277 世界の底
『愛する我が妻よ』
『何です、我が最愛のポセイドン様?』
神夫婦が互いを呼び合うフレーズが、あまりに熱烈すぎてエイジ始め人類サイド引く。
『やはり一刻も早くアテナを押さえるべきではないか? ヤツが力を失ったのは事実だが、愛するお前に苦しみを味あわせた罪神、放置するわけにはいかぬ』
『たしかにそうですが、アイギスの盾を失った彼女は、もはやこのネキュイアの海を脱出することすら叶いません。やがて逃げるのに疲れ果て、みずから出頭してくることすらありえます』
ネキュイアの海。
かつて、そこに向かえと示された場所の名だが、どうやらこの深海世界そのものを指す名だったらしい。
「……メドゥーサ様」
エイジが神の会話に割って入る。
「僕からもお願いします。……あのアテナという異神、力はなくとも底なしの邪悪さが残っています。あれある限り、侮ってはいけない」
『……!』
エイジからの進言にメドゥーサの神は沈思。
『たしかにそうです。私は彼女から嫌と言うほど騙されていなから、まだ警戒心が足りなかったようです』
その大らかさこそが神らしいと言えなくもないが。
『このネキュイアの海は我が神域。その内部にいる限りどこに隠れていようと、すぐさま察知できます』
『追って捕まえれば、封印しようと消滅させようと我らが胸三寸よ。数千年に及んで積み重ねてきた罪の償いをきっちりさせてやろう!』
男神ポセイドンが鼻息荒く言う横で、女神メドゥーサは静かに目を閉じていた。
精神を遊離させて、神域と同化し、その内部を探知する。
どこかを彷徨う異神アテナを探しているようだが……。
『ッ!?』
すぐさまカッと目を見開いた。
『そんな……! そんなバカな!! 何故彼女があそこへ侵入できているの!? アイギスの盾を失って、そんな権限は残ってないはず……!?』
ワナワナと震えだす。
その態度で、尋常ならざることが起きたというのが全員に伝わった。
『どうしたのだ我が妻よ……!?』
『説明している暇はありません! 一刻も早く止めなければ! 皆さんごめんなさい! 全員で飛びますわよ!!』
エイジたちは聞き返す間すらなく、気づいた時には目の前の風景が消え去った。
一瞬だけ真っ白になったかと思えば、まったく別の風景に切り替わっていた。
「えええッ!? 何々!?」
「場所が替わった!?」
セルンもギャリコも、その突発的な事態に驚くばかり。
「一瞬で飛ばされた……!? 空間を歪めて……!?」
自分たちに起きたことをそう分析するしかないエイジだった。
恐らくは女神メドゥーサが神の力をもって瞬間移動させたのだろう。
周囲の気配から、場所はまだネキュイアの海の内部であると推察できた。
「……ッ?」
エイジは、鼓膜に違和感を感じた。
まるで外から押されるような感覚。
「より深い……、海底……?」
『アテナ!!』
メドゥーサ神の逼迫した声が飛んだ。
反応して振り向くと、そこにはたしかに元凶アテナがいた。
この世界を滅茶苦茶にした張本人。
ついに追い詰められ年貢の納め時かと思われたが……。
様子が違った。
追い詰められているはずのアテナがニヤニヤと笑い、逆にメドゥーサ女神の方が切羽詰まった表情をしている。
『アテナ……、アテナ何故アナタがここに侵入できたのです!? ここには誰も入れないように何重ものプロテクトがかかっていたはず!?』
『バァカ! 私がお前の権能を私物化して何千年経ったと思ってるのよ!? お前のプロテクトの解除法自体は、この頭の中に入ってるわ!!』
アテナ神は、背後にある大きな壁に手を付いている。
まさしく『追い詰められた』という風情なのに、何故あそこまで強気でいられるのか。
『それでも……、解除してすり抜けるのに時間がかかってしまって……、クソッ! 寸前で追いつかれてしまうとは……!?』
『アテナ……、もうアナタの負けです。大人しく投降しなさい。これ以上罪を重ねてどうします?』
いまだ緊迫したやりとりは続いている。
「一体、この場所に何があるというんだ?」
周囲の雰囲気から、ここがまだメドゥーサの神域ネキュイアの海で、海底であることはわかる。
しかしこの場所に一体何が……。
『お……、おお……!?』
「ポセイドン?」
共に瞬間移動してきた男神ポセイドンが震えている。
『何と言うことを……! 何と言うことをしようとしているのだ……! アテナ、ここまで邪悪だったとは……!?』
「ッ! ポセイドン神、一体何なのです? この場所に何があるというんですか!?」
業を煮やしたエイジが尋ねる。
それに対するポセイドンの回答は、想像を絶するものだった。
『ここはネキュイアの海の最深部……! 同時に、この世界全体の最下層とも言える……!!』
「!?」
『ここには、世界全体を支える柱石が安置されているのだ。それが失われたら……!!』
「まさか……!?」
『世界は支えを失って崩壊する!!』
まだ知らぬ者たちの胸中を激震が駆け抜けていった。
「コイツまさか……!?」
「自分がもうジリ貧だからって、世界を道連れに自爆しようっていうの!?」
「なんと往生際の悪い……!? 卑劣極まります!!」
差し迫る事態の大きさを知り、改めて緊迫する。
最悪の状況が実現しつつあった。
アテナは邪悪に嘲笑う。
『道連れ? おほほほほほほ!! 思い上がった言い方をしないことね! 私がこんなクズ世界と心中するわけないじゃない!!』
「何だとッ!?」
『メドゥーサから聞いているでしょう? 私は結局、別の世界から流れ着いた異邦神。この世界がなくなれば、また別の世界へと流れていくだけのこと……!?』
異神アテナに、この世界への執着は微塵もなかった。
所詮は、自分が好きに弄ぶことのできるオモチャ以外の認識はなかったのだ。
『世界崩壊のドサクサに紛れて神々から逃げおおせれば一石二鳥。どっちにしろアイギスの盾がなくなって、私はもうこの世界に何ら権限を持たなくなった! だから壊れてしまって一向にかまわない!!』
そしてアテナは流れていき、また別の世界で同じように人を弄び続ける。
「勝手な言い草を……!?」
『お前たちのせいよ! お前たちが私からアイギスの盾を奪ったのが悪いのよ!! そのせいで世界は滅ぶ! その大罪を噛み締めながら死んでいくがいいわ! 世界と共に!!』
「黙れ! 世界を壊そうとしているのはお前だ! お前が悪だ!! お前の犯した罪を他の誰にも擦り付けさせはしない!」
必ず償わせる。
そこに集った全員が同じ思いだった。
『お前の思い通りにはいかんぞ異神……!!』
男神ポセイドスが、怒りを込めて言う。
『世界全体を支える大柱石。そう簡単に崩せるものか。アイギスの盾を失い、妻の神力を扱えなくなったお前ならなおのこと。死力を振り絞ろうと崩し去るのに何ヶ月かかるやら……!!』
無論そんな猶予を誰も与えない。
柱に攻撃を加えるより先にポセイドンが、エイジがセルンが、何百回と死に絶えるであろう攻撃をアテナに加えるだろう。
『お前の敗北は決定したのだ。さあ投降しろ、かすり傷といえども礎石に与えるのは恐れ多い』
『くくくくく……! あっはははははははッ!!』
しかしアテナは勝ち誇ったように笑い始めた。
『やはり数千年とモンスター化していたバカは何も知らないようね! いいわ教えてあげる! この世界を支える柱石が、どんな状態になっているか!!』





