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間話:借りの返済(5)

問題は二日目だった。


「あ〜ん」


蓬藍(ほうらん)が蕩けるような微笑みを浮かべて硝子の酒器を傾ける。繊細な細工が洋燈の灯をキラキラと乱反射してまるで宝石のようだ。異国風に設られた室内のアラベスク模様の絨毯の上に座り込んで、すっきりと整った美青年にそんなことをされているから、余計に現実感が乏しくなってしまう。

それでもなけなしの理性を振り絞り、向かいに座った私はぎりぎりまで唇を閉じていた。しかし結んだ唇に上品な強引さでぐいぐいとその酒器を押し付けられて、そのまま中身が溢れても少しも意に介さないという強引な態度をとられ続けると、かりそめとはいえ奴隷の身分に陥った私に勝ち目などあろうはずがない。

あっさりと根負けし、傾けられた酒器の縁にふくりと盛り上がった酒が溢れるという直前で私は唇を開いた。途端に舌先がぴりりと痺れるほど強い酒精が流れ込んできて眉が寄る。


「う……」

「おや、口に合わないかい?」


蓬藍が首を傾げると紫色の髪がさらりと頬にかかる。彼の髪はまだほんのりと湿っていて、その生々しさが私の意識を否が応でもこの世界に引き戻した。今夜の蓬藍は地政官の酒宴に招かれて先ほど帰ってきたところだ。寝支度を済ませた頃、寝酒に付き合って欲しいと侍女が私を呼びに来たのである。


「……いえ、美味しいです」

「そうだろう」


洋燈の橙色の明かりがゆらゆらと照らす中、そうして寛いだ様子で屈託なく笑っていると、蓬藍はずっと若々しく見える。最初に訳も分からず白蓮に引きずられるようにして参加した朝議の席で見た時は、とにかく冷たくて近寄りがたい印象しか感じなかったのに、知れば知るほどそして会う度に、彼に抱く印象は異なる。

逆に言えば、これまでに蓬藍に対して感じたどの印象も、本当の蓬藍ではないのだろう。夏煌祭の時のことといい、今回の借りの返済の件といい、彼の本心は少しもよく分からないどころか、下々の私には意図の在処さえ掴めない。


「とっておきのを買ったからね。さ、もう一度口」

「……うぅ、はい」


この国で十五は成人の範疇だから、食事の席で酒を勧められることもある。夏煌祭の時の一件のように、私は酒が飲めないというわけでも嫌いというわけでもない。前世ではどちらかといえば酒を嗜む方だったから、その美味しさも十分知っているつもりだ。

だから蓬藍が容赦なく傾ける酒器の中身が、とてつもなく上等な酒であるということは分かっている。白蓮(はくれん)のところに弦邑(げんゆう)輝晶(きしょう)が訪ねてきた時にでもだせば、お相伴に預かる桂夏(けいか)も含めてそれはそれは皆に喜ばれるに違いない。


しかし何分、私が嗜むには少々刺激が強過ぎるのだ。時々、寝酒を楽しむ白蓮に付き合って一二杯飲むこともあるが、今飲まされているこの酒は、この国でこれまでに飲んだどの酒とも違っている。無理矢理に例えれば、前世でいうところのブランデーとジンを足して二で割ったような感じといえるだろうか。味わいはさておき、とにかく強い酒だと言うことはこれで十分に伝わるだろう。


それを蓬藍は屈託のない笑顔でお猪口のような硝子の酒器に注ぎ、ぐいぐいと私に飲ませてくる。酒の入った瓶を彼が抱えてしまっているから、追加の酒が注がれるのを阻止する術がない。酌をして欲しいといって呼ばれたのに、これでは役割が逆転してしまっているのではないかという疑問を挟む余地も隙もなく、あれよあれよという間に喉に染みるような強い酒をなみなみ三杯は飲まされて、私はすぐに畏まって座っているのが億劫になった。

三杯飲ませると、ようやく私をいたぶることに満足したのか、足を崩した蓬藍が自分も近くに置いた酒器を手にしてぺろりと舐める。どう考えてもそれがこの酒の正しい飲み方だと、私はふわふわとしはじめた頭の隅で悪態をついた。


「この辺りは交易路の中継地点になるからね、色々と珍しいものが手に入る」

「はい」


その言葉で私は今日の昼間のことに思いを馳せた。蓬藍は今日は本来の目的である公務のために朝から仕事に出かけていたが、私が昼食を済ませる頃になると早々に戻ってきた。聞けば参席の必要な用事は済んだから、後は秘書官の黄鳴(おうめい)に采配を任せてきたという。要はサボりだ。

後は酒宴に出るだけいいからと堅苦しい上着を放り投げると、彼は人の悪い顔で微笑んで、午後は大事な用があるから付き合うようにと、私をまだ足を踏み入れたことがなかった大きな応接間へと連れ出した。

扉が開き中の様子が目に入った瞬間に私は凍りつく。部屋中に敷物が敷き詰められ、そこに衣装やら食器やら酒やら書籍やらと、ありとあらゆる高価そうな商品が所狭しと並べられていたからだ。


こんな状況で『王城から離れて羽を伸ばしまくる、聖人君子の皮を被った、本当は腹黒い第二皇子』がすることは一つに決まっている。脇目も振らずに欲望のまま散財の限りを尽くすのだ。私に求められる役割も明快だ。そんな彼にお強請りをしまくってとにかく無駄金を使わせる、それだけである。

一見、側で聞く限りでは非常に楽しそうな役回りだが、やってみるとこれが想像以上にしんどい。特に高価なものになればなるほど屈託無くせがむのは非常に難しく上手く言葉がでてこないのだ。その度に、私は白蓮にはどうやってこれを買ってもらったのだったかと、右手に嵌めた指輪を眺めて気持ちを落ち着かせ、なんとかその場にふさわしい返事を捻りだそうと苦心した。


五軒の大店を呼びつけて、私からすると信じられない金額を数刻で使い切った蓬藍は、日が暮れると同時に歓迎の夜宴に出かけて行った。昨夜の地政官(ちせいかん)の来訪はその誘いのためだったらしい。そうしてそれほど遅くない時間に帰ってくると、私を呼びつけたのである。


「あの後、使いが来たそうだね」

「はい、地政官の秘書だと名乗る方が、お一人でいらっしゃいました」


私はちかちかと瞬く洋燈が眩しくなって目元を押さえた。


「ふふ、予想通りというのは嬉しいけれど、面白味はないねえ」


蓬藍が酒器を傾けぐいと一口呷る。


蓬藍が夜会に出かけたすぐ後、彼が不在の時を見計らったかのように、地政官の個人的な秘書だという男が訪ねてきた。それも私宛にだ。それだけでも不穏な気配がするのだが、男は地政官からの歓迎の贈り物を『私に直接』手渡すまでは、どうしても戻れないと言い張った。

対応に出た侍女達が白々しい嘘泣きで泣きつかれたと苦笑まじりに話すのを聞いて私と九虎(きゅうこ)と目配せすると、のらりくらりと散々彼を待たせた後、渋々といった様子で面会を承諾した。


面会の内容も別に大したものではない。九虎をはじめ私にも十分すぎる数の護衛がつけられているから安全上の問題とやらもない。しかし同席した侍女が代わりに贈り物とやらを受け取った後も、秘書だという男は中々帰ろとせず、それどころか近寄れるギリギリまで私ににじり寄ると、さすがの九虎も牽制するほどじろじろとした不躾な視線を私に投げかけた。

どこの出身かとか、いつから蓬藍に仕えているのかとか、しつこく繰り返される質問を、私は世間を知らぬあどけない少女の振りをして煙に巻く。最後にはいい加減痺れを切らせた護衛たちに取り囲まれて、その男はつまみ出されるようにして帰っていった。ただそれだけのことだ。


「出身を聞かれて、何と答えたのかな?」

「黒髪は東方に多いそうですから、東の方と、それだけ……」

「なるほど、だからか。国境のこの街にいると、決して戻れぬ懐かしい故郷を思い出すと、窓の外を眺めながら言ったそうじゃないか」

「それは……」


私は言葉につまる。なんとなく予想している蓬藍の任務に役立つのではないかと思い、思わずそんな余計なことを言ってしまったのだ。案の定、秘書官を名乗る男はその話に食いついて、余計にしつこく色々と聞かれる羽目になってしまったが……。


「お陰で、餌への食いつきが格段に良くなって助かった」


含みありげに微笑む蓬藍に返事をしようとして、くらりと絨毯を敷き詰めた床が揺れたような感覚に囚われる。前世では地震の多い国に暮らしていたから、一瞬地震が起こったのかと思う。しかし当然ながら揺れているのは私の方だ。


「さあ、もう一口お飲み」

「蓬藍さま、もう……」

「否やはないよ、そういう約束だろう」

「……っ」


唇に酒器を押し付けられて、私はまたもや受け入れるしかない。喉を焼くような刺激は同じだが、さっきとは何だか香りが違うようだと思った時にはすでに遅く、嚥下した液体はそのままの熱で胃の腑から指先へと体中を駆け巡り、今までにない酩酊感を引き起こした。座っていられずに思わず近くにあったクッションに手をつく。一度体勢が崩れるとなし崩しになり、私は丸いクッションに上体を預けるようにしてもたれかかった。


『──蓬藍様』


唯一、部屋の中に入って扉の付近で護衛をしていたはずの海星(かいせい)の咎めるような声が、意外なほど近くから聞こえる。誰かが崩れ落ちた私の体の下に腕を回すと、姿勢を楽な方へと変えてくれた。それが海星かもしれないと、私は急速に回転を止める思考の端で、されるがままになりながらぼんやりと考える。


『澪』

『……は、い』


今度は近くにいるはずの蓬藍の声が、水を通したようにどこか遠くに聞こえる。飲み過ぎたはずなのに不思議と気分は悪くない。それどころか酷く穏やかで満たされた気持ちだった。蓬藍に話かけられると無性に嬉しくて、聞かれたらどんな秘密事でも話してしまいそうだった。

これは明らかに普通の状態ではないと、今更ながらに思い至る。白蓮にあれほど脇が甘い、隙だらけだと身を持って教えられたにも関わらず、なぜ蓬藍の背後に隠れるようにして置かれている酒瓶が、二つあることにもっと早く気付かなかったのか、進歩のない自分に悲しくなる。


『君はどこから来たの?』


至極柔らかな声で尋ねながらも、決して少しの嘘も見逃さないというように覗き込む、蓬藍のどこまでも冷めた紫色の瞳を、私はどこか他人事のように見つめ返していた。

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