261 愚直の少女
セルンは、聖剣院の貴族階級というべき家に生まれた。
聖剣院長や枢機卿など、聖剣院の重要役職を世襲できる家柄である。
そこで物心ついた時から、セルンは大人たちから口々に言われた。
『覇勇者グランゼルドのご息女』と。
出会う大人、出会う大人はすべて、晩餐会や茶会の席で、セルンをそう呼んで誉めそやした。
『グランゼルド様のお子だけあって聡明な顔つきをしていらっしゃる』
『きっとこの子も才能に恵まれておいでだろう』
『将来が楽しみですな』
と。
しかしセルン自身には少しも実感がわかなかった。
何より父親とされるグランゼルドに、物心ついてから一度も会っていないのだから。
他の同年代の少女は父親に甘え、抱き上げて貰ったり、ぬいぐるみをプレゼントしてもらったりしているのに。
時おり母親に尋ねても、答えてはもらえなかった。
日頃優しい母もその時だけは不機嫌になって「その話はしてはいけません」と言って、それですべてが終わってしまう。
年月が経ち、成長して自分なりの考えができるようになると、セルンは恐ろしい想像をするようになった。
父親は自分を愛していないのではないか、と。
だから自分を捨てたのではないか、と。
年端もいかぬ少女にとって、それは身震いするほど恐ろしい想像だった。
恐怖した。
その恐怖を取り除く方法は一つしかなかった。
父に直接会って問いただすこと。
幼いセルンにとって、父について知っていることは少なかった。
わかっているのは『誰もが知っている偉い人』ということだけ。
まともに会おうととしても、母が頑なに許してくれない。
そこでセルンに知恵を貸してくれた大人がいた。
彼女の父親は勇者の頂点に立つ人だから、セルンもまた剣を学び、勇者にまで伸し上がれば会う機会も得られるだろう、と。
その人にとっては、少女を諦めさせるための知恵だったのかもしれない。
か弱い少女が、厳しい剣の修行について行けるはずがない。
いずれどこかで音を上げて、父に会う望み諸共投げ出してしまうだろうと。
しかしセルンは、たしかに父親の偉才を受け継いでいた。
剣の才ではなく、苦しかろうと耐えて進み続ける、直向きさという才能を。
鬼才エイジと出会う幸運にも助けられて、セルンは多くの人の予想に反し、勇者にまで登り詰めた。
多くの苦しみと引き換えに彼女が得たのは、彼女が想像するより遥かに多くのものだった。
卓越した剣技。努力の報酬を得たという達成感。高みに立ったことで見える俯瞰的な思考。
そして何より、セルンが最初に望んだ答えも得た。
父は言った。
――『こんな不器用な自分が、お前のためにしてやれることはない。そっとしておくことがお前のためにしてやれることだ』と。
――『それを今心から後悔している』と。
なんて自分そっくりな、不器用な父親。
だがセルンは同時に別の答えも得た。
信じ続ければ必ず報いがあるという答えを。
きっと自分を愛してくれていると信じていた父は、やはり自分を愛していたではないか。
父や自分のように、不器用な人間は、それだけが前へ進む方法だった。
だからセルンは信じる。
裏切られようとも。
* * *
「あの時、青の聖剣が掛けてくれた言葉を私は信じる! 聖剣よ! アナタが神であろうと何だろうとかまわない!!」
青の聖剣を掲げ、セルンは叫ぶ。
「私の信じる気もちに応えなさい! アナタの思うがままに!!」
『やめろ……!』
地獄に封じられた悪魔のような声。
それは覇聖剣から発せられた。
『やめろ……! そのおぞましいパルスを発するな! 気持ち悪い! お前は気持ち悪い!!』
『そう思うのは、アナタが邪悪だからです』
その声は、エイジにもはっきり聞こえた。
『アナタは邪悪に満ち溢れている。だから人の善性が苦痛でしかない。土中に潜る虫が太陽の光を嫌うように』
『私を虫けらに例えるなああああッ!! 私は全知全能! 何よりも優れている! 世界でもっとも美しい!!』
『人の直向きさを理解できない全知全能など存在しない。思い出しなさい。アナタは優れてもいなければ美しくもない』
『黙れええええええッ!?』
エイジは戸惑いを禁じ得なかった。
「言い争い……!?」
声と声が争っている。
少なくとも声の主が二人いると言うことだった。
聖剣を通して、何者かが争っている。
『私もアナタを信じていた。哀れで小さく、救ってあげなければいけない存在だと思っていた。しかし間違いだった。この世界にもやはり、信じるに値しない存在がいるのです』
『やめろおおおおッ! 私を見下すな! このクソが! 私が見下すんだ! 世界のすべてを私が見下すんだ、クソがああああああッ!!』
一方の声が強まり、もう一方の声が弱まっていくのがわかる。
「今です! エイジ様!」
光り輝く蒼剣を振りかざして、セルンが言う。
「覇聖剣に一撃を! あの奥義なら、媒介を越えて向こうにいる何者かにも届くはずです!!」
「お、おう……!?」
すっかりセルンに飲まれて、促されるまま魔剣キリムスビを鞘に収める。
無論それは、弓の弦をびんと引くことと同じ意味を持つ。
「両頭を截断すれば、一剣天に倚って……」
寒じ
「ソードスキル『寒』」
天意を越えて神を斬る奥義が、鞘の中より放たれた。
『うぎゃああああああああッッ!?』
不可視の作用に反応し、覇聖剣の形をとったモノが悶絶の悲鳴を上げた。
『バカなああああッ!? この私が、全知全能の神たる私が、クソ人間ごときに傷を受けるだとおおおおッッ!! バカな! バカな! バカなあああああッ!?』
痛みと苦しみが声に乗って炸裂する。
『悔しいいいいいいいッ!! 人間ごときに神があああああッ!! 退けられるなんてえええッ!! 覚えていろ! このクソども! この屈辱は、何万倍にもして返してやるうううううッ!!』
あからさまな捨て台詞を吐いて、何かが退散する気配がした。
覇聖剣は粉々に砕け散り、周囲を覆っていた重苦しい空気が消え去った。
「倒した……、のか?」
『いいえ、覇聖剣を通して広がっていた彼女の影響を遮断しただけです。彼女の邪悪を完全に断つには、やはり彼女の下に直接乗り込まなければ』
邪悪の影響は消え去ったというのに、まだ響く声がある。
やはり、聖剣を通して発せられる声は、二種類あった。
『ありがとうセルン。アナタが信じ抜いてくれたおかげで、私もこの世界に影響を与えることができました』
青の聖剣が語った。
やはり、その声は青の聖剣を通して。
『人から信じてもらうことこそ神にとって至上の喜び。何千年ぶりでしょう、この誇るべき立場に再び身を置けるのは……!』
「ちょっと待って? ちょっと待ってくれ……!!」
エイジが慌てて問いただす。
「アナタは一体何者なんだ? 聖剣を通して発せられる声は、聖剣を作りだした剣神アテナのものだろう? それなのに聖剣を通して聞こえる声が二つ……? これは……!?」
『それは、アナタが直接確かめることです。私がこうして、一部ながらも現世に戻ってこられたのは、私を信じ抜いてくれたセルンの功績であると共に、もう一人の功績でもある』
「もう一人の功績……!?」
『アナタの父、レイジの』
思いがけないところで出てきた名にエイジの全身が強張る。
『必ず来なさい、私の下に。アナタもそれを目指しているはず。セルンにもそれがあったように。アナタにも解き明かすべき命題が、生まれながらに果たすべき役目があります』
しかし核心的なことは何も教えてくれない。
あくまで自分の手で答えを掴み取れと。
『彼女の影響が消え去っているこの時を逃さず、私は聖剣に与えられる彼女の影響を完全遮断する。世界全体はまだ無理でも、私の生み出した聖剣だけは。もう二度とこんな非道なことに使わせない』





