夏煌祭の三日間 <第一夜> お仕事は月明かりの密談から(2)
「申し訳ございませんでした」
私は深々と頭を下げた。
後ろに控える三人が同時に息を呑むのを背中で感じる。
桂夏は少し離れた位置に立ち、そんな私達の様子を見守っていた。
白蓮は執務室の向こう側にゆったりと腰掛けて静かに私の謝罪を聞いている。
一見、その姿はいつもと全く変わりないように思える。
声も表情も実に落ち着いたものだし、その佇まいは相変わらず超然として美しい。
しかし白蓮と最も付き合いの長い桂夏と、彼との生活に慣れはじめた私には少々違った世界が見えている。
静かに座る白蓮の背後に、極寒のブリザードが吹き荒れているのだ。
そうして、その容赦無く吹き付ける吹雪に埋もれ、今にも遭難しかけている人物が約一名。私である。
桂夏は黙って見届け役に徹しているというよりも、何とかこの不機嫌の直撃を受けまいとして、無の心で宙を見つめているという方が正しい。
そして私にはもう一つ別の世界も見えている。
白蓮の麗しい目元にくっきりと刻まれた隈である。
そう思って改めて彼の顔を見直すと、頬は白いというよりも青白く、銀髪の輝きもどこか精彩を欠いている。
私が最後に見た時の彼が、屋敷の庭で朝日を浴びてあまりにもキラキラと輝いていたので、その時の印象との対比で錯覚が起こっているのかと思ったが、どうやらそうではないようだ。
恐らく、昨日発生したという後宮のトラブルでほとんど休息も睡眠も取れていないのだろう。
「申し訳ございませんでした」
深く頭を下げたまま、私はもう一度謝罪の言葉を繰り返した。
白蓮は長い睫毛をふさりとさせて私を一瞥すると、指先でばらりと机の天板を弾く。
その音を聞く度に、私の背中をぞわりと鳥肌が這い上がった。
私の知る限り、出会ってから最も機嫌の悪い白蓮である。
「なぜ、先に報告に来なかった?」
「申し訳ございません。私の不手際でございます」
「ふうん、不手際で応急室の運営を代行することになるのか?」
また、ばらりと白蓮の指先が天板を弾くと、私の背中をぞわりと鳥肌が這い上がる。
「それは……」
「それとも、統括司令幕府などという巫山戯た名称を振りかざし、王城全域の人員配置に采配を振るうことになるのか?」
「その……」
「それは君の仕事なのか?」
「いいえ……」
「主に心配させるのが侍従の仕事だと?」
「申し訳ございません……」
先ほどからこの問答の繰り返しである。
すでに各所から詳細な報告が上がって来ているようで、今日一日の私の行動は完全に把握されている。その上で怒られているのだからもはや打つ手はない。
私も私で、最初から言い訳をするつもりがなかった。
自分がその場に残って応急室の運営を手伝った方が効率的だと思ったとか、医薬院のためにやったことだとか、後半は完全に九虎のせいだとか、色々言いたいことはある。
しかし私が彼への報告を蔑ろにして終日勝手に出歩いていたのは事実だし、それは侍従として到底あるまじき行いだ。
もし私が組織に仕えるサラリーマンだったら、今日の行動はよくやったと褒められることだろう。しかし今の私はあくまでも白蓮の個人的な侍従である。常に最優先すべきは主である白蓮の意思であり要望なのだ。
葉周にあれほど口を酸っぱくして説明されたにも関わらず、私はまだ侍従の心得というものを全く理解できていない。それは仕方のない面もあると思う。日本で暮らしていた私には、ある特定の個人に身も心も尽くして仕えるという感覚が分からないというよりも無いのだから。
言葉で説明されて頭では理解しても、根底の部分で私はこの感覚を一生理解できないだろう。
更に言えば、人間の感情は理屈が通れば許せるというような簡単なものではない。
特に白蓮のようなタイプの人物がこんな風に怒りを見せる時というのは、その背後には複数の要因が複雑に絡み合っていることが多い。
だとすれば私にできることはただ一つ。兎にも角にも心を尽くして謝って彼の許しを請うことだけなのだ。
果敢にも、私を巻き込んだ張本人である九虎が、何度か説明しようとしてくれてはいる。しかしその全ては白蓮の一睨みによって蹴散らされていた。
しかし、今ので五回目の問いを繰り返した白蓮自身も、そろそろ不機嫌な状態を保つことを面倒に感じはじめている節がある。怒りは持続するのにもエネルギーが必要だ。疲れているのなら尚更だろう。ほんの少しだけ語調が柔らかくなった気がするのだ。
桂夏も同じことを感じたのだろう。すかさず助け舟を出してくれる。
「先生、澪君もこの通り反省しているようですし、僕からも改めて言い聞かせます。結果的には無事だったのですから、そろそろこの辺りで……」
再び、ばらりと白蓮の指先が天板を弾いた。
「澪、どれほど危険なことをしたのか分かっているのか?」
「危険……はい……」
「分かっていないようだな」
白蓮が眉根を寄せる。
再びブリザードが吹き荒れるかと思った時、執務室の扉がノックされた。
返事を待たずに扉が開いて意外な人物が顔を覗かせる。
「……!?」
姿を現したのは、波打つ黄金の髪を高く結い上げて壮麗な祭礼用の衣装を身に纏った輝晶だった。
ま、眩しい……。
正装した彼はまるで地上に降臨した軍神のように雄々しくゴージャスである。
「九虎、来い」
彼が小さく指先を振ると、途端に表情を引き締めた九虎が駆け寄る。二、三の指示を受けると九虎は廊下を風のように駆けて行った。輝晶は指示を出すと白蓮の執務室に戻ってくる。
「少々、話したいことがある」
視線を向けられて、ハッとした波流と冬利がすぐに深々と礼をして退室した。
私もその後に続こうと回れ右をするが、扉は目の前でぱしりと閉まった。
見上げると輝晶が扉の縁をがっちりと抑えている。
「君は残れ。聞きたいことがある」
「……はい」
恐る恐る振り返ると、白蓮が呆れた様子で手を振った。
私はそっと息を吐き輝晶の後について渋々と部屋の中に戻る。
私は困っているというよりも、ひどい混乱に陥っていた。
何故だって? 決まっている。輝晶と瓜二つの姿をした全く別の誰かが目の前にいるからだ。
三百六十度どこから見ても輝晶にしか見えないのに、この人物は恐ろしく常識的で真っ当だ。
私の知っている輝晶といえば、祭礼局の奥深くにある衣装に埋もれた魔窟に住まい、人を着せ替え人形にして趣味の享楽に耽る、爛れたオネエ言葉の中マッチョである。
しかし、この目の前を歩く人物は、顔も体型も全く輝晶と同じだが、身に纏う雰囲気が百八十度違う。神々しい見た目に相応しい威厳と貫禄を漂わせた威風堂々たる武将なのだ。
つまり論理的帰結はこうなる。
輝晶と瓜二つの、しかし全く別の誰かが存在すると言うことだ。つまり彼は双子だったのだ。それしかこの状況を説明できる理由はない。もしくはミステリのトリックのように三つ子かさもなくば四つ子である。
そうでなければ困る。でなければあの魔窟のお姉さまと今目の前にいる威風堂々たる武将が、もしも同一人物なのだとしたら、私は彼のあのオネエ言葉の狂態を、一体全体この武将の、どのような心理のどのような状態だと理解すればいいというのか?
しかし一方で嫌な予感もしている。
彼の身に纏う祭礼用の衣装が、どう見ても芸術的に美しいのだ。
果たして普通の武将が祭礼衣装にそこまでの甲斐性を発揮するだろうか? どうか彼の兄だか弟だかは知らないが、魔窟に住まう本物の輝晶が仕立てたのだと信じたい。
色々なことで頭が一杯になった私がふらふらと歩いていると、不意に襟をぐいと掴まれた。
驚いて見上げると輝晶、とそっくりの誰かの顔が間近にある。
その誰かは値踏みするように私を一瞥すると、青いエーゲ海の瞳を細めた。
「この衣装の色は君には似合わない」
その瞬間に稲妻が私を貫く。
目の前にいるのが輝晶に瓜二つの誰かではなく、輝晶本人だと悟ったのだ。
執務室でのお話はもう少し続きます。
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