お仕事は議事録から
あれよあれよと朝議の間に辿り着き、軽めの優男人事院長、弦邑様とニアミスした澪。
なんとか波風立てずに退席するタイミングを狙うも……。
かくして今日の朝議は始まった。
時刻は二の刻半、日本で言えば朝の八時頃。
爽やかな朝日の差し込む雅な部屋の中、二重に組まれた長方形の会議机に、八人の院長とお供の者達がずらりと並ぶ。
八人が院長だと分かったのは、白蓮様や先ほどの弦邑様と同様に、内側の机に座っているからだ。
それに漂う雰囲気も眼光も、明らかに只者ではない。
各院長の年齢は白蓮様や弦邑様と同年代から、プラス十歳ぐらいまでと幅広い。男女比はバランスの良い印象だ。
各院長が連れているお共の者達はというと、もう少し若く二十代前半から中頃の年齢が多。
皆いかにも副官や腹心らしい切れ者、もしくはちょっと疲れた中間管理職風である。
そんな中に子供が一人いる。私である。
十代の、それも決して発育が良いとはいえない少女。少年侍従の衣装を着るとさらに幼く、誰がどう見ても間違って迷い込んできた子供にしか見えない。場違い感が半端ないのだ。
事実、白蓮様と弦邑様以外の全ての人が、白蓮様の後ろに座る私を二度見している。
そりゃそうでしょうよ。
誰よりも一番場違いに感じてるのはこの私自身なんだから。
好奇と驚愕の視線に晒されて冷や汗の止まらない私は、白蓮様の背中に少しでも隠れようと、後ろの席で小さくなる。
今からでも遅くない。何でもいいから理由をつけて、この場から逃げ出そう!
私がそう決心してわずかに腰を浮かせた時、白蓮様の向かいに座る人物が手にした扇をぱしりと鋭い音を立てて閉じた。
同時に室内が一瞬で静まり返る。
うううっ、こ、これは、この空気はマズい。
とても席を立てるような雰囲気じゃないよ……。
むしろ今立ち上がったら、一瞬でこれまで以上の注目を集めるに違いない。
仕方ない……。この朝議とやらが終わるまでなんとかやり過ごそう。
そうして終わったら、速攻で白蓮様に事情を説明して元の仕事に戻るのだ。
すでに戻る予定の時間を大幅に超過している私は、迷惑をかけているに違いない雪に心の中で謝りまくる。
雪ちゃん、ご、ごめん……。
「ああ、外商院長殿は本日も欠席ですか。おや、今朝は土木院長殿も不在のようですね」
白蓮様の向かいに座る男性が、ちらりと空白の二席を見た。先程、扇の一閃で室内を静まり返らせた人物である。
肩口で切りそろえた真っ直ぐ紫色の髪がさらりと揺れる。涼やかな顔立ちのとても上品な男性だが、表情の変わらない淡々した話し方が非常に冷たい印象を与える。
年は白蓮様よりも更に数歳若いだろうか。それでも周囲の様子からは、男性がこの場に居並ぶ各院長の中でも、さらに一目置かれる存在であることがひしひしと伝わってくる。
「行政院長様。連日の不在で大変申し訳ございません。外商院長は只今、遠方への商談に出かけておりまして。その、戻るにままだ数日がかかるかと……」
外側の席に腰掛けた三人の内で最も年嵩の一人が手巾で額の汗を拭いながら返答した。外商院の副院長なのだろう。
「自由な気風は外商院の御家柄ですねぇ。こうも連日欠席なさるとは。さすがは平民出の院長殿は仕事熱心でいらっしゃる」
空席の隣に座った男性が扇で口元を隠して、明らかに嫌味と分かる言葉を付け加える。
ひええ、こういうの朝からはやめてほしい……。
というかあの紫の髪の方、とても若く見えるけど行政院長様なんだ。
外商院の副院長は申し訳ございませんと再度、丁寧に謝ってその場を収めた。
「本日は、土木院も副院長の私が代席させていただきます。院長は昨夜から新しい離宮の設計のため製図室に籠られておりまして。着想の神がご降臨されている間は、出席は難しいかと存じます」
着想の……神? なんだそれ。一体どんな芸術家よ。
私は心中でツッコミを入れる。
「ふむ、降臨されていますか。ならば仕方ないですね」
え……? 仕方ないで済んじゃうの?
全然、訳が分からないんですけれど……。
周囲も土木院長の不在理由に特に疑問を抱いている様子はない。
「素晴らしい離宮のお目見えを楽しみにいたしましょう。外商院は代理出席を認めますが、長期の不在でも院長との連携は密にしておくように。では本日の朝議を始めます」
白蓮様の向かいの男性は、一言外商院に釘を刺すと、淡々とした口調で会議の開始を告げた。
再び扇を開いた時に、ちらりとこちらの方を見た気がする。が、気のせいだと思いたい。
私は必死に下を向いてその視線には気づかなかった振りをする。
「では、昨日の夕議から連絡事項をお伝えいたします」
行政院長の隣に控えていた副官と思しき人物が、テキパキと連絡事項を話しはじめた。
そしていざはじまってみるとこの朝議、私にとってはかなり馴染み深いものだった。
ここ半年ですっかり下女生活に適応してしまっていたけれど、前の世界での私はそこそこの大企業に勤める勤続十三年のサラリーマン。
そのころに散々参加していた、朝の連絡会議とか週一の定例会と似ている。
前の世界にいた時は、毎回会議室に沢山の人が集まって、長々と連絡事項を報告だけの会議なんて、これほど非効率的はことはないと思っていた。WEB会議やメール連絡だけでいいのにと、何度文句を言ったか分からない。
しかしこの世界、つまり電話もパソコンも存在しない、伝達手段の非常に限られた世界では、直接人が集まって行う連絡会議は、実に理にかなった方法だった。
今日、この会議に参加して、そのことを身をもって知る。
当然、コピー機なんて便利な機械もないから、後で資料を配布することもできない。最も素早く正確な情報伝達方法は、対面で直接、口頭説明することなのである。
あれはそういう時代の名残だったのかぁ。
おじさんたちの娯楽ではなかったのね。
私は一人で納得する。
さて、自分の仕事ではない、場違いだ、などと散々言いつつも、実は私はすでに朝議の基本的な流れを把握していた。
今朝、白蓮様の執務室で散々書類整理をした際に、議事録の整理もしたし、直近のものと前年同月の近しい日付の朝議の議事録も探して持ってきているからである。
ううっ、この矛盾した私の行動は一体……。
しかし、どんな会議でも下調べと事前準備を欠かさないのは、十三年のサラリーマン生活で染み付いた私の習慣だ。
昔、それを疎かにしてとある会議に出席して、大失敗をしでかしたことがある。
以来約十年、どんなに小さな会議でもこの習慣を欠かしたことはない。
私にとっては事前準備なしの会議に出席するというのは、苦痛以外の何物でも無い。準備の労力が無駄になることなど、あの失敗に比べればへっちゃらだ。
そしてどんなに不本意であろうとも、引き受けたからには中途半端にしておけないのも、また私の難儀な性分の一つだった。
社会の理不尽な扱いにも、すっかり慣れてしまった自分が悲しい……。
私は白蓮様の後ろで小さくなりながら、手元の資料をめくる。
過去の議事録によれば、朝議の流れは毎日ほぼ同じだ。
まずはじめに、五老師と呼ばれる院長よりもさらに偉い方々が行った、前日の夕議の内容が共有される。
次に、参加する各院からの連絡事項の伝達。
その後、懸案中の議題に関する議論や課題提起、そして最後に質疑応答で締め括られる。
あ、もしかして白蓮様の向かいの方、蓬藍様という名前かも。
私はほんの少しだけ頭を上げて、白蓮様の背中越しに向かいの人物を盗み見る。手元に控えた過去の議事録に「行政院長の蓬藍様」という記載があったのだ。
蓬藍様って、どこかで聞いたことがあるような……?
でも、うーん、思い出せないや。
ぼんやりと蓬藍様の名前について記憶を探っているうちに、気付くと五老師の報告が進んでいた。
周囲のお供の者達はせっせと議事の内容を書き写している。
しまった!私も白蓮様に控えを頼まれていたんだった。
しかも白蓮様のお供は私一人……。
この世界じゃ、後で写真撮らせてとか、コピーさせてとかもできないのよ! な、なんて不便なの!!
私は慌てて筆をとる。
通信技術はもちろん筆記用具一つとってもこの世界と前の世界とは違う。
この世界の筆記用具のスタンダードは筆である。
机にはあらかじめ紙と墨液の並々と満たされた硯が用意されていた。私は急いで持参した筆を取り出すと、穂先を墨液に浸し、勢いよく議事録をとりはじめた。
ところで、故あって私の趣味は渋い。
幼い頃に色々あって、祖母に女手一つで育てもらったからだ。
もう亡くなってしまったけれど、祖母はかつて芸者をしていたという粋な人だった。
芸事の嗜みはもちろん、趣味人で数寄者だったから、その影響を受けて私も色々と習い事に通っていた。そしてそのどれもが、祖母の影響を受けた渋い習い事ばかりだったのである。
故に、私の趣味は渋いのだ。ピアノやバレエなどというハイカラなものからは程遠い人間である。
特に書道は私も好きで長く続けていたから、腕には多少の自信があった。突然の筆生活になっても慌てないのは、そのお陰なのである。
だけど、現代の書道はあくまでも観賞用であって生活の道具ではなかったのね……。
今、まさに筆書で議事録をとりながら、私はその事実を痛感する。
筆で議事録、これかなり鬼畜の所業だわ……。
そもそも現代の書道は絵画に近い。日常生活で使うことはほとんどないから当然なのだが、観賞用とメモ用では、筆運び一つから全く別のスキルが求められる。
私が四苦八苦しながら筆書で議事録をとる間に、朝議はどんどん進んでいく。
夕議の内容共有が終わって、各院からの連絡事項に移り、さらに懸案中の議題に関する話し合いがはじまる。
まず、宮内院祭礼局から、来月中旬に実施予定の夏煌祭の準備に関する進捗報告と、改めて各院へ当日の協力要請が行われた。
この国では毎年二回、夏至と冬至の日に季節の移り変わりを祝う大規模な祭礼が行われる。簡単に言うとお祭りだ。
このお祭りの前後は街でも城でも様々な催し物があり、当日は奥宮で王族も参加する大宴会が行われるなど、国全体がお祭りムードに包まれる時期となる。
そして毎年この時期は、酔って騒いでの喧嘩、事故、急病、騒ぎの隙を狙った他種の犯罪など、ありとあらゆるトラブルが発生することになるらしい。
そのため主幹である宮内院祭礼局を中心に、数ヶ月前から各院連携しての体制整備と準備を進めているそうなのだが、現在その準備が佳境を迎えてるようだ。細かな連絡事項にさらに細かく鋭い質問が飛び交い、どの院もかなりピリピリしている。
次に行政院外政局から、間もなく来国予定の他国の王族に関する情報共有があった。
これは毎年の恒例行事のようで、今年も周辺数カ国から王族、もしくは王族に近い血筋を持った要人が遊学のために長期滞在するという。
遊学の受け入れ先については本人の意向も確認しつつ現在調整中で、決定次第追って通達するとのことだった。
終始にこやかに会場を見回しながら話す行政院の副長に対し、どの院長も微妙に視線を逸らし気味だ。
なるほど、身分の高い他国の遊学者を受け入れるのは、余程面倒な依頼なのだろう。
他には、軍兵院から先月に勝利終戦した行軍一行の帰還予定の共有、刑司院から近日予定されている裁判概要、外商院から直近の大型の買付け品目の共有、そして最後に財歳院から先月の収支に関する報告がなされる。
その後、各院からの質疑応答があり、最後の質問が終わったのは三の刻半に近い時刻だった。およそ二時間のみっちりと内容の詰まった会議である。
慣れない用語を必死に聞き取りつつ、これまた慣れない筆で議事録をとり続けていた私は、緊張と集中でほとんど今日一日分のエネルギーをぼ使い果たしてしまった気がする。
脱力して机に突っ伏した私と書き散らかした議事録をちらりと横目で確認しながら、白蓮様が立ち上がった。
「おい、寝るな。すぐに出るぞ」
「はい……」
私はぐったりしつつも急いで机の上のものをかき集めると、すでに扉近くまで移動した白蓮様を追いかけた。
場違いと冷や汗をかきつつも、うっかり朝議に馴染んでしまった澪。
筆書きに悪戦苦闘しつつも、なんとか議事録を書き終えました、
サラリーマンの性とは恐ろしいですね(笑)
さて、二人の本日の予定は目白押し。次は急いで外商院に向かいます!
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