2 職場にて
新幹線の車内、俺は、東京につくまでの一時間をうろうろと歩き通した。
さぞや、他の乗客にとっては迷惑だったろう。
でもさぁ、じっと座っていられなかったんだよ。檻の中の熊みたいにうろうろしていた。
俺だってね、こういうことを予想していなかったわけではない。
大人なんだし、籍も入っているんだし、ある意味において、当然のこととさえ言えるかも知れない。
でもだ……。
こんな仕事をしていて、人並みの普通の幸せが来るなんて、そこまで運命に許されるなんて、思っていなかったんだよ。
美岬はズルい。
美岬だって、俺と同じ思いはあったはずだ。
きっと、自分はそれを消化する時間をしっかり取って、俺には爆弾投下したんだ。
らしいって言えばらしいけど、俺の呆然とする姿をそこまで見たかったかねぇ?
サプライズにしても、爆弾が核級だよ。
もう一つ、俺にも、なにかすること、できることがあれば良かった。
そうすれば、それに向かって走れる。
美岬は、日々のトレーニングを軽減するという、できることがあるだけ羨ましい。
でもね、俺にできることって、なにも無いんだよ。まだ性別も判らないうちでは、育児のものを買うのにも、名前を考えるにも踏ん切りがつかない。
俺の嗅覚は、美岬のつわりがもっとも重くなった時でさえ、食べられるものを探し出すことができるだろう。でも、それさえもまだなんだよね。
検診や母子手帳みたいな話も、今日、今、という話ではないし、俺がどうこうできるものでもない。同行はできるけどね。
ああ、気持ちは走るのに、できることはない。自分自身の身の置所もないって、そんな気持ちになるよ。
「懐かしいものを見た」
慧思が人の顔を見るなり言う。
「なんだよ?」
「高校生の時みたいな歩き方しているな。遠藤権佐にしごかれる前の歩き方だ」
腰が浮いているのだろう。自覚しているより動揺している証拠だ。
「なにがあったよ?」
「実は……、今朝、美岬に妊娠したと言われた」
「えっ、それは男か、女か」
「……お前も大概だな」
まぁ、解ってはいる。
生まれてくる子が男なのか女なのかで、美岬と俺の運命はある意味方向付けられる。
そういう経緯が俺たちにはあるし、慧思もそれを知っている。
でもな……。
なぜ、お前までが動揺して俺と同じことを聞く?
「あのな、まだ判るわけがないだろう?
もう少し大きくなって、エコーなりで見れるようにならないと性別までは判らん」
「う、そういうもん……、だな?」
「そういうもんなんだよ」
つくづく不毛な会話だな。
「とりあえず、今は三分の二のバディが通常任務、残りが久野さんの課題の洗い出しをしているわけだ。一日二日であれば休みも取れるだろうけど、長期は厳しい。俺も、石田さんのところへはご無沙汰になっちまっている。
一応、念のために聞いておくが、今のところ、母子ともに順調でいいんだよな?」
「判るか、そんなもん。
もう少し時間がたってからでないと、検査とかも何一つできない。
今は、判定キットにチェックが出ただけだぞ」
「そか。
言われてみれば、そのとおりだな。
なんで、こんなに知っていることと、解っていることを聞いちゃあ、アホ扱いされているんだ、俺は?」
「大丈夫だ。
今朝、もう俺が散々それをやった」
「うっ、そういうもんか……?」
「そういうもんなんだよ」
はあ、つくづく不毛な会話が続くな。
「とりあえず、小田佐には話しておけよ」
「ああ、これからメールだけは打っとく。
護衛計画も考えないとかも」
「今は人手がないから、どこか守りやすいところに移動してもらうこともありうるぞ」
「だな。
忙しい時に……」
「その先は間違っても口に出すな。誰一人として喜ばん」
「すまない。本当にすまない」
本当にすまない、慧思。
「ただな、どうにもこうにもだが……」
あえて、慧思は何が言いたいんだ?
「タイミングが可怪しいと思わないか?」
「なんのよ?」
慧思の言いたいことが掴めなくて、オウム返しに聞き返す。
「もう、現状、紛争は表の世界の話になってきているし、だからこそニュースは賑わっていても、本来俺たちの仕事は減っているはずだろう?」
「暇になっていて然るべきってか?
今も忙しいのは、久野さんの洗い出しのせいだろう?
……久野さんの件も、すでに罠だとでも言うのか?」
「いや、それはないと思う。
ないと思うんだけど、事象には必然がある。
そう考えると、久野さんの見直しについても、なんらかの必然があるんじゃないか?
……なにかお祝いをくれって、坪内佐にメールしとけよ」
慧思の言葉に、ショックを感じないと言えば、嘘になる。
「お前……、美岬の妊娠すらも、なにかの色がついていると言うのかよ?」
「判らない。
俺には、本当に判らないんだ。
ただな、久野さんが来てから、俺たちの仕事のレベルが変わりつつあることは事実だ。
そして、久野さんの方が分析能力は優れていても、『悪意』というものの理解については、坪内佐の方が一日どころじゃないな、百日の長がある。
少なくとも、情報を流しておけば、なんらかのことを気がつくキッカケになるかも知れない。
思考材料を渡しておけば、あとは丸投げでもとは言わんけど、最低ラインのことはしたことになると思う」
「むう」
思わず、唸った。
俺は、神を信じてはいない。
神が救ってくれるとも思っていない。戦う彼我に、共に神がついていたら、結局意味がないとも思う。
その一方で、神がいるんじゃないかというほどの巡り合わせとか、幸運は経験している。
俺達は運がいい。
その巡り合わせが一歩ずれていたら、今生きていないかも知れないと思えるほどには、だ。
その巡り合わせって奴、運命って奴に対して、どう行動するかは決まっている。
十全な備えをしておくこと。これに尽きる。
訓練もそうだし、行動に冗長性を持たせるのもそうだ。
そう考えると、実は今までやってきたことからの乖離はない。
むしろ、遠藤権佐と俺は、そのエキスパートとも言える。生きて帰ることに特化しているからだ。
「慧思、了解。
坪内佐と、遠藤権佐にも連絡しておく」
「ん、解った」
この場での話はそこまでとなった。
次回、未定です。
さて、どうしたもんだか。




