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閑話:借りの返済(3)

それから一刻ほど後、再び元の部屋に戻ってきた私を見た人々の反応は様々だった。九虎は無言でズカズカと歩み寄ってくると、眉間に皺を寄せた難しい顔で私の周りをぐるぐると回り、海星は一瞬呆気に取られたような表情をした後、スッと視線を逸らしてしまいそれきりだ。蓬藍はというと、相変わらず本心の読み取れない微笑みを浮かべて私を見つめながら、うーんと時々考え事をするように唸る。


私はというと、ただ心を無にして三人の前に立っていた。これは修行なのだと自分に言い聞かせる。事実、苦行なのだ。この国のこういう女性用の衣装特有の着付けで、体を華奢に見せるために帯で胸下をきつく締め上げられている。

しかも白蓮の仕立てた衣装は、蓬藍に仕える侍女達も納得させる出来栄えだったらしい。感心した彼女達がさらに気合を入れたので、ふわりと華奢な着付けの下で、ここぞとばかりに締め上げられた私は文字通り息も絶えだえになった。常に気を張っていなければ、締め付けに負けてその場にへなへなと座り込んでしまいそうになる。


胸が苦しいだけではなく頭も重い。腰まで届く付け髪だけでも違和感があるのに、長い髪をさらに前世でいうところのホットカーラーのようなもので縦横無尽に巻かれた。結果、黒髪は波打つ艶やかさと豪華かさと引き換えに、とにかくふわふわひらひら袖に絡まって面倒臭い存在になった。その上でハーフアップに結い上げたところに、これでもかというほどびっしりと生花が飾られている。お陰で頭を傾げるのも一苦労だ。


一応化粧もされているが、その良し悪しは私には分からない。仕上がりを見て侍女達は喜んでいたが、色々と恐ろしく自分では差し出された鏡を直視できなかったからだ。

普段、侍従姿をいいことにすっぴんを貫き通しているから、この国のお化粧事情はさっぱりだ。全てを侍女達に任せた私は、何やら散々と塗られたり描かれたり整えられたりと弄り回された。仕上げにちらりと覗いた鏡の向こう側にいたのは、見知らぬ誰かのシルエットだ。唯一の救いは、ここまで化ければ別の機会にもう一度素の私と会ったとしても、誰も私の正体には気づかないだろうということである。


とにかく重くて苦しくて不便極まりないこの苦行が、一刻も早く終わってくれることだけを切に願って私はしおらしく立っていた。この姿ではそれすらも侍女に手を取られなければ難しい。そしてそんな私とは対照的に、手を取って先導する彼女達は実に満足そうだった。前夜に付け髪を整えてくれた時から二人は何故かノリノリで、いっそ興奮しているといってもいい。


「いかがです、殿下。見事な出来栄えでございましょう」


私の手を取る侍女が胸を張る。彼女はかなりのベテランで恐らく蓬藍の屋敷でもそれなりの地位にいる家人だ。蓬藍と親しみのこもった気安い言葉でやりとりをする。


「上出来だ。澪、こちらへおいで」


足を組んだ蓬藍に軽く指先を振られて、私はそろそろと招かれた方に進んだ。視線の端で九虎が小さく溜息を吐く気配を感じるが、どうすることもできない。以前、葉周に叩き込まれた作法とか、日々、白蓮に直される裾さばきとか、そういうことは全てどこかに吹き飛んでしまっている。というかこの状況でそんなことを考えていたら、一歩も前に踏み出せないのだから仕方ない。


とにかく背筋を伸ばしてゆったりと動く。世の中の姫たちはもっと声を大にして衣装の自由を主張すべきだろう。こんな形で日常生活をこなすなど考えただけで気が遠くなる。

蓬藍が座る長椅子の前で立ち止まると、もう一度指先を振られた。少し考えた後、毛足の長い絨毯の上にゆっくりと膝をつき視線を彼に合わせる。蓬藍は長い指を私の顎に絡めると、出来栄えを確かめるように左右に動かして様々な方向から眺めた。私は込み上げるものをグッと堪えてとにかく大人しく座る。


「想像以上だな、白蓮殿は君をとてもよく分かっている。実に似合っているよ」

「……ありがとうございます」

「ほら、視線を上げてごらん。今から大事な話をするからね」


蓬藍の指に促されて私は上を向いた。


「この三日間、君に何をしてもらうかという話だ」

「……はい」

「ふふっ、そう難しく考えることはない。要求は一つ、ただ従順に私の求めに従うこと、それだけだ」


蓬藍は髪と同系色の淡い紫色の瞳を細めて私を覗き込んだ。微笑みはこの上なく上品で柔和なのに、その瞳はどこまでも澄んで冴えている。それはこの混沌とした世界の中で、唯一彼だけが事実を正しく見極めているのではないかと思わせる醒めた鋭さだ。

だから私に対する、三日間だけ奴隷を演じて欲しいという一見荒唐無稽な要求も、きっと私には計り知れないというだけで、その背景には遠謀深慮が潜んでいるのだろう。恐らく白蓮はそれを理解できる数少ない内の一人だ。その彼がくれた昨晩の忠告を、私はもう一度胸の中で一つ一つ紐解いて丁寧に繰り返した。


「出来るかな?」

「……誠心誠意、お仕えいたします」

「良い返事だ」


蓬藍は私の顎から指を外すと、ゆったりとした仕草で長椅子の背に寄りかかった。胸の合わせから扇を取り出して指先で弄び、見下ろすように視線を動かす。そういう尊大な態度が恐ろしく様になる。そこには白蓮の神々しさとはまた別の、特権階級に生まれついた者特有の傲慢さと威厳が滲む。


「自分が花か蝶にでもなったと、そう思っていればいい」

「……花か、蝶?」

「そうだよ、そうやって可愛がられるためだけに存在するのが愛玩奴隷だからね。息をする美しい人形を飼うようなものだ。気に入った少女でも少年でも、とにかく華やかに着飾らせて贅沢をさせて可愛がり、それを愛でるのが興なんだ。究極にお金のかかる愉しみだろう? まったく、極めて不健全で醜い自己愛に満ちた、反吐が出るような悪趣味だよ」

「……はぁ」

「だが、君はこの三日間を私に売り渡した。故に今は私に愛でられ可愛がられるためだけに存在する。私に可愛がられるように君も努力するんだよ。私が食べろと言えば食べ、眠れと言えば眠り、跪けと言えば跪け。私はこれから悪い主人になりきるからね。澪、覚悟するんだ」


私はごくりと唾を呑み込んだ。返事は乾いた喉に絡まって上手く出てこない。


「返事は?」

「……承知いたしました」

「違う」


蓬藍は弄ぶ扇の先でトントンと長椅子を叩いた。それだけで胃の腑が鷲掴みにされるような緊張がはしる。


「仰せのままに、ご主人様だ。もう一度」


蓬藍が冷たい眼差しで指を振る。


「お……仰せのままに、ご主人様……」

「いい子だ、とても上手だよ」


蓬藍は手を伸ばし、まるで猫を撫でるように跪いた私の頭を撫でた。


「では、練習だ。澪、私に何かお強請りをしてごらん」

「……は、い?」


聞き間違いかと、私は蓬藍を見上げる。


「何でもいい、強請りなさい。大抵のものは手に入る」


蓬藍は言い放ち背もたれに腕をのせた。一瞬前と何も変わっていないのに、それだけで彼は一分の隙もない聖人君子から、気位が高く尊大な皇子に早変わりする。目つきまで変わったような気がして、私は思わず視線を逸らした。


「どうした、言いなさい。可愛く強請れたなら、ご褒美をあげよう」

「……」


途方に暮れた私は伏せた視線を彷徨わせる。そっと海星と九虎の方を伺おうとすると、指を伸ばした蓬藍にぐいと顔の向きを変えられた。驚いて身を引こうとするが、顎に絡められた指は思いの外強く引き戻される。


「主は私だろう、どこを見ている?」

「う……」

「おやおや、早速躾が必要かな? はじめての仕置は何がいいだろうね」


私は頭の中で白蓮の忠告を呪文のように思い出し、何とか冷静さを保とうと奮闘する。これは試験なのだと自分に言い聞かせた。蓬藍自身もこの芝居に必要らしい尊大な主になりきっている。そうして彼は私がどこまでできるのか覚悟を試しているのだ。それに応えられなければ私の借りは返せない。自分で返せなければ、本当の主である白蓮に迷惑をかけることになる。それだけは避けたいのだと、私は長い袖の中で拳を握った。


今回、この役にどうして自分が選ばれたのか、もう何度も考えたその理由に想いを馳せる。結論はいつも同じだ。良いことと、悪いこととが半々づつ。そういう全てを白蓮は承知した上で、この話を引き受けて私を送り出した。だから──、と私は自分に言い訳した。

私が蓬藍からの要求に従ってどんな振る舞いをしたとしても、白蓮はきっと何も聞かずに受け入れてくれる。それさえ信じられれば後は何も恐れることはない。三日間であれば耐えられると、私は顔を上げた。


膝をついたまま、もう一歩蓬藍の腰掛ける長椅子ににじり寄る。ほとんど組んだ彼の足に寄り添うようにして座り込むと、そっと指先を伸ばして膝の上に置かれた蓬藍の手を取った。労働に従事しない男の、滑らかで乾いた指の腹に傾げた頬をすり寄せる。


可愛く、可憐に、愛らしく……。


心の中で呪文のように繰り返すが、私とは真逆に位置する概念だ。行動は理性で制御できても滲み出る感情は隠しきれない。羞恥で頬に血が上り瞳が潤む。それでも私はやめなかった。

ここまで来てはもう後には引けないのだ。全力で蓬藍の求めるものになりきって、そして出来うる限り彼の不興を買わないようにし、何としてでも無事に白蓮の元に帰らなければならない。


「……ご主人様」

「何だい?」


見下ろす蓬藍と目が合うと、私は一層強く頬を彼の指に擦り寄せて、精一杯の微笑みを作った。


「どうか、もうお仕事はお終いにして、今夜は澪と遊んでくださいませ」


かたり、と音を立てて蓬藍の手から扇子が落ちる。


「でないと、お体が──」


別のところでも、かちゃりと何かが当たる音がした。


私は言おうとしたのだ、肝心なことを。そんなに仕事ばかりしていては体が保たないと。だからこんな時ぐらい少しは休憩した方がいいのではと。しかし肝心なその先を言う前に、蓬藍がすらりと立ち上がり、私の言葉の続きは宙に浮いてしまった。


「……ほう、あっ、ご主人様?」

「彼という人は……一体君にどういう教育を──」


口元を覆った蓬藍がさりげなく顔を背ける。


「あの……これではご要望に添わなかったでしょうか? でしたらもう一度、別の……」


長椅子の座面に手をかけて身を乗り出した私を、ふうと息をついて振り返った蓬藍が手で制する。その顔はもう普段通りの彼に戻っていた。


「いいえ、大丈夫です。十分に可愛く強請れてしましたよ」

「……はい」

「約束ですから、ご褒美をあげなくては」


蓬藍は髪を掻き上げると上着の襟元を緩めた。すぐに控えていたもう一人の侍女が側にやってくる。


「海星、秘書官を。今日の仕事は終いにする」

「畏まりました」


一瞬、目を瞠った海星は、すぐに扉の向こうに声をかけに動く。


「九虎、澪を連れてきなさい」

「御意」

「あ、あの……」


私は慌てて隣に立つ侍女に小声で話しかけた。


「靴が」


そっと足元を指差す。白蓮の用意した衣装にはもちろん揃いの靴が用意されていた。私はこの部屋に移動するまでにも何度も願い出ているのだ、その靴を履かせて欲しいと。しかしなぜだか履かせてもらえない。素足というのはかなり心許ないのものがある。何よりもこの国の感覚では、裸足で人前に出るのは相当に端たないことだと、いい加減私も学んでいる。


「澪」


蓬藍に腕を引かれて振り返った。細めた薄紫の瞳で艶然と微笑まれて、思わず後退りそうになっる。


「私が君に靴を履かせるような、そんな甲斐性のない主だと思うのか」

「は? 甲斐性……?」

「九虎」

「ただいま」

「え……ちょ、うわっ!」


驚いた私の声がひっくり返る。いつの間にか側にいた九虎に、当然のように抱き上げられたからだ。見上げた九虎は珍しく真剣な面持ちで正面を向き目も合わせない。そのまま貴重品でも持ち上げるかのように丁寧な手つきで私を抱えると、蓬藍の後に続いて歩き出した。


ど、どうしよう……白蓮様〜!!

全く意味が分からない……、全てが意味不明です……!!!


しかしそんな私の困惑など何処吹く風で、賽は完全に投げられた。歩き出した人々は止まることなく、そうして私は別の部屋に運ばれたのである。

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[良い点] ドキドキ、、、。この後の展開が楽しみです!
[良い点] 男共に理性の究極試練爆弾入りました!ww ある意味ざまぁ?天然娘の威力爆裂!! [一言] 意訳するとマッサージさせてください、リラックスできますよ、借りの返済ですからご奉仕します。健康は…
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