夏煌祭の三日間 <第一夜> お仕事は月明かりの密談から
九虎に突然「嫁になれ」宣言された澪。
しかし、驚きはこれだけで終わらずに……
私は驚いて後退った。
そんな私の反応を、九虎は腰に手を当てて面白がるように観察している。
「俺、仕事できるし出世するぜ。見た目もほら結構いい男だろう? 自分で言うのもなんだが、引く手数多の優良物件だからな」
「な……ははっ、はぁ〜、九虎さん。私のこと子供だと思って揶揄うのはやめてください。今日は疲れていて、もう冗談に付き合う気力は残っていませんので」
冗談ということにしてさり気なく立ち去ろうとした私の腕を、素早く九虎が掴んだ。
痛くはないが引き剥がせない、そういう絶妙な力加減だ。
「腕細っそ! だが、女の体が仕上がるのはこれからだ。しっかり食えばこの顔だ、相当いい女になること間違いない。なあ、お近付きの印に今夜は一緒に食事に行こうぜ。体への投資と思って、好きなもんなんでもご馳走するから」
「な、何を勝手に。しかも何ですかその体目当て分かり過ぎの誘いは! 離してください、九虎さん!! 私、白蓮様のところに戻って謝らないと」
「何で、白蓮様のとこ? 医薬院の所属なら桂夏様が先だろう? まあ、いっか。あくまでも俺の求婚を冗談として受け流すつもりね。でも俺本気だから、ほ・ん・き。ちゃんと真面目に考えてくれよな」
九虎はしっかりと『求婚』のところにイントネーションを置くと、私の顔を覗き込んだ。
「なあ、念のために聞くが、今付き合ってる奴とかいないよな? 俺、そんなに貞操観念こだわりないから別に気にしないけど、もし今そういう相手がいるんなら、そいつ絶対にシメる」
「……」
私は呆気に取られて九虎の琥珀色の瞳を見上げる。
元気な時ならば、こういう際どい戯れも娯楽と思って楽しめるかもしれない。
しかし今は、食事もそっちのけで一日中頭をフル回転させた後だ。
私にはもう態度を取り繕えるほどの気力は残されておらず、少々厳しい本音が漏れてしまう。
「……その、何で私なんですか?」
「は?」
「仕事に惚れたとか冗談はさておき、本当の理由は何ですか? 仕事なんて出来たところで、女としての魅力には関係ないでしょう」
「はあ? 何言ってんだ。仕事のできる女じゃなきゃ困るだろう。一緒に協力して家を支えて、その上子供まで産んでもらうんだぞ?」
「なら尚更、もっと料理とか掃除とか得意な家庭的な人の方がいいじゃないですか。仕事と一体何の関係があるっていうんです?」
「料理や掃除? それこそ、そんな人を雇えば済むことできる必要なんてないだろう」
九虎は何かに気付いたように目を瞠った。
せっかくだから、私が人を雇うような家柄の出身でもなく、それどころか身よりもない孤独な身の上であることにぜひ気づいて失望し、この趣味の悪い冗談を一刻も早く終わらせてほしい。
「ああ、もしかして澪って他国の出身か? なら価値観の相違か……。いいか、この国は商業国だから実力主義の傾向が特に強いだろう?」
「それは……分かります」
「家業でも官吏でも、仕事をしている奴ほどそのことが身に沁みてる。だから自分の子供には少しでも優れたものを持って欲しいと思うわけだが、そしたら当然嫁さん選びが一番重要だろう?」
「は……?」
「最悪、教育は後からでも金で買える。けど元々生まれ持った素質は変えられない。だとしたら、できるだけ良いものを持って生まれて来て欲しいと誰だって思うだろうが。半分は嫁さんの血を受け継いでくるんだから、嫁さんの素質はスゲえ重要だろうが。それに夫婦で協力し合って家を切り盛りできるような才覚のある女じゃなけりゃ、子供云々の前に家が没落しちまうじゃないか。だから当然、優秀な奴ほど真剣に優秀な嫁さん探しに邁進することになるんだよ」
「まったく、そんな屁理屈で誤魔化されませんよ!」
「屁理屈なものか! あーあ、ほらみろよ。ぐずぐずしてたから、あいつら来やがった。ちっ、せっかく先に手込めにして唾つけとこうと思ってたのによ」
「来たって、誰が……」
九虎が指差した方を見る。
確かに二つの影がこちらに向かって来ていた。
月明かりの下でよく見ようと目を眇めると、不意に体が中に浮いた。気をそらせるために誘導されたと気づいた時にはすでに遅く、私は九虎の肩の上に軽々と担ぎ上げられていた。
「九虎さん、下ろしてください!!」
足をバタつかせて精一杯暴れるが、膝に回された逞しい腕はビクともしない。
そうこうしている間に、二つの人影が追いついた。
九虎の肩に担ぎ上げられた私を見て、二人が剣呑な表情になる。
「九虎、澪さんを離せ!」
驚いたことにやって来た二人の内一人は、先日、白蓮の屋敷で会った錦屋の名代で、普段は土木院に勤めているという波流だった。
「いやだね、澪は俺が先に目を付けたんだ。お前らこそ帰りやがれ」
「波流様! ええっと、そちらの方は確か財歳院の──」
「冬利と申します。以前に一度、財歳院長の部屋でお目にかかりましたね」
「ああ、あの時の! その節はどうも。って、九虎さん、どさくさに紛れてお尻触らないでください!!」
私が暴れると、九虎は面白がって見せつけるように私の体をわざとらしく撫で回す。
「分かっただろう、澪はもう俺のもんだ。さっさと帰りな、土木院ボンボンが」
「ちっ、これだから脳筋野郎は下品で困りますね。僕がボンボンですって? その言葉そっくりそのまま返しますよ、軍兵院の放蕩息子が!」
二人は殺気を撒き散らして睨み合う。
少々離れたところに佇んでいた冬利が穏やかな声でその間に割り込んだ。
「よろしければ、私もその戦いに参戦させていただけますか。最初に澪さんに目を付けていたのは、間違いなく私でしょうから」
「ちょ、ちょっと、お待ちを! 波流様も冬利様も……ご冗談ですよね? 皆さんいい大人なのですから、この蜜柑頭の訳のわからない挑発に乗ってふざけるのはやめてください!」
「訳が分かってないのは、澪だけだぜ」
「え?」
「ええ、僕たちはいたって真剣に澪さんを狙って争っていますよ」
「は?」
「はい、もちろんです。結婚前提で交際を申し込むつもりですから」
三人が実に不思議そうに、九虎の肩に担ぎ上げられた私を見る。
「……え? ……じゃあ、まさか……本気なんですか? ええっと……まさか本気で、その……」
「当たり前だろう? 求婚なんて冗談だってしたことねえよ」
「……え? ……えええ!! な、何でこんなことに……」
昼間と全く同じ状態だ。
いつの間にか、再び訳の分からぬ状況に巻き込まれている。
いい加減私の頭がパンクしかけたところで、素晴らしい救世主が訪れた。
「君たち、一体いつまでそこにいるつもりです? 仕事が終わったのなら持ち場に戻りなさい」
声の主は医薬院の副院長、桂夏である。
月を背に毅然と佇む姿はまさに天の助け。
「これは桂夏様、大変失礼いたしました!」
九虎は先程までの振舞いが嘘のように礼儀正しくなると、私を素早く地面に下ろしてお手本のような敬礼をした。他の二人もすぐに礼の姿勢をとる。
その姿に、私は改めて桂夏の凄さを思い知らされた。
普段、あまりにも気軽に接している自分の姿を思い出して、背中に冷や汗が流れる。
「堅苦しい礼は不要です。澪君もこんなところにいたんですね、先生が探していますよ」
「はい……。大変申し訳ございませんでした。……白蓮様に叱られる覚悟はできております」
「よろしい、では一緒においでなさい。何やら昼間にやっていたそうですね? 報告は各所より上がってきています。まったく、そこの三人も一緒に来なさい」
「あの、桂夏様、少々よろしいでしょうか?」
九虎が学生のように手を挙げる。
「はい、九虎君、何でしょう?」
許可する桂夏もまるで先生のようだ。
「ええっと、澪さんが桂夏様ではなく白蓮様に叱られるのは、白蓮様に何か仕事を頼まれていたのでしょうか? それでしたら私が謝罪を──」
「おやおや、情報通の九虎君でも知らないことがあるんですね。いいですか、澪君は医薬院の見習いではなくて、白蓮様が個人的に買い上げた侍従です。ですから澪君に手を出すのは自由ですけれど、自己責任でお願いしますよ」
九虎がこれ以上は無理というほど目を見開いて私を見る。
私、今桂夏に何か酷いことをさらりと言われなかっただろうか……。
「あの、あの白蓮様を落としたのか? あの人嫌いで有名な白蓮様を? 超絶恐ろしくて超絶美人なあの白蓮様を? ……まさか澪、あの人とそういう関係なのか? だったらさすがに手強い──」
九虎が急に真剣な顔で腕を組みブツブツと独り言を呟き出す。
「そんな関係じゃありません!! 白蓮様に失礼すぎます。白蓮様は私を助けてくださっただけです。変な勘ぐりはやめてください!!!」
「ふーん」
「その顔、全然信じてませんね?」
「いや、もし本当にあんな男を落としといて、その上お預けまで食らわせてるんだとしたら、澪ちゃんマジ最強! って思ってただけ。惚れ直した。なあ、頼む俺と結婚してくれ!」
「もう! 私の話、何も聞いてませんね!!」
そうして私たちは騒々しく医薬院の階段を登り、白蓮の執務室に移動した。
そして私はそこで、白蓮の侍従人生最大の危機に直面することになる。
いや、今まさに直面していると言うべきだろう。
超絶美人の男が、不機嫌きわまりない時の破壊力を、私はまだ知らなかったのである
次回は、不機嫌な白蓮様とのご対面です。
そして、前宵の裏側では実は他にも色々なことが起こっていたようで……
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