番外編その2 京介の過去
よろしくお願いします
落ち着いた喫茶店に漂うコーヒーのアロマが疲れた脳を穏やかに癒す。
まさに勉強に疲れた学生にピッタリな場所だ。
しかし、
「ひゃはっ!わっかんね!」
俺はあまりの難しさに大学入学試験対策の教材をその場で投げ捨てた。
「京介くん。まだ分からないのかい」
渋い中年の男性が本を拾い上げ、軽くホコリを払い、俺の前のテーブルにそっと置いた。
「そうは言ってもマスター……俺、偏差値30だぜ?大学なんて無理に決まってんでしょ~」
「確かに厳しいかもしれない。でもね、そうすぐに諦めるもんじゃないよ。
私が君たちくらいのころはね、ろくな職業に就けずに──」
マスターの言葉を右から左へと華麗に聞き流し、コーヒーを啜ると、妖精のようにカウンターの中へとことこ歩いていくちっさい生き物を見つけた。
「?マスター、子供いたの?」
「人が話してるときに──っとそうかまだ言ってなかったな」
マスターが子供を手招く。
すると、子供はおずおずとカウンターの裏から顔を出した。
「こいつは俺の姉貴の息子でな。可愛いだろ」
ワシャワシャと頭を撫でくり回され、明らかに不機嫌そうな顔をする少年がおかしくって吹き出しそうになった。
子供はなに笑ってるのといった感じで上目遣いでこちらを見てきた。
「ふふっ……初めまして。俺は神谷京介っていうんだ。君のお名前は?」
子供は気恥ずかしそうに答えた。
「……瞬太郎しゅんたろう。奏多かなた瞬太郎」
「カナタ……カナタくんね!」
俺は明るく手を差し出した。
カナタは一瞬、怯えるように震えたが、すぐに俺の手をとった。
「京介くん。私は少し店を開けるから今日も戸締りお願いしていいかな」
「おう。オッケー牧場」
手でオッケーのサインを作り、マスターに送った
「牧場……?」
「そっ!オッケー牧場!ほらほら君も!」
「こ、こう……かな?」
カナタはたどたどしく俺と同じサインをした。
少年の表情からは嫌悪の念が伺えるが、別に本気で嫌がってはいないらしい。
子供との付き合い方が分からないから、手探りでやっていくしかないな。
だからこそ、こうやっておちゃらけた方が彼にとっても気が楽でいいだろう。
「それじゃあ行ってくるね。瞬太郎、お母さん夕方には帰ってくるから。よろしく伝えておいてね。
京介くん!またね!」
マスターがせわしなく外へ出ていくのを見届けて、店内にはドアについていた鈴の音が反響する。
「さてと……」
何をしようか。勉強はとうに飽きている。
かと言って、DSなんてものは持ち合わせていない。
そうだ!あの子と遊ぼ……っていねーし。
「あれれ?」
店内のどこにもカナタがいない。
すると、カラカラと入り口の方から鈴の音がした。
「すいませーん。今日はもう閉店……どうして来た」
「つれないやつやなぁ。せっかく兄貴が来てやったってのに」
入ってきたのは奇抜な服を身にまとった俺の兄だった。
ガムをクチャクチャと噛みながら、椅子に粗暴な手つきで座った。
「バイト先にまで来やがって……」
「おめー口の聞き方気ぃつけろよ?誰が、てめーの大学入学を手伝ってやってると思ってんだ」
「……」
俺が入ろうとしている大学の入学金を払う金が我が家には無かった。
しかし、ここ最近になって莫大な収支があった。
兄貴がヒーローになったことで、俺が大学入って卒業するのを二回続けてやれるくらいの金が入ったのだ。
兄さんは俺が、彼女を殺したことを告げ口しないことを交換条件に今回の金の工面をしてくれた。
最初は彼女の死を利用することに躊躇ったが、思いのほか簡単に受け入れられた。
やはり、俺はこいつの弟なんだと思い知らされた。
「まっ。そんな暗い顔すんなや。別にええよぉ。
かわいい弟のためや。かまへんかまへん」
「……それでも今は店を閉めてるんだよ。来るならやってる時に来てくれ」
それからあんまりにもゴネるから、一つコーヒーを淹れて返すことにした。
おいしい淹れ方は店長の仕事を見て、盗んだ。
しかし、こいつにおいしいコーヒーを飲む資格はない。なので、一番不味い淹れ方で作ったコーヒーを飲ませてやった。
「なんか渋ない?」
首を横にふり、一番美味い淹れ方だからお前の舌がおかしいと言って、代金を奪い取った。
それからしばらく店の中に居座っていたので途中からイライラして、店外へと放り出した。
綺麗になった店内に、橙色の陽光が差し込んだ。
そんなに時間が経っていたのかと思ったのと同時にあいつごときに時間を浪費したという事実がひどく心を逆なでしてくる。
ほどなくして、カナタが帰ってきた。
どこに行ってたのかを聞いても、何も言わずに店の奥に姿を隠してしまった。
追えばいい話だが、追うのは何か違う気がする。
向こうが話したがらないのなら、無理に話す必要はない。
「すいません……」
若い美人のお姉さんがキョロキョロと辺りを警戒しながら店に入ってきた。
あまりに美形だったために変な声が出てしまい、顔が熱くなる。
「?あの……バイトの方、ですよね?弟からお話を聞いております。
私、瞬太郎の母です」
「人妻……」
(あーカナタくんの!)
「ひ……?すいません……聞こえませんでした」
まずい!逆だ!
「ああいえ!カナ……シュンタロウくんのお母さんでしたか。
シュンタロウくんなら店の奥にいますよ。
今呼んできますね」
恥ずかしい!はずかしい!
早くこの場からいなくなりたい!
「いい」
カナタがむすっとした顔で奥から出てきた。
しかし、妙だな。この親子の間から気まずさを感じる。
どちらかといえばお母さんの方が申し訳なさそうにうつむいているし。
「そ、それじゃあ私たちはこれで……行くよ瞬太郎」
カナタはお母さんの手をとり、二人は家に帰っていった。
その背中は悲しげで、せつなさを帯びていた。
俺も店を早いところ閉めようと、ドアにかけられたopenの札を裏返し、closeにした。
「ちょい兄ちゃん」
今日は来客が多いな。
次に来たのは強面のおっかないおっさんだった。
おっさんは俺の前に威圧するようにずんと立ち、聞いてきた。
「あの女とどういう関係よ」
「はい?」
あの女っていうと、流れ的にあのお母さんか。
「いや、関係と言われても」
さっき会ったばっかりですし。
「言えないの?」
その顔で凄まれたら怖いって。
「いやさっき会ったばっかりですよ」
「ほんとだろうな」
めんどくさいなこいつ。ついつい口調が荒くなってしまいそうだ。
こっちが下手に出てやってんのに調子乗りやがって。
「ほんとだって」
「あ?」
おっとつい。毎回思うけど、なんでこいつら敬語で話さないんだ?
この間だってイキッた高校生カップルがタメ口きいてきたから、のしたばっかりだってのに。
本当に面倒くさい。
「ですから、あの方とは初対面だって言ってるじゃないですか」
「んだとてめー?」
「あ?俺今普通に返したよな?」
「──あなた!ちょっとやめてよ!」
さっきのお母さんが息を切らしながら旦那の腕にしがみついた。
くそ。羨ましい。
なんでこんなやつが、こんな綺麗な人を奥さんにもらえるんだよ。
「ごめんなさいバイトさん。今、帰りますから」
「離せ!バカ!俺は今、こいつと話してんだよ!」
「きゃあっ!」
旦那は、しがみついていた奥さんをそのまま投げ飛ばした。
奥さんはテーブルに頭を打ち、その後、ずるりと床に伏した。
何が起きたか、理解出来なかった。
お母さんは紅の水をとくとくと流しているのに、ピクリとも動かない。
俺は急いで、お母さんのそばに駆け寄った。
旦那が後ろから「やっぱりお前ら出来てたんだな!」と、喚き散らしているのを無視して、お母さんの脈を測った。
少しだが、微かに振動を感じる。生きている証だ。
だが、一刻も早く病院へ運ばないとダメだろうこれは。
「きゅ、救急車」
俺は店にある電話を飛びつくようにとり、救急を呼ぼうとした。
すると、後頭部から衝撃を感じた。
旦那が俺の頭に椅子の角をぶつけていたのだ。
「てめー!とち狂ってんのか!?奥さん死にかけてんだぞ!?」
訳が分からない。大した痛みでもないので、気にせずかけ直そうとした俺の手よりも早く、旦那が椅子で電話を叩き壊した。
俺の携帯は今故障中でここにはない。
そして、この店には破壊された電話以外の電話はない。
あるとしたら、旦那がもっている携帯電話だが。
「お前……俺の……俺の女を取ろうって魂胆だな?させねーさせねー!!」
どう考えても話が通じない。
外に言って、公衆電話からかけるか?いや、間に合うのか?
「考えても仕方ない……」
外に出て、10分くらいするところに公衆電話はある。
全速力で走っていけばなんとかなるかかもしれない。
「──おーおーこいつはひでーな」
走りだそうとしたその時だった。
後ろから旦那ではない別の男の声がした。
振り向くと、旦那の胸から腰までが渦巻き状にねじれているではないか。
その横で椅子の背をこちらに向けながら、にやにやとこちらを見る男。
こいつのこの感じ……怪人だよな。
異形の形に変貌した体は血を吹き出し、店内で真っ赤な爆発が一瞬起きた。
「あんた……あんた何してんだよ……」
俺はそいつに近寄ろうとしたが、足を踏み出せなかった。
戸惑いではない。ましてや、恐怖でもない。
言いようのない警報のような物が頭の中で鳴り響いているのだ。
「お、勘がいいねぇ。部下に欲しいくらいだよ」
男は人を小馬鹿にした笑い方で足元に転がる肉塊を踏み潰した。
どうする。救急者を呼びに行くべきか。その前にこいつを……。
「ん?ああ……この女が気になってんの?アハハ!この女はどうせ死ぬんだからから気にしなくていいよ。
──俺さぁこいつに大事なデータ盗られてさぁ。イライラしてんだよね」
男はゆっくり立ち上がり、お母さんの頭を踏みつけた。
お母さんが低く呻き、一層血を流し始める。
全身の毛が逆立ったような気がした。
この人たちの間に何があったのかは知らない。
だが、女を弄ぶような男の性根が俺はすこぶる気にくわない。
「てめー……」
「なになに?なんか文句でもあんの?」
「大ありだよ……どんな理由があっても女を殺すようなことあっていいわけがねー!」
「じゃあこの男は殺して良かったわけ?
俺嫌いなんだよねぇ……君みたいな女を守りたがるフェミニスト。
今の時代、男女平等だろ?男に死がもたらされるなら等しく女にも同じ死を。
それが道理じゃないの?」
「道理なわけねーだろ……早くその人から足を退かせ。
時間がねーんだ」
怪人は何かを思いついたような顔をすると、俺を指さした。
「それじゃあ君、俺の部下になってよ。
部下になれば、君のやりたいこと全部できるよ。あっそうだ!この女も君にあげよう。
こいつ結構上玉でさ。うちの水でも大人気の子なのよ。
どう?悪い話じゃないでしょ?」
俺は即答した。
「ぶっとばす」
「……それは残念」
俺は目の前の怪人に風をぶつけ、お母さんから離そうとした。
「どいつもこいつも化け物かよ……」
しかし、怪人は微動だにせず、こちらを凝視した。
見定めるような目線に不快感が募る。
「くそ……なんで……なんでなんでなんで!」
俺はまた何も出来ないのか!?
風を一点に集中させても、怪人は顔色一つ変えやしない。
旋風になりつつある風にテーブルが壁際まで押しのけられる。
「はあ……良いと思ったのになぁ。本当に残念だよ」
怪人はゆっくりと頭を踏み始めた。
アルミ缶を踏むように。虫けらを踏み潰すように。
「やめろ……まて……やめろ……」
「君が選択したんだ。責任はとるべきだろう。
見届けなよ。この女の結末を。君が選んだ。この女の死を」
メキメキと頭蓋が変形していく。
ラグビーボールのようにひしゃげた頃、お母さんの目や鼻から、なけなしの血が噴き出した。
──凄惨。
その言葉がこの光景のために生まれたのではないかと思える。
「やめてくれ……その人には子供がいるんだよ……」
「それじゃあその子供も殺そう。一人ぼっちは寂しいからね」
怪人は穏やかに笑った。それが親切と思っていそうなほどに。
「そう落ち込まないでよ。その前に君を殺すから。
君はこれ以上辛い思いはしない。安心して」
お母さんの脳漿が辺りに散らばった。
きっと、楽しい思い出や苦しい思い出、そして、シュンタロウくんとの暖かな記憶が詰まっていただろうに。
それらは跡形も無く、冷えた床に広がり、俺の風によって壁に打ち付けられた。
「あ……あああ……なんで……俺……おれはぁぁ」
何がダメだった?俺がこいつの誘いを断ったから?いや、それよりも俺がこいつよりも弱かったからか?
なんで、こんなに良いことが起きないんだよ
俺は英雄戦技ヒーローズセンスを使うのを止め、その場にへたり込んだ。
「君はいい才能の持ち主なのに。残念だ。
来世はもっと賢くなれるよう祈りなよ。出来損ないの弟くん」
終わりだ。何もかも。
結局、俺は何も出来ない。兄さんのように優秀にはなれない。
だから、彼女を盗られた。
だから、一人の母親も助けられない。
もう、無理だ。俺はこれから死ぬのだ。
「それじゃあね」
「きょぉぉぉぉすけぇぇぇぇぇぇl!!!」
遠くから声が聞こえた。
──その声は俺がこの世で最も嫌いな男の叫び声だった。




