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閑話:察しのいい男(医薬院副院長 桂夏視点)

今回は医薬院副院長の桂夏視点でのSSを書いてみました。

澪が医薬院に勤めて三日目の朝、長椅子で居眠りしている間の出来事。

 「おはよう、ござ──」

 医薬院院長の執務室に入室した僕は、目に飛び込んできた異様な光景に衝撃を受け、次に発する言葉を失念してしまった。

 どれほど異常な光景だったかというと、公休日の朝まだ早い時間、医薬院院長の白蓮先生が執務室で居眠りをする侍従に上掛けを掛けていたのである。

 それも口元にほんのりと慈愛溢れる微笑を浮かべ、羽が舞い落ちるようにそっと優しく掛けていた。先生の微笑を目の当たりにしてしまった僕は、目を閉じてしばし呼吸を整える。相変わらずなんて無駄に破壊力のある美貌なのだろう。

 一緒に仕事をして長い僕だから先生の美貌にはかなりの耐性がついているはずなのだけど、未だに不意打は辛い。


 「……先生、ただいま戻りました。あの、これは誰でしょうか? 風河(ふうが)君の衣装を着ているようですが……」

 僕は忍び足で見知らぬ侍従が眠る長椅子に近づきながら、囁き声で先生に尋ねる。

 「大義だったな、桂夏」

 先生のかけてくださった言葉から、僕の対応が正しかったことが分かる。先生はこの長椅子で眠る少年……いや少女かな? を起こすつもりはないのだ。

 長椅子に近づいた僕は健やかな寝息を立てて眠る相手を手早く観察する。見たところ年は十五くらい。濡れたような艶のある黒髪に染みひとつない象牙色の肌、背は高くも低くもなくほっそりとした体つきをしている。顔はというと結構綺麗な造りだ。大きな目に長い睫毛、華奢な鼻と顎、淡い桃色の唇。いかにも良家の子女らしい、それもかなりの家柄らしい品のある顔立ちだ。しかし何よりも僕が驚いたのは、近づくと先生と同じ香りがしたことである。


 うーん、これってどう解釈したらいいのかな?


 先生と同じ香りがする、それはつまり先生と同じ香油を使っているということで、同じ香油を使うようになる状況など、この執務室の奥にある湯殿を使ったとしか考えられない。そして湯殿を使うような状況など、そうそうあるはずもない。


 つまりは、うーん……そういうこと?


 しかし、と僕は考え直す。白蓮先生はどちらかというとというか、かなりというかの人嫌いだ。

 自分が仕えてこの方、つまりは見習いの頃からの気が置けない仲である自分が知る限り、先生は他人に触れることも触れられることも異常に忌避している。一番身近にいる僕ですら、先生に本当の意味での恋人がいたことがあったのかどうか分からない。


 そこから推察するに……、風呂は貸したけど同衾(どうきん)はしていない?

 その辺りが正解のような気がするな。

 でもそれって……一体どんな状況?


 「会談はどうだった?」

 先生は長椅子で眠る、うーん多分少女かな? の顔にかかった髪をそっと避けながら僕に尋ねる。

 「昨年と変わりなく、無事に勤めて参りました」

 「そうか、大義だったな。明日は一日休むといい」

 先生は口元に微笑を浮かべると僕に労いの言葉をくれた。

 今日は非常に機嫌がいいようだ。僕も笑顔を作ってお礼を返す。


 僕は今朝早く、医薬院長白蓮先生の名代(みょうだい)で出席していた、市井の薬種組合(やくしゅくみあい)と年に一度行われる会合から戻ってきたところだ。

 目的はというと、会合とは名ばかりの唯の懇親会である。今年は郊外にある温泉地に宿をとり、二泊三日の泊り掛けで行われた。宿に到着した初日、最初の一刻ほどは会議がある。しかしそのあとは飲んで騒いで浸かっての大宴会が夜通し続く。

 先生は毎年、何かと理由をつけてはこの役を僕に押し付けるので、最近では参加の事後報告をするだけになってしまった。


 まあ、僕はこういうのそんなに嫌いじゃないからいいんだけど。知り合いも結構いるし。

 

 というのも僕の実家は、この国の首都では一二を争う薬種問屋なのだ。

 商業大国であるこの国では、家業でも領地経営でも実力主義の側面が非常に強い。家業の後継もその例に漏れず世襲ではない。当主交代の時期に、年齢の適した四親等以内の親族から実力によって指名されるという決まりだ。だから次男の僕にも十分に、人に言わせるとかなり立派な後継者資格がある。それは官吏になった今でも変わらない。

 しかし元来、研究者肌の強かった僕は、後継の座を狙って常に足の引っ張り合いをするような商家の家風にどうしても馴染めなかった。そこで官吏見習いになれる十三の年になると、勝手に登用試験を受験し、そしてすんなりと合格し、晴れて憧れだった医薬院で働き出したのである。


 先生とは登用試験に合格し、一番最初に寮で同室になった時からの付き合いだ。だから実は先生と僕はそれほど歳が違わない。僕が十三で先生が十六の時に出会ったから、実質三歳の差しかない。

 しかし出会った当時から先生は先生としかいいようのない貫禄があった。実際に医術に関する知識も技術も飛び抜けていた。僕は年齢に関係なく今も昔も出会った頃から、先生の医術に対する真摯な姿勢や、研究や知識への飽くなき探究心を心から尊敬している。

 僕達はなんだかんだで同じ院に配属され、なんだかんだで一緒に仕事をするようになり、そしてなんだかんだで院長と副院長という関係になっていた。つまりはかなりの腐れ縁というやつだ。


 気を付けていたけれども、長椅子の眠りの君は僕と先生のやり取りで目を覚ましてしまった。

 「ごめんなさい!」と大きな声で叫ぶと一目散に逃げてしまう。声を聞く限りでは少女だったようだ。


 ああ、行ってしまった……。せっかく素晴らしい人材がいたと思ったのに。


 先生が見せてくれた彼女が書いたという議事の控えや各種報告書、書類整理の状況、そして何より先生の彼女に対する様子を見る限り、この医薬院には是非とも必要な人材だ。



 僕はぱたりと音を立てて閉まった扉を見ながら、ふと先生に尋ねる。

 「先生、澪君が僕の甥じゃないって最初から気づいてましたね?」

 「さて」

 「名前をご存知だったじゃありませんか。名前を聞けば、流石に甥じゃないとわかりますよね?」

 「そうかも知れぬな」

 ふふふ、と先生は唇の端に微笑を浮かべた。

 僕は直視しないように微妙に視線をずらす。


 ふう、今回は間に合った。


 「いつからご存知だったんです?」

 「はて、あれは先の朝議の時か」

 「では、ほとんど最初から知っていたじゃないですか!」

 「はははっ」

 非常に珍しいことに、先生が声を立てて笑った。

 「何処の子かすぐに調べましょう。ぜひ医薬院に欲しい人材です」

 「だが官吏見習いなどではなかろうな。侍女か、いや下女かもしれぬ……」

 先生は顎の下に指を当て何か思い出すように上を見る。

 「え、下女? まさか。だってあの議事の控えその子が書いたんですよね? そんな下女なんてことあるわけが……」

 「桂夏、手を見たか?」

 「え? 手ですか?」

 「あの子の手だ。面白い手をしていた。労働などしたことのないような華奢で皮膚の薄い手なのに、肌だけが荒れていた。あれは子供の頃から労働をしていた手ではない。何か事情があって最近、急に仕事をするようになったのであろう」

 「ということは元はかなりの家の出身だと? うーん、そういう場合も無くはないですよね」

 今度は僕が顎の下に指を当て上を見る。

 黒髪に黒目の組合せは東方の出身に多い特徴だ。とすれば先生の手の話と組合わせると、先の戦で家を失った良家の子女という線は十分にありうる。そう考えれば、下女でありながらあれほどの仕事ができるというのも納得できない話ではない。

 そういうことはままある。特に僕の実家は商家だから、商売の失敗や災害、戦火などで零落した家の子女を頼まれて雇うことも多い。彼ら彼女たちは根性さえ続くなら、手厚く教育の基礎が施されているからいい商人になれる素地があるのだ。


 「桂夏、戻って早々手間だが、休暇に入る前に人事院に行って澪のことを問い合わせてきてくれぬか?」

 「畏まりました。でも澪君が官吏見習いでないとなると、医薬院では雇えませんね……」

 僕は肩を落とす。

 「そうがっかりするな。私の個人的な侍従として買い上げれば問題なかろう。少々手間だが、札をつければ院にも自由に出入りできるし、仕事もさせられる」

 「え……でも、よろしいのですか? 個人的な侍従を増やすとなると色々と、その……」

 「桂夏はあの人材、逃しても良いと思うのか?」

 「まさか! 喉から手が出るほど欲しいですよ! 医薬院が常に人手不足なのは先生も重々ご存知でしょう? 澪君を雇えれば、何も出来ない見習いを教育する手間と時間が大幅に省けます」

 それに先生とも上手くやれるなんて奇跡的……という続きはぐっと飲み込んだ。


 医薬院は先生が院長に就任してから急激に役務を拡大している。そのため常に人員がぎりぎりの状態だ。今回のように各局の繁忙期と僕の出張が重複し、さらに普段先生の身の回りの世話を一手に引き受けている筆頭侍従に急用、今回の場合は親族の不幸などが合わされば、あっという間に先生の補佐が手薄になってしまう。

 そのため急遽手配できる人材の中から、せめて何かの足しになればと思って甥の風河を置いてきたのだが、半日足らずで尻尾を巻いて逃げ帰ってしまったようだ。風河にもいい薬になればと思ったが、予想以上の劇薬となったらしい。しかし思わぬ副産物を手に入れた。いや、手に入れようとしているか。

 

 「ふむ、であろうな。まあ葉もそろそろいい年だ。屋敷と城を週に何度も往復させるのは酷だろう。一人侍従を増やしてもよいと思っていたところだ」

 葉というのは城外にある先生の屋敷の管理を含めその他諸々一切合切を取り仕切る筆頭侍従である。

 灰色の髪を丁寧に撫で付けた物腰の柔らかい壮年の紳士なのだが、僕が十三の時に出会って以来、少しも見た目が変化しない。今も昔も壮年の紳士のままだ。しかし流石の葉も寄る年波には勝てないようだ。


 「そうですか、では遠慮なく」

 走り出そうとした僕の腕を、先生が掴んで引き止める。

 「人事院に行くなら、ついでに届けて欲しい書類がある」

 僕は二、三歩たたらを踏みながら部屋の中を見回した。

 僕が危惧してたほどには部屋は荒れていない。むしろ普段の惨状からすれば驚くほど綺麗に片付いていると言える状態だ。きっと澪君が片付けたのだろう。素晴らしい人材だ。しかしそれでも執務机の上には未処理の書類が山積みになっている。

 「……分かりました。先に少し書類を整理してから行きましょう」

 ふう、と僕は息をついた。


 それから一時ほど後、ようやく書類整理に目処をつけて人事院に向かった僕は、人事院長の執務室の扉の前で、何やら急ぎ足の近衛隊長の海星君と鉢合わせしたのだった。

次回は、澪が祭礼局に赴きます。

ぜひ、お楽しみに!


・・・・・・

ブックマーク、評価等ありがとうございます。更新の励みとなっています。

面白いお話をお届けできるように頑張ってまいりますので、

どうぞよろしくお願いいたします。

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