閑話:借りの返済(4)
そして私が連れて行かれたのが、例の強制あーんをされていた部屋だった。私がなんとか三口目まで食べた時、扉が控えめにノックされる。
「殿下、黄鳴でございます。お取り込み中のところ大変恐縮ではございますが……、先ほどから地政官殿がお待ちで──」
同行する蓬藍の秘書官が扉越しに控えめな声をかける。ちなみに黄鳴の呼びかけはもう三度目だ。隣室で待つ地政官とやらはすでに一刻近く待たされている。ちなみに地政官とは地方に派遣される官吏のことだ。前世に置き換えれば県知事のようなものだろうか。そう考えると結構偉い。四口目を食べさせようと匙を掲げた蓬藍は、口元に悪い笑みを浮かべてその匙を下ろした。
「……ふう、仕方ない。分かったよ、少し待ちなさい」
笑顔のまま、声だけは物凄く嫌そうに応える。
「せっかくの愉しみを……黄鳴、お前は無粋が過ぎる」
「申し訳ございません」
傲慢に言い放った蓬藍に、扉の向こうの黄鳴が平謝りした。それを地政官とやらが一体どんな気持ちで聞いているか、考えるだけで私は頭が痛くなる。もちろん地政官が聞いているのは蓬藍と黄鳴のやりとりだけではない。この距離では蓬藍と私のやりとりも全て筒抜けだ。そしてそれが目的なのだと、さすがの私も途中で気が付いている。蓬藍はしたり顔で我儘皇子の演技を続けた。
「九虎っ!」
「ただいま」
笑顔とは裏腹の、苛立ちを含んだ鋭い声で呼びつける。海星と二人で背後に控えていた九虎が、さっと歩み出て私の前に跪いた。
「とても残念だが、邪魔が入ってね。仕方ない、先に部屋に戻っていておくれ」
相変わらず蓬藍の口調は表情と一致しない。人の悪い笑顔のまま、蕩けるような甘い声で言われて、私もなんとか話の調子を合わせる。
「……寂しゅうございます」
「私もだよ」
恥ずかし気もなく口にして蓬藍は九虎に目配せした。九虎はこの部屋に来た時と同じように私を抱き上げると、さっと身を翻し部屋を出る。控えの間を通り抜ける時に、私にも一瞬だけ地政官とやらの顔が見えた。
五十前後のふくよかな男性で、柔和な顔立ちは一見人がよそさそうだ。しかし額の汗を拭う手巾の陰から向けられた、ねっとりと絡みつくような値踏みする視線は、思わず身震いするほどの暗さを孕んでいた。私は視線が合う前に慌てて目を伏せ、思わず九虎の腕の陰に隠れる。
「夜分に何用です。公務は明日からのはずだ」
去り際に、閉まりかかった扉の隙間から、蓬藍の一際不機嫌な声が聞こえる。
「恐れ多くも、殿下におかれましては──」
それに卑屈なほどの平身低頭で応える地政官のやりとりが続く。九虎は無言のまま大股で廊下を通り抜け、指示された部屋に入ると、手近な長椅子に私をさっと下ろした。
「はあああぁぁぁーーーっ」
特大の溜息を吐いて、長椅子の前の床に座り込む。
「九虎さん?」
「ああ、クソッ!」
九虎は悪態をつきながら、珍しくきっちりと撫で付けていた髪をグシャグシャに掻き回した。そしてもう一度大きな溜息を吐く。
「澪ちゃん……何で、こんな仕事を引き受けた……」
砕けた呼び方に、何故だか酷くほっとする。
「……軽蔑、しましたよね」
私がへへっとあえて軽い笑顔で肩を竦めると、九虎はがばりと顔を上げる。
「してねーよ! ……事情は、全部白蓮様から聞いてる」
「え、白蓮様から?」
「普通に考えたら、俺がこんな所でこんな格好してるのはオカシイだろう。ああー、もう何なんだこの制服! メチャクチャ息苦しいっつーの!!」
だから俺には向かねーんだよと、悪態をつきながら九虎は乱暴な手つきで近衛騎士の制服の襟を緩めた。私は少しだけ惜しい気持ちになる。真面目な顔さえしていれば、見目のいい九虎は制服姿が恐ろしく様になるからだ。最初に見た時はまさか九虎がいるとは思わず、一体どこの御曹司が出てきたのかと二度見してしまった。しかし着崩した姿はいつもの九虎そのもので、私は思わず笑ってしまう。そんな私を見て九虎もまた表情を和らげる。
「白蓮様が進言してくださったんだ。こういう時の護衛ならば、気心の知れた相手の方が色々と都合がいいだろうって。それで急遽、俺が特命を仰せ付かった」
「そうだったんですか。それで九虎さんが……」
「海星が俺を推薦してくれたらしい。はぁ、突然、蓬藍様の使者が御印の押された直筆の手紙を屋敷に届けにきて、俺の家族がどんだけ肝を冷やしたか」
「すみません……」
「けど、結果良ければだな。こんな仕事、他の奴にはさせられない」
「うぅ……その、九虎さんは白蓮様からどこまで?」
「大体は聞いてる」
九虎は正面からじっと私を見る。
「理由は教えてくれなかったが。まあ、あの方に借りを作っておいてこの程度の返済で済むなら、運が良かったな」
「白蓮様にも、同じことを言われました」
「逆に澪ちゃんはどこまで理解してる? この状況を」
「私は……何も分かっていないというか、あえて知らないようにしているというか、でもなんとなくさっきの一幕で予想はついたというか……」
「待て、分かった! それ以上は言うな。そのまま曖昧にしておいた方がいい」
「それも、白蓮様に同じことを言われました。だから三日間奴隷になって欲しいという以外は、何も聞かずに来たのですが。それがまさかこんな仕事だったなんて」
「……もしかしてだが、本当に奴隷になるつもりで来たんじゃないよな?」
「逆にそんな依頼で、それ以外に考えようなんてないじゃないですか」
私はちょっとムッとして九虎を睨む。
「知らなかったんですよ。まさかこの国にいるのが、あ、愛玩奴隷だけだなんて。知っていたら、もし知っていたら……全身全霊全力で逃げました! 絶対に!!」
目を見開いた九虎が仰け反る。
「マジか!? マジで本当に何も知らないで来たのかよ。それでさっきのあーんなことや、こーんなことをさせられてると……? 蓬藍様というか、白蓮様と言うか、二人ともマジ鬼畜すぎ」
私はじとりと九虎を見つめる。
「だから九虎さん、代わりに教えてください。愛玩奴隷って一体何なんですか!」
「え? ええっと……」
九虎が視線を泳がせる。
「まどろっこしいのは苦手なので、もうはっきり聞きます。私の仕事範囲ってどこまでだと思います? 愛玩奴隷は愛でられる存在って、それは昼だけじゃなくて、夜も──」
「わー! 待て待て待って、澪ちゃん!! その先は俺に考えさせないでくれ!! これでもすでに物凄ーく、色々と、とーっても我慢しているんですよ、お兄さんは!!」
両手で耳を塞いだ九虎がブンブンと顔を振る。私はその腕に手をかけて頭から引き剥がした。
「でも、だって……じゃあ何で私なんでしょう? こういう役割をもっと上手にこなせて、もっともっと可愛らしい方だって沢山いるでしょう? 私は、もうさっきのが限界です。恥ずかしくて、恥ずかしくて……死にそうなんですから……」
「やー、まー、そのぉ、なんつーの……」
歯切れの悪い九虎が頭を掻く。
「何です」
「あー、まあ男と女の視点は違うっつーか? ああいう初々しい感じはプロだと絶対出せねーし。そのあたりなんじゃないか、澪ちゃんを選んだ理由は。恐らくそういう演出を求めてたんだろう。それと──」
「それとこの髪、ですよね?」
私は自分の髪を摘む。何か言いたげな九虎は微妙な顔で続きを飲み込んだ。
「黒髪、この国では珍しいのでしょ? 多いのは東方、ちょうどこの地域の方向のさらに先ですね」
私は窓から見える夜空の向こうへ視線を向ける。恐らくそれが蓬藍がこの役回りに、全くもって不適格な私を選んだ唯一にして最大の理由だろう。
分かりやすく東方の出身らしい黒髪の、まだ不慣れな少女の愛玩奴隷を伴ってわざわざ地方の視察に出かけ、それをあの腹黒そうな地政官に見せつけるのは……。そこまで考えて私は頭をブンブン振って思考をストップさせた。それが恐らく、知らない方が身のための部分なのだ。
「まあ、それもある。それだけじゃない気もするが……」
「九虎さん、もう一つだけ教えてください」
「何?」
私は九虎に向き直り、がしりと両肩を掴んだ。怯んだ九虎が身を引こうとするが、私は両手に力を込めてそれを引き戻す。
「私、どうして靴を履かせてもらえないのでしょうか?」
「ぐっ……ゲホッ」
九虎がむせる。私は御構い無しにその肩を掴み、怒りに任せてぐらぐらと揺すった。
「知ってますよね、九虎さんなら。何故ですか、教えてください!」
「み、澪ちゃん……それ、知らない方がいいんじゃ……」
「気になるんです、と言うか不便です! めちゃくちゃ不便です!! 九虎さんだっていちいち呼ばれて面倒じゃないですか」
「それはまぁ、どっちかっていうと、役得? むしろ報酬の一部? まあ、靴はあれだな、アレ……。そうだ、甘いもん食べたあとは茶だろ。すいませーん、お茶くださーい!」
わざとらしく両手を打ち合わせた九虎が、分かりやすく話を誤魔化した。
ちなみに臣籍降下しているとはいえ蓬藍は歴とした第二皇子。院長職としては少々破格だが、警備の都合もあって街で一番の宿を丸ごと借り切っている。同じ安全上の理由で、蓬藍とほとんど蓬藍の付属品とかしている私の身の回りの世話は、同行した侍女たちが甲斐甲斐しく取り仕切ってくれている。
茶を届けてくれた侍女から、蓬藍からの戻りが遅くなるから先に休んでいるようにとの言伝を聞かされて私はほっと胸を撫で下ろした。そのまま侍女に寝支度を手伝ってもらい、私は与えられた寝室であまり熟睡とは言えない、そこはかとなく心許ない一夜を過ごした。




