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想う人ー3

ボグダンが御山家にいる期間、彼は座敷で寝泊まりしていた。道旗が入院中ともあって、了解を得た上で道旗の部屋に寝泊まりしていた。

 それまでは、居間のコタツと座敷に居たボグダンの布団の行き来をしていたシャム猫のみさえさんは、それを機にボグダンの後をついて、道旗の部屋に頻繁に出入りするようになった。

 道旗の部屋の引き戸を器用に開けようとしている音がする。爪を立てて右手をまず、戸の隙間に入れ込む。その時の僅かな音が、琥珀には日常でもあった。

 道旗が入院しているここ数日、その音を聞いていなかったのだなと、耳に入った音に安堵感を覚えた。琥珀は自ずと笑えてきた。

 こんな些細な日常すら、自分は気に入っていたのだなと実感するのだ。

 みさえさんは、道旗が部屋に居ないことを知っているのだろうか。猫に何を訊いても琥珀にはわからなかったのだが、ああやって自由に出入りできるはずなのに、道旗が不在の時は、部屋おろか二階に上がってくる気配もなかった。

 ボグダンが道旗の部屋を使用したその晩から、みさえさんは話が通じていたとばかりに二階に上がってきた。そうしていつものように器用に戸を開ける。開けるのはいいが、猫というのは戸締りはしないらしい。

 やがて「おや、来たのか」と上機嫌だったり「閉めてくれよ」とぼやいたり。もしくはボグダンの母国語で何かをいう彼の声が聞こえると、パタンと静かに戸が閉まる。

 琥珀は赤外線ヒーターの前で体育座りのまま、じっとヒーターを見つめていた。単に寒かったというのもあるが、これは一種のルーティンだと思っている。

 ヒーターの電源を切ってからのっそりと立ち上がると、おもむろにパーカーのフードを被った。

 築四十年を越える御山家は、都度改築されてはいるが、廊下はやはり寒い。道旗は生粋の寒がりなので、彼の部屋はだいぶ頑丈な防寒対策はされている。御山家では、浴室と道旗の部屋が一番暖かいのかもしれない。

 琥珀は居候という肩身の狭さもあったのは事実だが、それ以前にそれほど寒がりでもなかった。部屋にはコタツと赤外線ヒーターがあれば充分だった。それでも一歩廊下に出るとその温度差は身に沁みる。


 廊下に出てみると、やはりひんやりとした湿った寒さを感じて、足元に目線を落とした。スニーカーソックスから露出している踝が寒いなと、琥珀はしんみりと思った。

 拳を宙にあげ、部屋の扉を二度ノックをする。間もなく引き戸が開けられた。

「おや、来たのか」

 猫のみさえさんを迎えた時と同じセリフで、ボグダンは乱れた頭髪を掻いた。漆黒に近いくせ毛が妙に色気を醸し出している。

「寝て、たんですか。すいません」

「うとうと寝てしまっていたみたいだ」

 掌で額を擦り上げ、そのまま前髪を掻き上げた。

(本当に、白い人だな)と琥珀は思う。そして部屋の奥に目線を移した。

 彼の祖母はもっと白い肌の人だった。しかし彼の祖母の姉はもっと白い人だったと琥珀は記憶する。おそらく金色の髪の色や、薄い色素の瞳が余計にそう思わせたのだというのは理解できるが。

「どうぞ」

 一人掛けのソファーにボグダンが腰を下ろすと、ベッドの上で白々しい目線でこちらを見ていたみさえさんが、ボグダンの膝の上に移動した。

「ネコと仲良くなると眠いね」

 ボグダンが大きな欠伸をする。

 琥珀は口角を僅かにあげてボグダンの言葉を肯定した。同じようなセリフを、道旗も喜和子も言っていた。

「バレッタはそこに置いてあるよ」

 欠伸を終えたボグダンが目尻に涙を溜めてテーブルの上を指差した。

「ああ、ごめん。ここに座るかい」

「いいえ大丈夫です」

 ソファーをどけようとしたボグダンの膝の上で、みさえさんが不機嫌な顔を上げた。

「みさえさん、そのままでいいよ」

 振り向いて琥珀はみさえさんに愛想笑いをする。

 にゃーと返事をされたような気もしたが、琥珀はすでにバレッタを手に持っていた。


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