262 聖剣の勇者
エイジに寄って砕かれた覇聖剣は、粉々の欠片となってもその場を彷徨っていた。
星屑のような破片となって、砂金が舞い踊るかのように。
その破片が、一つの者を取り囲むように吸い寄せられる。
それはセルンの下。
さらに破片はセルンの体を昇っていき、手の先、青の聖剣へとたどり着く。
『私を解放してくれた乙女よ。今一度アナタの助けを借ります。私を信じ抜いてくれたアナタにこそ、新しいこの剣の所有者に相応しい』
聖剣の青く輝く刀身が、輝きの色を変えた。
曙光のごとき黄金色に。
エイジによって粉々に砕かれた覇聖剣が、セルンの手の中で完璧に復元されていた。
「セルンの手に、覇聖剣が……!?」
「これはまさか……!?」
セルンが、新たなる覇勇者に選ばれたと言うこと。
「そんな!? いけません、私のような未熟者が……! 『一剣倚天』もマスターできていないのに……!」
「それは聖剣院が勝手に決めた条件だ」
エイジが納得するように言った。
「たしかにセルンなら相応しい。僕以上に聖剣を信じ抜いた彼女なら究極の聖剣を握る資格がある」
『そういうことです。さあセルンよ』
覇聖剣から発せられる清らかなる声。
『覇聖剣を掲げなさい。そして暁の光を放ち、この地を覆う呪いを完全に払しょくするのです』
「はい……!」
セルンは言われるままに覇聖剣を掲げる。
その刀身から、東の地平より走る朝日のごとき輝きが放たれた。
その光は、どんな遮蔽物にも遮らせずに、剣都アクロポリスを覆い尽くした。
* * *
同じ頃、人類種会議が行われていた議場も佳境を迎えていた。
次々侵入する肉塊巨人を相手に、各種族の護衛たちが必死に抵抗する。
魔武具を手にしたとはいえ、それらはドワーフ族の無名職人が手掛けた、有り触れた兵士級素材の武器。
一流のギャリコが、覇王級素材をもって創造した魔剣とは比べようもない。
数で圧倒される人類種側は、ジリジリと押し込められていた。
「もっと気張らんかーッ!? 何のために高い護衛料を支払っとると思うんじゃーッ!!」
聖鎚院長の必死の檄が飛ぶ中、改変はここまでやって来た。
別の場所から発せられる光が波及してきた。
「うおッ!? なんだ!?」
「眩しいいいいいッ!?」
陣取る者皆いずれも目を眩ませる。
それは戦闘の真っただ中において致命的ともなりえたが、実際に命を失うことはなかった。
敵である肉塊巨人の方がより大きな影響を受けたからだ。
暁の光を浴びた肉塊巨人はすぐさま動きをとめ、石像のように固まる。
まるで光の熱で水気を失った泥人形のように、表面がカサカサに乾いて、ヒビが入り、薄皮が剥落して……。
ついに全身が砂粒となって崩れ落ちていく。
「おおおお……!?」
次々と崩壊して消え去っていく肉塊巨人。
人々は危機が去るのを確信せずにはいられなかった。
「終わった……! オレたちの勝ちだ! オレたちは助かったんだ!!」
「バンザイ! バンザイ!!」
「神よ……! 感謝いたします……!!」
この時ばかりは皆それぞれの神に感謝して祈りをささげた。
本来、アテナに祈り捧げるべき人間族の人王たちは、複雑な気持ちゆえに何もできなかったが。
「……あの光……?」
ギャリコもまた起きた奇跡を目の当たりにして、何が起こったかを察した。
「やったのね……! エイジ、セルン……!!」
「……そのようだ」
ギャリコの傍らで、身を横たえるグランゼルドが言った。
覇聖剣に穿たれた胸の穴は、もはや手の施しようもなく血を流し続けている。
「ダメです、喋っちゃ……!?」
「この手から、覇聖剣の感覚が完全に消えた。アレは新たなる使い手に渡ったのだな」
そう呟くグランゼルドの表情は晴れやかだった。
「私の愚かな人生に、最後にたった一つ、悔いなき結果を得られた。我が剣は、我が生きざまは、たしかに次の世代に渡った」
ただひたすらに剣を振り続けてきた男の、愚直な生涯の価値が定まった。
「……もう、満足したのかい?」
グランゼルドの面前に、いつの間にか人が立っていた。
老いさらばえた老婆。しかし彼女が発する剣気は、衰えなく鋭い。
「……サラネア殿。さすがに生き残られたか」
「忌々しいことにね。もういつ死んでもいい歳だってのにアタシは死ねない」
それなのに……。
「アタシよりずっと若いアンタの方が先に逝くのかい?」
「死ぬに相応しい時期とは、老いによって決まるのではない。自分が生まれもった役割を果たしたかどうかでしょう」
「役目を終えたから逝ってもいいのかい」
「アナタがここで死ねないのは、アナタがまだ果たすべきことを果たしていないからです。……聖剣院長が死に、大損害を受けた聖剣院。私に代わって建て直しを任せられるのはアナタしかいない」
「こんな歳になってまで、そんなくだらない仕事をするために生き延びたって言うのかい、アタシは?」
「お引き受けください。さすればきっと彼女も喜ぶ……」
老いた女勇者の手が震えた。
「アタシはね……、自分の生んだ娘に何もできないまま勝手に先立たれちまった。……アタシの人生は失敗なんだよ。取り返しのしようもない」
「取り返しのつかないことはいくらでもある。それを抱えても、正しいことに向かって歩かなければいけないのが人なのでしょう」
血が止まらない。
「一握りの成功と、抱えきれない失敗を積み重ねてきた我が人生……。それでも悪くないと思えるのは、引き継ぐ者がいるからだ」
手塩にかけて育てた弟子は、自分を越えて先へと駆けて行った。
最後にやっと、血を分けた娘に語るべきことを語りかけることができた。
使命を胸に、出陣する娘がこう言い残していった。
――『行ってきます父上』と。
その言葉で充分。
「残した仕事も多くあるが、引き継いでくれる者がいる。そのことのなんと満ち足りたことか」
悔いはたくさん。
しかし心残りは何もない。
安心してあとを託せる多くの者に見送られて。
覇勇者グランゼルドは、この世から去った。





