1話 転生したらモブでした
教師と生徒の恋愛? そんなの現実にあったら犯罪よ、犯罪。
「いいかアンナ! 我がリリコック男爵家の財政は火の車だ! 今年で二十四にもなって嫁ぎ先も決まらず行き遅れたお前を、うちで食わせていく余裕はない! 王立貴族学園の音楽教師の仕事をなんとか取り付けてきたから、さっさと自力で稼いで、ついでにリリコック家を救ってくれそうな将来有望な若者に唾でもつけておいで!」
父のその言葉の一週間後、私は学園からの迎えだという豪奢な馬車に乗せられた。
普通の貴族の娘からすれば気分はドナドナかもしれない。だけど私はこの展開に胸躍らせていた。
なにせ私は前世も音楽教師だったのだ。
私は一度、二十四歳という若さで事故に遭って、おそらく死んだ。
その事実を運命か偶然か、今の私が二十四歳の誕生日を迎えたその日に思い出した。
向こうでの両親はすでに亡くなっていたし、心残りといえばやり残してきた仕事ぐらい。
そんな私に、もう一度音楽教師をやれときたもんだ。
いいわ、やってやろうじゃない。私はね、音楽も教師の仕事も大好きだったんだもの。
私は馬車の窓から、遠くに見える学園校舎を仰ぎ見た。城郭かと見紛うそれはそれは立派な校舎だ。
(まぁ、多少……というかかなり、前世で勤めた公立高校と雰囲気は違うけど)
どうせやることは同じでしょう!
少し気後れしそうになる心を奮い立たせ、頬をパンと叩いて気合を注入。
淡いピンク色の、桜によく似た花の花弁が窓の外をふわりと飛んでゆく。
春うらら、新たな門出にふさわしい今日は私の着任日であり、新入生達の入学式の日でもある。
進むほどにちらほらと生徒たちの姿が見え始める。
その制服姿が私の中で引っかかった。
(おや?)
貴族学園の生徒なんて初めて見るはずなのに、なぜだかあの制服を知っている。
どこに既視感が? と思いながら生徒たちの姿を眺めて、その中に私は〝彼女〟の姿を見つけた。
人ごみの中で一際目を引く淡いピンクブロンドの髪。可憐な菫色の瞳。小さな顔はどんなアイドルよりも女優よりも整っている。
一目見てわかった。私は彼女を知っていると。
前世で、彼女は私だった。
彼女の名前はナタリー・コロラトゥーラ……乙女ゲーム『聖ルチアの奏でる恋の輪舞曲』のヒロインである。
(ここってゲームの世界だったんだ——!)
『聖ルチアの奏でる恋の輪舞曲』の舞台は国の将来を担うエリート貴族が集う王立貴族学園。
十五歳の平民のヒロインが、メインヒーローである王太子をはじめとする魅力的な攻略対象達と交流しながら、数々の危機を乗り越えて誰か一人と結ばれる王道ストーリーの乙女ゲームだ。
そう、その学園こそ今日から私の勤め先! ヒロインは私じゃなくてあっちのあの子!
音楽教師なんてのは……どこかで出てきていたかもしれないけど、名も無きキャラであるのは間違いない。
つまり私は……
ただのモブだ!!
思わず地面に膝をついた。
そうか……なるほど、そういうことだったか……。
異世界転生したからには、何か魔法が使えたりスキルが身についてたりするのかと思えばそんなことはなかったし、婚約破棄するような相手も私をいじめてきてざまぁされるようなひどい家族も知人もいなかったし、一体どういうことなのかと思ってはいたんだけど……。
ただのモブ転生だったからそんなのなーんにもなかったんだ……!
(まぁ……もう、いいわ。仮にヒロインのガワを得ていたところで、どうせ今更学生と恋なんかできないし)
十代の子どもなんてあくまで庇護対象。恋愛感情なんぞ芽生えるはずもない。
ここでは前世でやり残した音楽教師という仕事の続きができる。それで十分だ。欲張らない。
モブ教師として真面目に生きて、しっかりお金を稼ごう。
「ここで」と馬車から降りて、後ろから歩いてきたナタリーを再び見つめた。
本当に、なんて可愛い子だろう。イケメン達が次々と彼女を好きになるのも頷ける。というかあの子を好きにならない男なんてこの世界に存在しないんじゃないか。
改めて見ても、あの子と何かを張り合おうなんて気は到底起きない。
(頑張ってね、ナタリー……ヒロインだから試練はいろいろそれなりにあるかもしれないけど、あなたなら大丈夫。良きスクールライフを)
まるで保護者気分で生温かい視線を送っていると、背後からとんとんと肩を叩かれた。
「やあ、君が今日から着任の音楽科教員、アンナ・リリコック先生だね? うーん、写真で見たよりずっと華のある美人さんだ」
「あ……!」
振り返ると、そこに立っていたのはこれまた並みの男性とは作画の違うイケメンだった。
柔らかな栗色の髪に甘い蜂蜜色の瞳。胸元を少し崩したシャツに、教員用のローブを羽織っている。
私はこの男性のことも知っていた。
ヨナス・スピント、二十五歳。この学園の言語学教師であり、学園内の男女を問わず人気を集める超モテ男。そう……ゲームの攻略対象の一人だ。
「は……はじめまして。今日からお世話になります、アンナです」
ゲームで見ていたキャラクターが、三次元になって目の前で動いている。
自分はただのモブだとわかっていても、目の前の状況にドキドキしてしまうのはもう仕方がない。
「よろしくねアンナ先生。こんなきれいな人とこれから一緒に働けるなんてうれしいよ」
ちなみにヨナスはこういうお世辞と紳士的振る舞いを欠かさないキャラなだけで、私が本当に超絶美人だとかいうことはない。
地味な黒髪は前世と同じ。母譲りの白い肌と透き通った翡翠色の瞳は数少ない自慢ポイントだけど、それ以外はおおよそ並。
彼の言う通り私が本当に華のある美人なら、この歳まで独り身なんて貫く余裕もなくとっくに売り切れていたことだろう。まぁ今の私にとってはこれでよかったんだけど。
「よろしくお願いしますヨナス先生。ではまず職員室に案内していただけますか?」
「お、なかなかクールだねアンナ先生。そういうところも素敵だよ」
「恐縮です」
「だけどアンナ先生、職員室の前に寄ってほしいところがあるんだ。……新任はまず〝あの方〟に挨拶に行くのが暗黙のルールでね」
「あの方……?」
それからヨナスに案内されて、いくつもある校舎のうちの一つに入った。
「そういえばこの校舎から見えるね。ほら、あそこの一階建ての白い建物。あれがアンナ先生の教壇になる音楽館だよ。建物自体は少し小さめだけど……大きな窓がたくさんあって、明るくていいと思うんだ」
ほう、と廊下の窓からその音楽館とやらを眺める。白いドーム状のこじんまりした建物には、たしかに大きな窓が建物をぐるっと囲むようにいくつも並んでいる。
それはいいとして、日当たり抜群にも関わらずなぜか窓にはカーテンすら付いていない。
あそこに楽器があるとしたら傷みそう……。
「わ、わぁ……サロンみたいで素敵。ふふ」
「だよね~」
近日中に速攻でカーテンをつけてもらわなきゃ。
私の前任は一体何をしていたの。というか今更気がついたけど、前任からの引き継ぎも何も受けていないわ、あらやだ。
「えーと……あの方というのはこの校舎のどちらに……?」
「ああ、大抵いつもここの二階の生徒会室にいらっしゃるよ」
「生徒会室……」
それを聞いて、うっすらと〝あの方〟の想像がついてきた。
「うん。その方はこの学園の生徒会会長であり、この国の王太子殿下でもあられる……ルチアーノ・リリ・クテノーレ殿下だよ」
ああ……やっぱり。
その答え合わせが済んだところで、ちょうど生徒会室にたどり着いたみたいだった。
「ここだよ」
どうぞ、とヨナスに目配せされて、無意識に唾を飲んだ。
意を決し、重厚な扉をノックする。
「失礼いたします。本日着任いたしました、音楽科教員のアンナ・リリコックです」
部屋に入ると、窓辺の高級そうな革張りソファに、一人の少年が深々と腰掛けていた。
「……音楽の教師か」
少年は一瞬だけはこちらを見たものの、すぐに興味無さそうに窓の外へと視線を戻した。
ルチアーノ・リリ・クテノーレ……たしか十七歳の三年生。このゲームのメインヒーロー。
光り輝く金色の髪に、冷たいアイスブルーの瞳。彫刻のような美しい横顔は、うっかりすると見とれてしまう。
しかしその全身からは「近づくな」と言わんばかりの刺々しいオーラと、隠しきれない色濃い陰鬱さが漂っていた。
「挨拶など不要だ。僕の視界に入らないところで、勝手に授業でもなんでもしていてくれ」
取り付く島もない、冷徹な声だ。
「わかりました。では失礼します」
こういう態度を取られるのはなんとなく予想がついていた。
というか私がヒロインだったときに、既に何度も同じような対応をされている。
だから特に驚いたとか傷ついたとかはなかったし普通に部屋を出たのだけれど、そんな私を慌てて追いかけてくる人物がいた。
「申し訳ありません、リリコック先生。殿下は少々お疲れでして……」
先程まで部屋の隅に控えていた燕尾服の青年——名前はたしかヴァンクールだ。
ルチアーノの側近で、これまた攻略対象の一人。一つに結わえた白く長い髪や血のように赤い目が人間離れしていて目を引く上に、さすがというべきかルチアーノに負けず劣らずな美しさ。
私はその彼に笑顔で答えた。
「いいえ、お気になさらないでください」
私は知っている。ルチアーノがなぜああも世界の全てを拒絶するような目をしているのか。
ルチアーノは一年前、最愛の兄を病気で亡くしている。彼は未だにその死から立ち直れていない。
また、王位を継ぐつもりもなく、優秀な兄の影で第二王子として気ままに生きていた彼に途端に降りかかった王太子という立場は、傷心の彼を病ませるのに十分なほどのプレッシャーだったのだ。
まだ十七歳の少年に背負わせるには、あまりにも重すぎる設定……いや、運命だと思う。
だからこそ多少の冷たい態度や言葉なんてものは本当に少しも気にならない。
依然申し訳なさそうな顔をしているヴァンクールに、小声でそっと囁いた。
「大丈夫ですよ。近いうちに、王太子殿下を救う『運命の人』が現れます」
あのナタリーちゃんなら、そりゃもちろんメインヒーロールートを進むことでしょう。
ならばじきに二人は運命の出会いを果たすはず。
「運命の人……?」
ヴァンクールは不思議そうに首を傾げた。目が丸くなって、まるで白うさぎのようにかわいらしい。
眼福だわと見つめていると、
「——君が新しい音楽教師か」
低く重厚で、それでいて伸びやかな凛々しい声が廊下の奥から届いた。
その聞き馴染んだ声にハッとする。間違いなくこの声は、
「どうしてこんなところで油を売っている。職員室での挨拶はもう済んだのかね」
お、おお推しだ——————!!
眼鏡の奥の切れ長な目を光らせた、圧倒的な威厳を放つ三十代前半ほどの男性。
ドミトリー・バリートン……この学園の副理事長であり、不在がちな理事長に代わって学園の全権を握る冷血漢。前世の私の推し。
眼鏡の堅物キャラってのが好きなのよねぇ、昔から。
実は彼もヒロインの攻略対象の一人である。
ストーカー並のしつこさで三年間付き纏わないと落とせない最難関キャラだけど……それは成人と未成年、教員と生徒という立場だったからでもある。
だからふと思った。
今の私なら、ヒロインじゃないからこそ……教師というモブだからこそ、ワンチャンこの副理事長ルートに入れたりしないかしら? ねぇ。
「君の挨拶状は読んだ。だが一言言っておく」
「はい!」
あーモブ転生ありがとう。教員同士ならなんの問題もなく恋愛できますもんねそうですよね。そうです私の転生はこのために——
「この学園の生徒たちにとっては音楽など不要でしかない。くれぐれも生徒達の勉学の妨げなどはせず、必要最低限のカリキュラムをこなし、万が一にも問題などは起こさぬように」
「……はい?」
推しが一瞬で輝きを失った。
「音楽など不要でしかない?」
「ああ。ここの生徒達は皆、この国の未来を担う大事な人材。学ぶべきことがごまんとある。三年間という限られた時間の中で、音楽に時間を割く余裕などはない」
……ああ、そうか、そういえばそういう音楽不要論者だったんだっけ、このキャラって。
ゲームのキャラとして見ている分には全然気にならなかったけど……リアルでその論を聞かされると、普通にムカつくわ。ていうかさっきからさすがに偉そうすぎ。
だめだ、副理事長ルートなんか撤退撤退。
堅物傲慢眼鏡キャラが輝くのは二次元だけ。よくわかった。
「随分音楽がお嫌いなようですが……音楽は優れた『教養』ですよ? 今や大衆にも広く根付いたこの文化的教養に触れないまま、頭でっかちになっただけの若者に将来何ができますか」
真っ向から反論すると、ドミトリーの眉がぴくりと跳ね上がった。
「なに……?」
「心を育み、人間性を高め、生徒達の持つ世界を広げる——それが音楽教育です。音楽に対する好き嫌いがあるのは仕方の無いことですが、不要だとは絶対に言わせません」
「……ほう。私に意見する気か、新入り」
私、モブでよかった。
誰に好かれることもないとわかっているモブだからこそ、やりたいことをやりたいようにできる気がする。
「ええ! 貴方のそのお考え、近いうちにあらためていただきますので!」
——こうして私の第二の教師人生は、大荒れ模様で幕を開けたのだった。




