第十一章 不死鳥
アスランが自分の意図を汲んだことを理解したキンタはアスランを離し、いつでも斧を取り出せるように懐に手を入れた。
一平は頭を上げて処刑場を見渡している。
キンタとアスランがすぐ近くにいることに気がついているのかいないのか、キンタには判断できなかった。
一平は国王用の腰掛けに気がつき、ルクルドがそこにいないことを知ると静かに溜息を吐いた。
(一縷の望みは潰えたか…)
この上はせめて見苦しくなく潔く果てるかと、丹田に気合を込めた。
(まさかモノリスがオレの死に場所だったとはな)
(モノリスか…)
モノリスという言葉に針術師に言われたことが脳裏に浮かび上がる。
―モノリスの人間に殺られそうになったら刺青を見せてやるといい―
一平は意を決してウラーに真向かった。
「そう言えば…いいのか?刺青を見せなくて」
ウラーは忘れていたようだ。先程突発的にキンタとやりとりをしたことでリズムを崩されていたらしい。
「ふっ…自分から恥を晒そうとはいい度胸だな。だがその強がりもいつまでもつかな」
ウラーは一平の上衣の合わせ目を解き、向きを変えさせると群衆に注目するよう声を発した。
「処刑の前に面白いものを見せよう。青の剣の守人は既にトリトニアの英雄にあらず。この卑屈な刺青がその証である」
ウラーはそう言って勢いよく一平の服を剥いだ。
「おおおおっ…」
広場が今までにないほどどよめいた。
海人たちは視力がよい。遠巻きにしていた人々からもそれははっきりと見えた。
オレンジを基調とした羽の長い鳥の姿。翼も尾羽も冠羽も長い、金の瞳を持つ伝説の鳥がそこにいた。吉兆を表すと言う、体をくねらせて飛ぶ鳥は、濃い紫で縁取られた目を光らせて一同を睥睨していた。
人々は震え上がった。
これはいかん。
これに手をかけてはいけない。
この鳥を従えている人間はモラ神の化身と言っても過言ではない。
悪しきものではあり得ない。
この者は罪人ではない。
この刑を決行しようとしていた者こそ悪だ。神に背く者だ。
モノリスの人々には一平の姿は殆ど目に入っていなかった。
不死鳥の絵姿だけが輝いて見え、まるで自分たちが審判を受けているかのような居心地の悪い錯覚を覚えていた。
―不死鳥―
―不死鳥だ―
―モラよ―
―許したまえ、モラ神よ―
寸刻前まで処刑を!と叫んでいたその口で、人々は神に許しを乞うていた。神の化身を処刑するなどとんでもない。
どのような形でも、不死鳥を傷つけたら地獄に落ちる。
そう思わせるほどに、この国にはモラ神と不死鳥の威光が染み渡っていた。
人々の中にあって、キンタもアスランも驚愕に目も口も瞠いていた。
二人にはモノリスの人々のような思いはない。
三日前に別れた一平の背に刻まれたものを目にして数多の思いが錯綜していた。
守人の背に刺青が刻まれたこと。その絵姿がモノリスの信仰の象徴であること。それが素晴らしく芸術的であること。一平の受けた行為がどれほど苦痛を伴ったのかと言うこと。キンタとアスランに災禍が及ばぬように、己の身ひとつに受け止めてくれたのだと言うこと。そしてモノリスの人々の熱狂が真逆の方向に進み始め、一発大逆転の勝利へと導かれつつあること…。
それらがキンタの脳裏を駆け巡る。
人々は既に一平の前に平伏していた。
―不死鳥だったのか―
一平は刺青の絶大な効果に安堵の息を吐いていた。
(なるほど…)
まるでイスラム教の礼拝のようだ、と他人事のように思った。
…と。人々の後ろから男の叫び声が聞こえてきた。
「待て待てーい!その処刑待ったあっ!!」
叫びつつ現れたのはカシムだった。騎イルカを急かし、背後のルクルド王を先導している。
広場の様子は朧げながら見えていた。何が行われようとしているのかもわかっていた。止められるのは国王しかいない。ナメック王子に逆らえる者など、その上の立場の王のみだ。
そう悟ったカシムは、ルクルドを動かすべく隠密行動に移っていたのだと、一平は理解した。
カシムが到着した時、広場は静まり返っていた。
何事かと訝しみながら、救出しようとしていた男の姿を捉え、カシムは硬直した。
(何ということだ…)
一瞬でカシムは悟った。
この状況の、あらざらぬ異常さを。
カシムは一平に向かって膝を折り、低頭した。
「一平さま。誠に申し訳ございませんでした。監督不行届きも甚だしく、これ以上ないほどのご迷惑をおかけしたことを謹んでお詫び申し上げます」
カシムは一平を挟んだ反対側で尻餅をついているウラーに刺すような視線を向け、歩を進めて胸ぐらを掴んだ。
そう、ウラーは腰を抜かしていた。ウラーもまた、信仰心にどっぷり浸かったモノリスの人間だったのだ。
カシムは、ウラーを無理やり立ち上がらせ、その頬を張り倒した。
「この下郎!国賓にこのような仕打ち、不届きにも程がある!地位身分剥奪の上厳罰に処すゆえ、獄にて沙汰を待て!これは陛下からの下知である!」
少し前までの上機嫌はどこへやら、ウラーは腑抜けた体で自分の部下に連行されて行った。
「一平どの」
ウラーへの沙汰が済んだのを確認してルクルドが進み出た。カシムと同じように膝をつき、頭を垂れた。
「この通りでござる。わが民の愚行、本人になり代わりこのルクルドがお詫び致す。どうか、寛大なお心を持ってお許しあれ」
「頭をお上げください。ルクルド陛下にはこの一平何の恨みもございません。ああいう手合いに付き合わされたのは初めてではありませんし、貴重な体験をさせてもらったと思えば、指南料を払わずに済んでむしろありがたいほどです」
思いもよらぬ一平の申し状にルクルドは心が洗われる思いがした。
「しかしこのような…処刑場に引き出した上、誉れとも謳われる傷ひとつないお背中を台無しにするなど言語道断で…貴国のオスカー陛下に合わす顔がござらん」
「そもそも某は誇りとも自慢とも考えておりませんでしたから気になされる必要はありません。これで器物損壊の罪が帳消しになるのなら息子共々喜んで受け入れましょう。それに…」
「それに?」
「この刺青を彫った男は素晴らしい針術師です。彼は己の最高傑作の舞台にこのオレの背中を選んでくれた。できうる限り多くの人に見せてやってくれとの願いをオレは受け入れました。だから罪悪感を感じる必要はありません」
これだけの作品だ。作り上げるのにかなりの時間を必要としただろう。辛酸を嘗めさせられてなぜこのように清々しい顔で怒らずにいられるのだろう、この男は。
ルクルドは思った。この男は絶対敵に回したくない。トリトニアには今まで思うところもあったが、今後はいい関係を続けてゆく方が得策だろう。
「ご寛恕していただき感謝に耐えませぬ。何かして欲しいことがあれば何なりとお申し付け下さい」
「それでは…」ふと思いつき、一平は申し出てみることにした。「オレにこの刺青を彫った針術師だが…自分用に用意していた高価な染料をオレに使ってしまったらしい。なかなか手に入らないと言っていたので心苦しく思っていた。もしよければ、オレの代わりに調達してやってはもらえまいか」
「承知致しました。すぐにも手配いたしましょう」
本当におかしな男だ。ぜひ懐刀にほしいところだが、断られるのは目に見えている。
願わくばこの男の精神を継承するような武人がわが国にも台頭してくるとよいのだが。
(ナメックのこともなんとかせねばならんな。歳をとってからの子ゆえ甘やかしすぎたか)
ルクルドは大きな溜息を吐いた。
国王の一声で広場は散会となった。キンタとアスランの周囲から一人また一人と人が去って行く。
アスランはキンタに支えられてやっとのことで立っていた。
六歳の子どもにとって何という残酷な展開だったことか。
だがもう危機は去った。
父の命が脅かされる心配はもうない。
安堵したが故にアスランは動けない。
涙だけが相も変わらず流れ落ちてくる。
「ひくっ…」
喉を鳴らす小さな音に一平は振り返った。
顔をぐしゃぐしゃにして、アスランが一平を見つめていた。
(アスラン…)
無事だったか、と胸を撫で下ろす。
一平は屈み込んだ。両手を広げ、呼び掛けた。
「おいで…」
弾かれたようにアスランが駆け出す。涙が周囲に飛び散っているが、目は殆ど霞んでいるだろう。
一平の胸に飛び込んだ途端、アスランは堰を切ったように声を上げ始めた。
「わああああ…ん…」
父…父…と繰り返す。
一平は愛息を抱き寄せ、優しくその背を叩いた。
―泣き方までパールに似るのか―
そう思った。
一平たちは最後にソナタの家に立ち寄った。
この機を逃せば当分会うことは叶わないだろう。今一度暇乞いの挨拶をしておこうと思ったのだ。
「頼もう」
外から声を掛けると入口から男が出てきた。
その姿を見て一平は立ち竦む。
―おまえは―
あの針術師だった。
男も一平を見て固まる。
一瞬の沈黙の後、男は言った。
「なんであんたがここにいる?」
家の奥から女の声がする。ソナタだ。
「ソング?誰か来たの?」
―ソング―
そうか。一平は溜飲を下した。
「ソングというのはおまえの名か?」
「言ってなかったか?」
男は名乗っていたつもりらしい。
笑いが込み上げてきた。
一平はソングの肩を引き寄せて抱き締めた。
「うわっ!!なんだなんだ!?」
面食らう男を抱き締めたまま、一平は囁いた。
「…ありがとう。心から感謝する。…従兄弟どの」
礼を言われる理由を思いつけず、ソングは野郎の抱擁から身を捥ぎ離そうと必死でじたばたしていた。
(トリトニアの伝説 外伝15 火の鳥 完)
この話は「刺青」と「針術師」を書いて寝かされていたものを十何年ぶりかで復活させた作品です。
当時、登場させたはいいものの、この針術師がどう関わってくるのか、私には見えませんでした。
アスランが縁者に興味を持って…ということも、最近になって判明しました。
判明した、というとおかしなものですが、自分で考えたとは思えない、というのが正直な気持ちです。
不思議です。
小説の神様はやはりいるんだと思います。
この外伝、結構気に入っております。
自分が読みたい話を書く、というのが私のスタンスなので当たり前ですが。
まだお腹いっぱいではないので、次回はこの後日談をお届けします。




