お仕事は食べながら
白蓮様よりも先に、財歳院長の超強面のご尊顔を拝してしまいまった澪。
二人は『万霊丹』の製造・販売の件でこってりと絞られます。
次は、土木院に駆け込みます。
財歳院で強面の院長にこってりと絞られたおかげで、次の予定が完全に押している。早足と小走りで財歳門を抜けると、白蓮様に二の腕を掴まれた。
「近道する」
言い終わらないうちに白蓮様は素晴らしく優雅な身のこなしで百八十度方向転換すると、完全にバランスを崩した私を引きずって脇道に入っていく。
今の私の状態を例えるなら、狩人に仕留められた子鹿が近いかもしれない。
すっかり観念した私は、白蓮様に二の腕を掴まれて引きずられるがまま、あちらに曲がり、こちらを通り抜け、よくわからない部屋を突っ切って、と振り回された。
ただひたすらに心を無にして、抱え込んだ資料をぶちまけないように奮闘するのみだ。
ようやく白蓮様が立ち止まったところで顔を上げると、再び大きな門の前だった。
土木院の執務室である。
出迎えてくれたのは、今朝の朝議で院長の不在を謝罪してた副院長。
改めて近くで見ると見上げるように背が高い。大きさだけで言えば、先ほどの財歳院長よりもさらに数周り、縦も横も逞しい。
何かに似ているな、と目を瞑ること数秒。
そうだ、あれに似ている!私は心の中で手を打った。
東大寺の南大門の左右に控えるあれだ。あの像にそっくりだ!
土木院というのは、日本でいうと国土交通省に近いだろうか。街道や運河の整備、王城など公的な建造物の建設や保守、地図作成など、国土管理に関わる様々なことを担っている。
そう思って周囲を見れば、土木院ですれ違う人は誰も彼も皆ガタイがいい人ばかりだった。しかし自然に鍛えられたガテン系というよりも作り込まれたプロレスラーに近い。趣味を感じる肉体美である。
「待たせたな」
「ははは、構いませんよ。こちらこそ多忙極める白蓮殿に時間を作ってもらったのだ。お気になさるな」
副院長は豪快に笑うと、伸ばした腕で白蓮様の背中をバシバシと叩いた。とっても気さくな明るい雰囲気。
だけど白蓮様、ちょっと、というか明らかに痛そうよね?
私たちは応接室の一つに通され、早速昼食会がはじまった。
議題はというと、現在建設中の堤防の作業員の労働環境に関することだった。
どうやらここ最近、作業現場で体調不良の者が続出しているらしく、その原因を特定するために、白蓮様に医者としての意見を聞きたいというのが本日の趣旨のようだ。
白蓮様は至極優雅な手つきで食事をとりつつ、的確な質問で現場の状況や作業員の症状を調べていく。
副院長と白蓮様の食事が半分ほど進んだところで、私は別室に通された。
別室にはささやかながらも、今の私の生活からすれば信じられないようなご馳走が並んでいた。聞けば従者用の昼餉だという。
私は勧められた席に腰をかけ、手間に置かれた箸を手に取る。
しかしこの世界に来てはじめての至極真っ当な食事に感動してしまい、なかなか箸がつけられない。
この世界の食事は比較的日本食に近い。多少、独特の風味はあるものの、和食と中華に多少のエスニック料理をプラスして、足した種類の数で割ってもらえれば、イメージにさほど大きな間違いはない。
下女寮で聞いた話によれば、地域や国によって味付や材料に様々な違いがあるそうなのだが、この国どころか王城からも出たことのない私には分からないことだった。
ようやく美しく盛られた焚き合わせの一角を崩し一口含む。
じんわりと口中に広がる優しい味わい。
うっすらと涙すら浮かべつつ、目を閉じて味わう。
美味しい幸せに舌鼓を打っていると、慌ただしく土木院の使いが駆け込んできた。
白蓮様が呼んでいるという。
仕方なく後について最初の部屋に戻る。
聞けば、白蓮様の執務室の奥にある資料室に、参照したい資料があるという。
私は部屋に残して着た昼餉に盛大に後ろ髪を引かれながら、何なら本当に泣きながら、医薬院長室に資料を取りに走った。
当然一人だと何度も警備兵に誰何されることになる。
ようやく土木院に戻った頃には、白蓮様たちはすっかりと食後を終え、食後の茶を楽しんでいた。当然、私の昼餉も下げられている。
衝撃で言葉の出ない私を尻目に、二人は至極満足そうだった。
「土木院の食事は、何度食べても美味だな」
「全国津々浦々に配置された人員が、地の旬の食材を送ってきますからな」
昼食会の結果、白蓮様からはとても有益な情報が得られたようだ。
気さくで陽気な副院長は、親しげに回した手で白蓮の背中をバシバシと叩いて、笑顔で私達を送り出してくれる。
白蓮様、今のは絶対痛かったですよね?
この後は医薬院に戻って昼議である。
これは医薬院の各局長が参加し、朝議の内容共有を行うのが目的だ。
医薬院に戻ると、すでに会議の間には各局長らが揃っていた。
私は空腹を抱えなが、ちょこんと末席に控える。意外にも誰にも怪しまれずに昼議を終えてしまった。
その後、白蓮様は白い割烹着のような上着を羽織り、医薬院療養局付属の王府療養所、つまり国立病院内を回診する。
回診しながら診察も行い、そのままの姿で薬種局に移動。
今朝の外商院と財歳院の打ち合わせを踏まえつつ、夏の薬草仕入に関する打合せを行った。
その間、私は常に側に控え、回診内容の記録、白蓮様の備忘、打合せの議事録と、ひたすらメモをとりまくる。
ふと、手元に差し込む日差しの赤さに気づいて顔を上げると、窓の外には橙と紫と紺の色が入り混じった、美しい夕焼け空が広がっていた。
もう一日が終わるのだ。
太陽を斑らに隠す雲の合間を烏がゆったりと飛んでゆくのが見える。遠くから響く鐘の音を聞いていると、無性に烏の歌を口ずさみたくなった。
誰もが一度は口ずさんだことがある懐かしくてちょっと物悲しい響きの歌。何の面白みがあるわけでもない歌なのに、なぜか世代を問わず誰でも歌うことができる。
前の世界にはそういう歌が沢山あった。
テレビで、CDで、学校で、いつのまにか心の奥深くに刻み込まれているのだろう。
この世界も嫌じゃない、と私は思う。
日々時間に追われて些細なことに神経をすり減らす前の世界が素晴らしいとも思わない。
だけどそういう刻み込まれたものが一切無い今の私の存在は、この世界ではあまりにも唐突で薄っぺらだ。
もう散々悩んで、元の世界には戻れない、ここで生きていくのだと決心したにも関わらず、心のどこかではいつもこの世界の自分について他人事の自分がいる。
それでも今日は、その事を忘れていられたかな。
私は筆を持ち、所々墨に汚れた自分の手を見る。
下女の仕事は肉体労働だ。
仕事中も仕事後も体はクタクタに疲れ切っているのに、頭は常に暇を持て余している。
暇があると人間ロクなことは考えない。
突然、見も知らぬ世界で生きることになった理不尽への怒りと、諦めと、寂しさと、ほんの少しの期待。いつもそれをぐるぐると回ってはまた元の怒りに戻ってくる。
でも今日は少し違う。
白蓮様は横暴だし勘違いも甚だしいけれど、今日は一日中、私の頭はフル回転していた。
そうやって頭を使って仕事をしている間は常に気を張っているから、余計な事を考える隙など一切ない。
城中を引き摺り回されて気がつけば夕方。
久しぶりの事務仕事は勝手の違うことばかりで気を遣ったけれど、頭は心地よい疲労感に浸って満足している。
疲れたけれどこういうの、嫌いじゃない。
窓の外を見ながらほんの少しだけぼんやりしていると、ぼふりと頭の上に何かが落ちてきた。
椅子から飛び上がるほど驚く。
しかし頭上に落ちてきたものは私の反応には御構い無しで、ぼふりとした頭をそのままぐりぐりとかき混ぜる。
固まる私の肩の上に、はらり、と夕日を反射する美しい清流のような銀髪が流れ落ちてきた。
それで私は頭上のそれが白蓮様の手だと気づいた。
「ぼんやりするな、部屋に戻るぞ」
響いていたのは七の鐘。夕方の五時だ。
私は諸処の仕事を切り上げて、自分の執務室に戻る白蓮様の背中を見ながら後について歩いた。
澪は土木院で美味しいご飯のお預けをくらいながらも、打合せは終始和やかに終了。
夕日を見ながら物思いに耽る澪は、白蓮様に頭ぽんぽんされてしまいます。
次は執務室に戻って夜のお仕事(笑)資料整理です。
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