最終話
「鎹ざまぁ」
「鎹ざまぁ」
「鎹ざまぁ」
脳内でのリフレイン。
神経質そうな僕の華奢な身体は、よし子先生という寄る辺の存在により、もたれ掛かるようにしながら何とか立っていた。
考えただけで、顔から火が出そうだ。
今から起こりうる事を想像すると、身体が竦み上がりそうだ。
黙々と自分の世界に入り込んで、秀麗なイラストをまじまじと凝視していた僕を、十中八九叱り飛ばすだろう。
喜んで叱られたい。
甘んじて享受したい。
トラウマになる位に叱られた方が、きっと二度と道を踏み外す事は無い。
いや、既にトラウマとなりつつある事を、もう色々と考えても仕方ない。
凶弾に倒れる警察官の様に、せめて最後は華々しく殉職したい。
いやせめて辞世の句は残して置きたい。
粘液まみれの水色のハンカチを右ポケットにしまい込み、鼻水を袖で拭き取り、ようやく顔を上げることが出来た。
「おっ鎹くん、やっと顔を上げてくれたね。先生は…嬉しいよ!」
さぁ来い大河原よし子。
28歳独身女性。
対峙するは12歳独身、恋愛経験は勿論無しの鎹十で御座います。
逃げも隠れも致しません。
天上天下唯我独尊。
天上天下唯我独尊。
よっしゃーもー何でも来い!!
雨でも槍でも手榴弾でも降ってこい!!
「鎹くん。私が言えるのはただ一つだけ。良書を読みなさい。そうすれば、きっと、世界が変わってくるから」
不意を付かれた。
「鎹くん。きみは色々な事を知っているわ。いや、既に知りすぎている。だからこそ、君には人間としての器を拡げることが重要だと私は思うの。今の君はまるで、両手で水を何遍も掬おうとして、その大部分が零れ落ちて地面に滴り落ちているような状態なの。小学生には小学生のフィールドがあるの。背伸びし過ぎちゃダメ。『知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず』という孔子の言葉があるだけれど、君なら知ってるわよね。君には将来、困った人を助ける為の智慧と、鋭い洞察力、言い換えれば先見の明を兼ね備えた、本物の勇者になって欲しいの。少し格好良くいえば『獅子王』って所かしらね。何が言いたいかというと、私は君を信じてる。君にはアカデミックな才能が眠っているの。たまには、その手に取った本の様に、世俗的文化、サブカルチャーと言った方が良いのかしら、そちらの波に身を委ねるのも良いと思うわ。でも、本物の、それこそ金剛不壊の『獅子王』になる為には、それはもう、良書を徹底的に読み耽る事。これが正道なのよ、難しいけどね。私は大学時代、それが出来なくてね~。今は元気だけが取り柄だけの先生だけど。とにかく、今日の事は水に流します。没収もしません。但し、今日の放課後までは先生が預かっておきます。すぐに返しますから、恐らくお姉さんのものだと思うけど、ちゃんと本棚に返しておきなさい。君は今、器から知識が溢れかえっている状態。それでいて、頭の中には収拾のつかない広大無辺の宇宙が拡がっていて、絶え間ない想像力が発達しちゃって、自分でも訳が分からない状態だと思うの。だいたい皆そうなんだけどね」
先生はつらつらと、抑揚のない表情で、それでいて何処か包容力を感じさせる喋り方をしていた。
「わかったら、今日の一時間目はここで頭を休めていなさい。約束ね」
さっきの絶望感は昇華され、また新たに涙腺を刺戟する、何か胸に込み上げてくるものを感じた。
それに気付かれるのが恥ずかしくて、僕はまた塞ぎこむように俯いた。
「男の子が下を向かないっ!」
むにっ。
よし子先生が僕の両頬をちくりとつねった。
「君はすぐネガティブになるっっ!!いいじゃないBL本くらい、どうってことないわよ!!私だって昔BL本くらい読んでたわよ。それこそ本棚から溢れるくらいの量で、積ん読していたわ積ん読。たかだか小学校の出来事、人生では大した事のない青春の1ページなんだから、思う存分泣いて、落ち込んで、それでまた笑って元気に教室に帰ればいいじゃない!」
よし子先生の力が段々と強くなり、頬が横に引っ張られる。
「い、いひゃい、いらい、いひゃいです、ふぇんふぇー、わ、わかぁりましゅた」
「よし、いい子だ!」
先生はパッと手を離し、授業に戻る事を告げ、怒涛の保健室での展開は一気に収束へと向かう。
ベッドに横になる間もずっと、頬の痛覚はじんわりと残り、先生との触れ合いを噛み締めていた。
Das Ende.
メイロイズムと申します。
最後まで読んで下さった方も、何となく立ち寄って下さった方も、有難うございました。
某大学の文学賞応募作品・短編小説として、自由に書き上げた作品です。
文体や背景キャラ設定等、至らぬ箇所は多々ありますが、より良い作品を創りあげる為の糧になればと思っています。
どんな感想でもお待ちしております、それではまた。