた矢先。
ふと、コクトーが大天幕の入り口に目をやった。
「お話の途中、失礼。私が呼んでいた者がようやく到着したようです。中へ招いても?」
ウィズベリアは迷惑そうに顔を顰めた。
「今からか、宮中伯殿」
「ええ。今がよいのです」
ウィズベリアはため息をつき、「どうぞ」と許可を出した。
コクトーが入り口に向かって叫ぶ。
「入りたまえ!」
入り口の垂れ幕が上がり、一人の体格のいい騎士が入ってくる。
その人物を見たロロは、あたふたとしながらロザリーの服の裾を掴んだ。
「えっ? えっ? ロザリーさん!」
ロザリーはこれ以上ないくらい大きく紫眸を見開き、議場の末席で足を止めた彼を見て、ついに叫んだ。
「グレン! どうして!?」





