最終話 乙女ゲーのモブのはずでした
「みんな聞いてくれ! このアンナ・リリコックこそが——僕の婚約者だ!」
恥ずかしげもなく公衆の面前で私を抱きしめたルチアーノが、今度は私の承諾もなく勝手な宣言をした。
ドラマーティコ公爵家の拘束やら何やらでどよめき立っていた会場が、再びしんと静まり返る。そこからワンテンポ置いて、
「えええええ!?」
「おおおお! この素晴らしいピアニストが!」
「まさに王太子妃にふさわしい!」
私の驚きの声は、沸き立つ歓声と万雷の拍手に打ち消された。
「あの鬼気迫る演奏」
「殿下への愛と情熱が漲っておりました」
「私なんて途中から涙が止まらず……」
「ちょ……ちょっと……!?」
勝手に盛り上がる聴衆を前に、私は焦ってルチアーノの耳を引き寄せた。
「婚約者って!? ならないわよ!?」
「ああ、もちろん……僕はあんたから選ばれる日を待つよ」
私が慌てふためいているのはわかってるくせに、祝福に囲まれてご満悦な様子。
選ばれるも何も、外堀から埋めに来てんじゃない!
「恩を仇で返すってこのことよ……!」
「まさか。もちろん、誰より幸せにしてみせるさ」
当たり前のように近づいてくる唇。
調子に乗るな! と、私はその顔を容赦なく押し返した。
(こ……こんなはずじゃなかったのに~!)
◇
ルチアーノの婚約者披露パーティーから早数日。
私はついに、久方ぶりに学園の芝生を踏んだ。
「アンナ先生!」
感慨深く校舎を眺めていた私を、ナタリーを含めた音楽科の生徒達が出迎えてくれる。
「みんな……! みんなからのメッセージ、本当に嬉しかったわ。ありがとう」
「アンナ先生……また先生と音楽が出来るなんて夢のようです。……おかえりなさい!」
無邪気に笑う生徒達に囲まれて、私からも自然に笑顔と涙がこぼれた。
「ただいま!」
帰ってこられて本当によかったと、両手にある幸せを力いっぱい抱きしめた。もう二度と、手放したりしないんだから。
◇
みんなと別れてからは、すぐに副理事長室へ向かった。
「復職時期が遅くなってすまなかった。手続きに時間がかかってしまってな」
「いえ、そんな。こうして復帰できたのは、あのとき副理事長が助けてくださったおかげです。本当にありがとうございました」
国家を揺るがす魔術、〝禁断の曲〟を王太子に使ったことが露見し、ドラマーティコ公爵家は領土の全てを没収され没落。実行犯であるエヴァは北の果ての修道院へ出家させられた。おそらくもう二度と、表舞台へ出てくることはないだろう。
こうして公爵家の圧力もなくなり、私の待機命令は無事解除された。
問題を起こしたことには変わりないのに、復職を進めてくれたドミトリーには本当に頭が上がらない。
「力になれたのならよかった。また何かあればいつでも相談してくれたまえ」
「はい。ありがとうございます!」
もうすぐ始業だし、退出しようと扉のノブに手をかける。すると「ああ、そうだ」と引き止められた。
「はい?」
「あの夜の……赤いドレスの君も素敵だったが」
ドミトリーが眼鏡を押し上げる。
「……君はやはり、そのローブ姿が一番似合っているな」
眩しいものでも見るように細められた目に、一瞬どきっとした。
教員用の黒いローブのことだ。眩しいのは金の刺繍が朝日に輝いているせいだろうか。
「はい……私もそう思います」
素直に、明るく答える。ドミトリーはさらに目を細めて、満足そうに笑った。
◇
待機命令の解除は何もドミトリーの独断ではない。
学園内での反対に遭わなかったのは、ひとえに音楽科の生徒達と……ヨナスの努力のおかげだ。
「いやいや、アンナ先生の日頃の行いですよ」
私からの謝礼を伝えられたヨナスは、優雅に紅茶を飲みながらそう謙遜した。
デスクにはめずらしく仕事が山積みになっている。私のためにこれまで労を尽くしてくれた皺寄せが来ているのかもしれない。
「いえ……実はヨナス先生が理事や他の先生方に提出してくれた、私の実績報告書や復帰の嘆願書を読ませてもらったんです。そしたら私……すごく感動しちゃって」
「え……」
きっとあれがあったからこそ私は、この職員室でも針のむしろにならずに座っていられる。
『いざ帰ってきたときの学園が心地のいい場所であるように、俺が必ずなんとかしてみせる』
ヨナスはしっかり、あの手紙での約束を果たしてくれた。
「ヨナス先生、本当に……本当に……!」
「あ……アンナ先生……!」
「本当に……言語学教師ってすごいですよね! 文章の説得力が桁違いでしたよ。ヨナス先生が私と仲良くしてくれてて本当によかった。ありがとうございます!」
私が自分で書いたらああはいかなかったな……と喜んでいたけど、ヨナスは「え、あ、そっち……!?」と何やら戸惑っていた。
「『私のことよく見てくれてたんですね!』……とかじゃなくて?」
「え……? ああ、そうですね、もちろんそれもあります! いつも気にかけていただいてありがとうございます」
「……ははは、どういたしまして」
可笑しそうに笑ったヨナスは、そのまま頬杖をついて私を見る。しばらくそうして眺めていたかと思うと、
「……これからも見てるよ」
「えっ」
何やら色気を感じる、湿度の高い声で呟いた。
どういう意味かとドキドキしていると、
「またいつ何があってもいいようにね~」
今度はカラッと、少し意地悪そうに言われた。
思わず勢いで「ええ~!」と声を上げる。
「もう何もあってほしくないですって~!」
「あはははは」
それから私達は、この数日自分達がどんなことをしたか、いかに大変だったかと、いろんなことを語り合った。
「そういえばミミちゃんと友達になったんですよ」
「え!? どういうこと!?」
お互い興奮してしゃべりすぎて、周りからは結局、白い目で見られていた気がする。
◇
その日の15時、私は中庭の東屋に呼び出されていた。
かつてナタリーとミニコンサートを開いたそこは、今はたくさんの薔薇の蕾に囲まれている。
「遅くなってすみません……何の御用ですか? 殿下」
その東屋で、呼び出し人であるルチアーノは優雅なティータイムを過ごしていた。
彼がティーカップを傾ける傍では、王太子付き従者に返り咲いたヴァンクールが見慣れた燕尾服姿で佇んでいる。
「来て早々何の用かって……愛する婚約者とティータイムをと思っただけだが、悪いか?」
「悪いです」
「は」
そんなことだろうとは思ってたけどね。
ただこういうのを無視したらしたで後が面倒くさい。
私は盛大なため息をつきながら、しぶしぶルチアーノの向かいの席に座った。
「殿下……何度も言ってますが私は婚約者にはなりません。頼みますから私を、生徒に手を出した不埒な教師にしないでください」
「……そうだ、今日から殿下じゃなくて、ルチアーノもしくはルチアと呼べ。その方が婚約者らしくていいだろう?」
「頼むから話を聞いてください殿下」
ヴァンクールが黙って私のカップに紅茶を注いでくれる。テーブルには美味しそうなクッキーも並んでいて食欲を刺激されるけど、それどころではないと軽くテーブルを叩いた。
「大体あの学園新聞の記事。なんなんですか、もっと上手く書けましたよね?」
「ん? いい記事だったろ」
ドラマーティコ公爵家の圧力がなくなった新聞部は、私の糾弾記事についての謝罪記事を出してくれた。
『アンナ・リリコックが魔性の女だというのは事実無根。同僚Y、上司D、王太子の従者Vはアンナを良き友人、良き部下、良き隣人であると述べている』
……ここまではいいのよ。問題はこの後。
『なぜならアンナ・リリコックは生徒R、もとい——ルチアーノ・リリ・クテノーレの正式な婚約者だからだ』
「——って、書く必要なかったでしょう? 後半! 生徒Rにとっては良き教師ってことでよかったじゃない!」
私は懐から取り出した新聞記事を突き出しながら、ルチアーノに猛抗議した。
そう……私がここへ戻って来る前にこれが掲示されたおかげで、私は一般の生徒達からの非難の目に遭わずにすんでいる。なにせこの記事の通りなら私は未来の王太子妃だ。下手に扱える人物ではない。
「助かってる面もあるにはありますけど、それよりも授業がやりづらくて仕方ないです。後半はジョークだったって訂正してくださいよ。本当に困りますって……」
「今更何を言ってるんだ。既に上級貴族達の前で正式に発表してるんだぞ。学内にも通達は必要だろう」
「何もかも私は承諾してません」
きっぱりとそう言えば、ルチアーノはわかりやすく不貞腐れた。なにが『選ばれる日を待つよ』だ。外堀ばっかり埋めにきやがって。
「ヴァンクールさんからもなんとか言ってください!」
「意外と陛下もお喜びでしたよ」
「どうして!?」
しっかりして国王陛下!?
「そうだヴァンクール、アンナにつけた加護の印をさっさと消せ。彼女は僕の婚約者なんだから」
「!」
かしこまりました。とヴァンクールが私の手に触れようとする。それを私は素早く回避した。
「アンナ先生?」
「それは嫌です」
「まだ言うか」
「だってこれがないと私、何度かエヴァに殺されてましたからね!? すごく便利だったのでこのままもらっておきます!」
「だめだ。加護の印は付けているだけで少しずつ術者の魔力が流れ込む……。多少魔術を学んだ人間ならまだしも、素人がヴァンの魔力を溜め込めば……いつか暴発してもおかしくない」
「魔力が……?」
(え、このままでいれば魔法が使えるようになるの?)
暴発とか怖い単語は聞こえたけれど、都合のいい部分だけ取り入れてうっかりときめいた。
じゃあこれはこのままにして、私が魔法の勉強をすればいいんじゃない?
「そういえば……パーティーでのアンナ先生のピアノは、魔力の籠った良い演奏でしたね。先生にも魔女の才能がおありのようです」
「……え?」
魔力の籠った演奏……?
待ってよ、込めた覚えがないんだけど?
「そうだったのか」
「はい。だからこそ、魔女の血を王家に取り入れたい陛下はお喜びでした」
「え、ええ……?」
じゃあもしかしてルチアーノの洗脳が解けたのって、やっぱりおとぎ話的な奇跡の一種じゃなくて……
(単純に私の『魔力の籠った演奏』が、エヴァの『禁断の曲』の魔術に打ち勝ったってことじゃないの……?)
「ヴァンクールさん……やっぱりこの加護、返します」
「え? あ、はい、承知しました」
無意識にそんな演奏をしてたなんて恐ろしい。絶対防御の便利バリアを失うのは惜しいけど、そんな危ないものはもう身につけられない。
「アンナ……わかってくれたんだな」
「……アンナ先生、です。勘違いしないでください。加護の印を返すだけであって、あなたの婚約者になるわけじゃありません」
もう付け入る隙を見せてはいけないと、私は真っ向から堂々と答えた。
それなのにルチアーノはなぜだか楽しそうに「ふうん」と笑う。
「頑なだな。なりたくてなれるものでもないのに」
「何度もお伝えしてますけど……私が生徒とどうこうなることは万が一にも、100パーセントありえませんから」
はっきり言ってやった。その直後にルチアーノが席から立ち上がったので、ついに不敬罪かと心が竦む。
そんな中彼はわざわざ隣にやって来て、私の目を覗き込んできた。
「そうか……でも僕は、あのパーティーの日に18になったぞ」
「え」
「そして……あと半年もすれば、学園は卒業だ」
——逃がさないぞと、目が言っている。
私は蛇に睨まれた蛙のように固まって、口をはくはくさせた。
「卒業後が楽しみだな、アンナ」
……ちょっと待って、たしかにその場合はどうやって逃げたらいいの?
ていうかそのときにはルチアーノの言う通り……逃げる理由って、ない……?
「……おい、ここは顔を赤くするところだろ。なぜ青くなる」
「だ……だって……」
私ってモブのはずなのに、全然モブらしい人生を歩かせてもらってない。それこそ王太子妃なんて、どう考えてもモブが歩くストーリーじゃないでしょ。
一体どうなってるの……シナリオライターは正気?
「絶対何かがおかしい……とにかく不安なの……! ああああこんなときはピアノが弾きたい、弾かなきゃ落ち着かない……!」
「はあ?」
「私、音楽館へ行きます。失礼!」
「お……おい! 待て、僕よりピアノか!?」
スカートの裾を持ち上げて、東屋の階段を駆け降りる。
それからふと、何やら文句を言っているらしいルチアーノを振り返った。
「殿下も一緒に来ますか?」
一瞬丸くなるアイスブルーの瞳。
それはすぐに蕩けるような笑みに変わって、
「当たり前だ!」
嬉しそうに駆け下りてきた。
……こういうところはかわいいのよ。ずるいわ。
(そうだ……あのピアノ独奏の楽譜に、タイトルを書いてもらわなきゃ)
ちなみにこの後、王太子であるルチアーノは作曲家としても世に名を馳せることになる。
彼の曲は貴族や平民の垣根を越えて、多くの人々に愛された。
特に処女作『アンナ』は、彼が妻へ送った『至高の愛の旋律』として、後世にも長く語り継がれるのである。
——しかし現在、卒業まではあと半年。
「結婚式は卒業式の翌日でいいか? そろそろ準備を始めないとか」
「よくありませんし、始めません!」
外堀を埋め尽くした王太子のカウントダウンと、諦めの悪いモブ教師の抵抗劇は、あともう少しだけ……続く。
Fin.
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
もし少しでも「楽しかった」「この先の二人をまだ見たい」と思っていただけていましたら、ブックマークや、広告の下にある【☆☆☆☆☆】で、ぜひ高評価をお願いいたします。感想もお待ちしています!
需要がありそうだと思えたら……というか私がやる気になったら、第二部もしくは後日談という形でこの続きを書くかもしれません。
ルチアーノも18になったということで、もうこっちのもんですからね。やりたい放題ですよ。(?)
では重ねて、最後まで伴走ありがとうございました。
またどこかでお会いできますように。




