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(貴族なら必ず貴族門に行くはずだ、あそこに入られると厄介だ、馬車なら大通りしか走れない、馬車が北回りの道を通るかサロント通りを通るかどちらかだな)
入り組んだ小路を抜けていき東西に走るサロント通りに出ると、通りを跨いで馬車がそのまま北への通りへと走り去っていくのが見えた。
「くそ、向こうから戻るつもりか」
ミサエルはサロント通りを渡り、北に繋がる小路に入って行く。
何としても馬車が貴族街に入るのを阻止したいと、息も切れ切れになりながら細い道をひた走り、北の通りに出た瞬間、目の前を馬車が横切って行く。
一瞬馬車の窓からミエールと目が合った。
お互いを確認出来たが、馬車はそのまま貴族街の入り口で停止して兵士に調べられると、門の中に入って行ってしまった。
「くそっ、間に合わなかったか……」
馬車が入って行くと兵士は即座に門を閉めて、入り口を守るように仁王立ちで警備に戻っていく。
庶民が貴族街に用があるといっても簡単には入れて貰えないのは承知していた。
息が整うのも待たずにミサエルは走り出して周りを見渡す。
「どこかに貴族の馬車はいないか……」
貴族の馬車は一般とは違い車体の何処かに必ず家の紋章が描かれている、その馬車を見つけて何とかして乗り込んでやろうとミサエルは考えていた。
大通りを走り回ると一台の馬車が店の前で止まっていた。
ミサエルは周りを気にしながら近づき、御者に気づかれないように後ろから馬車に上り、体を低くして屋根にしがみついて隠れた。
大きい馬車の屋根はミサエルの体を簡単に隠せて、じっと馬車の主人が出てくるのを待った。
暫くすると、軽い揺れと共に馬車が動き出す。
(このまま貴族街に帰ってくれればいいんだが……)
馬車の上からは何処を走っているのか皆目分からず、身を低くして見つからないことを祈りながら辛抱強くじっと屋根に掴まっていた。
何度か馬車は何処かで停止していたが、太陽が真上を過ぎた頃に頭上に大きな門が見えてきた。
(やっとか……)
疲れた様子でミサエルは大きな門を見上げた。
ギギギッっと軋む重い音とともに門が開いていくと、馬車は何事もなく開いた門を通過していき、後ろ手に門が閉まっていく音が聞こえてくる。
(あとは奴の屋敷を探さねえといけねえな、確かキッシュ男爵だったか)
ミサエルは顔を上げて周りの様子を窺った。
市民街とは違い通りには人の歩く姿は殆ど無かった。
何台かの馬車が行き交うぐらいで、そこは歩くことすらあまりしない貴族なのか移動はもっぱら馬車のようだった。
ミサエルは馬車が通りを曲がり速度を落とした瞬間を狙って、屋根から飛び降りると直ぐに路地に身を隠す。
人に見られてないのを確認すると、フードを深く被って通りを歩いて行く。
(さて、キッシュ男爵の屋敷は何処だろうな、適当に歩いてもらちが明かねえし、ここは……)
貴族街と言っても縦長に広い土地には多くの貴族や官職を持った人達が住んでいる。
一軒一軒見て回るにも相当な時間が掛かってしまうので、ミサエルは近くの屋敷に訪問した。
言伝を頼まれた風を装った魔道士になりすまして、キッシュ家の屋敷は何処かと尋ねてみる。
その屋敷の使用人から丁寧に場所を教えて貰うと、キッシュ家はそう遠くもない所にある事が分かった。
そそくさと立ち去り教えられた場所に行ってみる。
男爵というだけあってか屋敷はそれなりに大きく、長い柵に囲まれた内側には沢山の草木で中が見えない様に植えられている。
外から見える邸宅は二階部分で、白い石造りの部屋に出張った縦長の窓が幾つも見えているぐらいだった。
ミサエルは周囲を見て回って入り口の門から中を覗き込んでみると、ミエールを掠っていった馬車が玄関前に止まっているのが見えた。
が、直ぐには入らず暗くなるまで人に見つからない場所に隠れて待った。
陽が落ちて暗くなると、ぽつぽつと辺りの家の中から明かりが灯されてくる。
キッシュ邸も例外なく使われているであろう部屋が明るくなると、ミサエルは柵を乗り越え草をかき分けて屋敷に忍び込んでいった。
(こんな幾つも部屋がある屋敷だと何処にミエールがいるかわかんねえな)
まずは一階の明かりが灯されている部屋を注意深く覗いていった。
廊下であったり、使用人の部屋であったりと中々目的の部屋が見つからずに、屋敷の周りをぐるりと見ていくと、あの男爵の息子が両親と食事をしている大きな部屋を見つけた。
(あの野郎、呑気に飯なんて食いやがって……、こっちは腹ぺこなんだぞ)
部屋には何人もの使用人が、食事の片付けや用事を言われるのを待機しているのか、部屋の隅で佇んで立っている。
(今が忍び込むいい機会だな)
ミサエルは家の裏側に回り込み窓をそっと押していき、空気を入れ換えるために空いている窓を探した。
暗い廊下の窓から侵入すると、次は二階へと続く階段を探す。
使用人に見つかれば最悪殺さないといけなかったが、なるべくなら騒ぎを起こさずにミエールを見つけだしたい気持ちはあった。
階段は玄関の方にあり、一瞬廊下を歩いてきた使用人と鉢合わせになるとこだったが、階段の下に隠れる事が出来たので見つからずに済んだ。
(ふう、危ねえ、こんな貴族街の中に庶民が侵入してるのが見つかれば殺されても文句は言えねえし、そっと殺されてそのまま何処かに埋められるだけだ、例えどんな理由であれ貴族を殺せばそれだけで死刑間違いなしだしな)
ミサエルは静かに足音を立てずに二階へと上がっていった。
二階にも沢山の部屋があったが、何処にミエールがいるかは外から見ていたときに部屋に明かりが点いていたのを幾つか覚えていた。
記憶を頼りに点いていた部屋の扉をそっと押してみた。
部屋の中から明かりが漏れてきて、中を覗いてみると部屋の寝台にミエールが手足を縛られて横たわっているのを見つけると、素早く部屋に忍び込んだ。
部屋には誰もおらずしんとしている中で、ミエールがミサエルを見つけた。
「ん……んん……」
と、涙目になりながら体をくねらせていた。
ジタバタともがくミエールの縄を腰から取り出した短剣で解放してやると、
「うええん、怖かった」
ミエールがミサエルに抱きついて泣きじゃくる。
「静かにしろ、早く此処から逃げるぞ」
ミサエルがミエールの手を引っ張り窓の外を見て、部屋の明かりを吹き消した。
外は暗く、明かりが点いていると外から丸見えになってしまうのを防ぎ、暗い部屋で窓の手すりに手を掛けて屋根から庭へと降りていこうとした。
「先にあそこの屋根まで行くんだ」
ミエールが屋根伝いに庭の方へと歩いて行くのを確認すると、ミサエルも素早く屋根を歩いてミエールの元にたどり着く。
下を見ると草が引き詰められている庭があり、衝撃はあるだろうがそれ程高くは感じない。
「いいか、下に降りたらすぐにあの茂みに隠れろよ」
「ええっ怖いわよ、あたし飛べないわ」
「んなこと今更言うなよ、助かりたくないのかよ、一瞬の我慢だ、足を伸ばすな少し曲げて飛ぶんだぞ」
「だってぇ……、そんなこと言っても怖いわ」
「じゃあ合図するから待ってろよ」
そう言ったミサエルは狙いを定めて、屋根から飛び降りた。
土の軟らかい場所に落ちて一回転すると、すくっと立ち上がり詠唱を唱えた。
地面に風を起こし小さな竜巻が弧を描き始めると、ミエールに手を振って飛べと合図をした。
「大丈夫なの……」
と、その時だった。
「おい、何してる……、あっ、お前は……」
二階の窓から顔を出してミエールを呼び止めようとしたカロスが、ミサエルを見つけて叫んだ。