05 : 芽生えた恋心と、静かなる社畜の怨念
無事に護衛達が駆けつけ、騒然とする夜の庭園のただ中。生垣から這い出るように救出されながら、次第にフランチェスカの目は完全にすわっていった。
ざわめく護衛たちの声も、夜風の冷たさも、いまの彼女の耳には届かない。
泥と擦り傷に塗れながら、般若の形相を浮かべるその脳内では凄まじいスピードで稟議書が構築されていく。
(夜間手当もつかない時間外労働(暗殺対応)をさせられた上に、大事な有休期間(オタ活)を邪魔するなんて許せない……王宮コンプラ……今にみてなさいよ……くっくっくっ)
ガタガタと怒りで身体を震わせるフランチェスカ。
——だが、その横顔を、レオンハルトは胸を締めつけられるような思いで見つめていた。
月明かりの下で揺れる、短く切り落とされた赤髪。
泥に汚れた頬と、レオンハルトを庇った際にできた手足の痛々しい擦り傷。
そのすべてが、彼の胸を強く抉った。
(チェスカ……俺を守るために、髪を捨てた)
本当は、あんなにも怖かったのだろう。今もこうして、体が震えて止まらないほどに。
それでも彼女は、レオンハルトの前では無理をして笑ってみせたのだ。
(どうして、そこまでしてくれるんだ)
己の血筋でも、背後にある権力でもなく、ただ「レオンハルト」という一人の人間を守るために傷ついてくれた存在など、生まれて初めてだった。
レオンハルトはぎゅっと拳を握りしめる。胸の奥で芽生えた強い熱に、まだ名前はつけられなかった。
だがそれは確実に、彼の人生を変えてしまうほど決定的な感情だった。
――まさか隣の少女が、恐怖ではなく純粋な殺意で震えているとは、今の彼に知る由もない。
(王宮コンプラ絶対潰す……絶対潰す……)
レオンハルトの熱い決意の横で、フランチェスカの怨念はただ静かに燃え上がっていた。
◇◇◇
その夜、ローデンベルグ侯爵は執務室で一人、頭を抱えていた。卓上の魔導ランプが揺らめき、彼の顔に濃い影を落としている。
「屋敷に不審者が侵入した」という最悪の報告を受け、今後の対応と王家への報告に苦慮していたのだ。
娘のチェスカも、さぞ恐ろしい目に遭って自室で怯えていることだろう――そう胸を痛めていた、まさにその時だった。
バンッ!とノックもなしに執務室の扉が勢いよく開く。
「お父様」
「フランチェスカ!? ……な、その髪はどうしたんだ!」
言葉を失い、執務机から弾かれたように立ち上がった父が絶叫する。
かつて娘の自慢だった真紅の長髪は無残に切り落とされ、あちこち長さが揃っていない。服も泥だらけだった。
「誰にやられた!? 怪我は!? 医療魔導士は呼んだのか!?」
「お父様、緊急報告です」
取り乱す父とは対照的に、フランチェスカの顔は氷のように冷ややかだった。
怖くて泣いている様子もない。代わりに、何かが違う方向へ壊れていて、ただその目だけが据わっていた。
彼女は直立不動のまま、機械的な声で淡々と告げる。
「本日二十二時四十七分頃、重大なセキュリティインシデントが発生しました」
「……は?」
「王宮関係者であるレオンハルト殿下に対し、第三者による不正アクセス――もとい暗殺行為が確認されました」
「フランチェスカ」
「我がローデンベルグ家の防衛網にも複数の脆弱性が発覚しております」
「フランチェスカ」
「つきましては再発防止のため――」
言葉の途中で、フランチェスカは泥のついた手をすっと懐に差し入れ、どこからともなく鈍器になりそうな厚さの紙束を取り出した。
ドサッ!
執務室の机に紙束が叩きつけられる。着地した瞬間、机がミシッと悲鳴を上げた。
「こちらが改善案になります」
「……待ちなさい」
父は必死に娘を止めた。
「髪だ」
「はい?」
「まず髪の話をしなさい」
「業務上必要な損切りでした。毛根は生存しているため、数年で元のリソースに回復します」
「毛根の話はしていない!」
見当違いな返答に痺れを切らした父は、慌てて机を回り込み、華奢な娘の肩を両手で強く掴んだ。
「怖くなかったのか!?」
「怖かったですわ」
「そうだろう!」
「なので王宮の組織改革案を作りました」
「飛躍がすごいな!」
「お父様」
「今度はなんだ」
「レオンハルト殿下は十歳です」
「ああ」
「まだ大人でもありません」
「……」
「それなのに毒を盛られ、暗殺者に追われている」
フランチェスカは拳を力任せに握りしめた。
その目には、理不尽な労働環境と悪質な労働基準違反に対する怒りの炎がメラメラと宿っている。
「そんな環境が正常なわけありません。――だから私は許しません」
娘のあまりに異質な気迫と、支離滅裂ながらどこか凄味のある態度に押され、ローデンベルグ侯爵は力なく肩の力を抜き、静かに天井を仰いだ。
「娘が襲撃のショックで壊れた……」




