11.ダンジョンの外へ
引き上げるという三人に同行して、ダンジョンを出ることになった。
彼らはここにきたばかりのようだったし、まだ用件は済んでいないと思われたが、迷子の子どもを捨て置けなかったようだ。
子どもとはいえ、見ず知らずの他人のために自分の予定を変えられるあたり、彼らは随分と善い人間らしい。
弱者を食い物にする人間なんて割とどこにでもいるから、この出会いはきっと幸運に違いない。
まあ、この魔物の身体が『弱者』に該当するかどうかはさておき。
ダンジョンを出てからの行動について、ジークの説明を聞きながら、自分の身の振り方を考える。
従魔術についてはよくわからない。
なんだか成り行きであだ名、もとい名前まで付けられたが、やはりこれといって強制力や命令めいたものも感じない。
だから、子どもを守ろうというこの思考が、俺としての感情なのか、従魔術によるものなのかが判別できなかった。多少なりとも子守りをしていた身としては、危なっかしい子どもを放っておけないし、咄嗟に手が出てしまうのはもう反射なので仕方がない。
それはとりあえず脇に置いておくとしても、やはり保護者のいないこの状況では子どもと離れるのは不安が残る。せめて、元居た孤児院に戻るまでは、と。
ただその反面、この魔物の身体でそれは迷惑かもしれないとも思う。
魔物と人の共存は難しいというのが常識だ。互いの物理的な距離があってようやく、ギリギリ不干渉を貫けるかどうか。
レテの村にも、そのための決まり事のようなものが存在した。行ってはならない場所、入ってはならない時期、森の歩き方、過ごし方など細かに。
それでも魔物と遭遇することは珍しくないし、出くわせば命の取り合いになるのは自然な流れで。
接触の機会を極限まで減らし、遭遇すれば駆除する。
それが、レテで長きにわたり培われてきた対処法であり、一種の共存方法だった。
これが特殊だとは思わない。俺の知る限り、魔物に対する認識は往々にして「害獣」に近いものだ。まだそこらの野良犬のほうが可愛く思われているだろう程度には、忌み嫌われる存在だった。
もしあの頃、従魔術の存在を知っても学ぼうとは思わなかっただろう。魔物に話が通じるなんて、欠片も思わないから。
けれど今、意図せず、俺はそんな存在になってしまっている。
立場が変われば考えも変わるというが、それでもやはり魔物と人の共存は難しいとしみじみ思う。
勿論、俺に人を殺そうなんて気はサラサラない。人以外に対しても同様に。
ただ殺せてしまうだけで。
殺人に対する忌避感のようなものが薄い。罪悪感も抵抗もそれなりにはあるのだけれど、なんというか「弱いならば仕方ないのでは?」という思考がどうしても拭えない。魔物の身体にいるせいだろうか。
それに、もし俺が元に戻れたら。
この魔物の体はどうなるのだろう。消滅するならまだいい。俺の存在が消えたことで、魔物らしく暴れまわる、なんてことになったら目も当てられない。
冷静に考えれば考えるほど、俺は子どもと共にいてはいけないと思う。
そんな未来が来る前に今のうちに離れるべきだと頭ではわかってはいる。
けれど、ひとりダンジョンを彷徨うことを思うと少しだけ――怖くなった。
魔物の体で魔物を倒し続けて。
俺は、いつまで自分を『人間』だと信じられるだろうかと。
「大丈夫だって。この先はな、ここらの魔物よりずっと弱いやつばっかなんだ。もう目をつぶってても倒せる」
「それは言い過ぎだけど。私たちこれでも結構強いのよ。もう何度も回ってる場所だし、地図がなくても問題ないくらい」
「かなり回りましたもんね~装備代回収のために……」
鬱々と思考に沈んでいると、あやすような会話が聞こえてきた。
一応話は聞いていたつもりだったが、なにがどうなってそんな会話になっているのか。
何事かと思い周囲に意識を向けると、腕に子どもが抱き着いていた。
ローブで覆われたそこに顔をおしつけ、ぐすぐすと鼻をすすっている。
泣いてる? なんで?
状況がわからず呆然と見下ろしていたら、ジークたちから咎めるような視線を感じた。
なるほど俺が何かやらかしたと……いや、なんで?
俺はずっと大人しく立ってただけである。余計な口出ししようにも口は利けないし、そもそも反応できるほど自由に身体が動くわけでもない。表情も動かないらしいし。
抱き上げて宥めようにも、完全に腕を抱きこまれているのでどうにもできなかった。しっかり掴まれすぎていて、下手に動いたら怪我をさせそうで怖い。
結局そのままぼけっと子どもの動向を見守ることになり、ジークたちからの視線はだいぶ呆れたものに変わった。むしろそちらが子どもをちゃんと宥めてくれ。口も手もあるんだから。
その後、転移門とやらをあっけなく通過して、その先にも代り映えのない風景が広がっていることにいささか落胆しながらも、三人の先導にしたがって進む。
彼らの歩みに迷いはなく、戦闘も役割分担も手慣れたもので、相当な場数を踏んできたのだろうと察せられた。なるほどこれが「冒険者」か。
途中、魔物が多くなってきたので殲滅を手伝ったりもしたが、おおむね問題なく進むことが出来た。
ちなみに、俺の目にはゲートはひたすら真っ暗な穴のように見えるのだが、どうやら彼らには周囲の風景が歪んで見えるらしい。恐らく魔物と人間とで見え方が違うのだろう。まあ俺は人間だけど。
いくつかのゲートを経て、ようやく最後のゲートをくぐる。
ダンジョンの出口だと言われたそこは、天井の高い広間のような場所だった。
周囲を石の壁に囲まれているのはダンジョン内部と変わらないが、天井が非常に高く、壁に窓のような開口部がある。そこから真っ白な陽光が差し込んでいた。
そして正面には、いかにも出口と言わんばかりに大きな開口部がひとつ。大人が5人ほど並んで通過できそうなその先には、青空と木々の緑が見えた。
間違いなく外だろう。
だが、思ったほど気分は上がらなかった。
あれほど求めていた結果だというのに、なんの感慨もない。むしろ、微妙に気分が沈んでいくような気すらする。
不安があるというか、何かが引っかかるというか。
「……あのさ、思ったんだけど」
「ん? なんだよ。ああ、そっか街まではちょっと足元が悪いか。じゃあ俺がノアを抱っこするから、」
「あーそれはそうなんだけど、そうじゃなくて。モンスター。ダンジョンモンスターってダンジョンから出たら消えるんじゃなかったっけ……?」
アリシアとジークの会話に、不安感の正体に思い至る。
中身が人間でもこの身体は魔物だ。ダンジョン産の魔物であることは間違いなく、ダンジョンの特殊な状況を思うに、この身体も何らかのルールに縛られているのは間違いない。
「そういえば……誰かが言ってたような」
「ダンジョンの魔力で動いてるっていう仮説が出てませんでしたっけ~」
広間の中ほどで立ち止まった彼らの話に、子どもがぽつりと零す。
「ルーチェ、消えちゃうの……?」
繋いだ手をぎゅうと握ってくる。
悲壮な表情に何かを感じるよりも先に、強く握られた箇所がぼろりと崩れたことに気を取られた。
「あっ」
崩れて地面に落ちた土の塊を見て、子どもの顔に絶望が広がった。
大きな緑の目に、みるみる涙が溜まっていく。わっと泣き出した子どもを三人が慌てて宥めていたが、あまり功を奏していない。
なんか勘違いしたんだろうなとは理解できた。
これはダンジョンの魔力が云々ではなく、単純に強度が落ちていただけだろう。途中で嵩を減らしたことも関係あるかもしれない。ともあれこの体はただの土。崩れた部分を回収すればまた作ることができる。
手はまた作り直せばいいのだけれど。
先ほどの彼らの会話が、俺の中でひっかかっている。
この身体がダンジョンの魔力とやらで動いているのなら、ダンジョン以外の土を取り込んだらどうなるのだろうか。うまく取り込めたら、ダンジョン以外の魔力を得ることができるのではなかろうか。
魔力はどこにでも存在しているのだし、土にも当然含まれているわけで。
そう思い、騒がしい彼らを放置してダンジョンの外へと向かう。
「っ、あ、ルーチェっ! だめっ」
俺が消滅すると思ってか、子どもが悲痛に叫ぶ。
安心してほしい。自殺する気はない。この広間はまだダンジョン内という判定のようだし、危なくなったら戻ればいいだけだ。
――戻レ。
不意に、あの謎の声が聞こえた。
それは警告の響きを帯びていた。俺の身を案じる意味ではなく、従うべきだという傲慢さが滲んでいる。俺が従うことを疑いもしないそれが、少し勘に障った。
反射的に動きが止まってしまう。声に従うべきだと頭の片隅で「思う」。このまま戻れ、ダンジョンから出るな、と。
けど、そう思っているのはたぶん「俺」じゃない。
人間の俺が従う理由はない、と煩く喚きたてる警告を無視して、出口らしき開口部で片足を外に出してみる。
ダンジョンの外の地面に触れたところで、足の形がぼろりと崩れた。
やはり情報は正しいようだ。
借りた革靴は土の山にうずもれ、足だった部分はぐずぐずと崩れていく。比例して俺の身体も少しずつ崩れてはいくが、ずいぶんとゆっくりだ。一瞬で全身が崩れることも想像していたが、そう簡単には消滅しそうにない。
そのまま、これまでのように足元の土を操作しようと意識してみた。
足元に変化はない。手ごたえが全くないわけではないが、動かしづらい。
例えるなら、めちゃくちゃ固いパン生地をよりによって木べらで混ぜているような。ヘラが折れそうな感触である。
それでも無反応ではないことに希望を見出して、頑張って操作する。
膝あたりまで土の山になった頃、ようやく滑らかな感触になってきた。頑張って混ぜた甲斐があった。いや混ぜたわけじゃないけど。
全身を構築しなおすのはなんだか怖いので、ひとまず足を再生する。元の土に、この周辺の土をまぜて構築しなおすと、ゆっくりではあるがちゃんと元通りの「足」になった。
借りた靴もきちんと入る。
そのまま数歩進んでみて、足取りに問題ないことも確認。
これで大丈夫、と満足して振り返ったら、呆然とした顔の三人と目があった。
「……でたらめすぎねぇ……?」
「もうどこに驚いたらいいかわかんないんだけど」
「結果的によかったということで~?」
何とも言えない微妙な表情で言われたが、そんなことを言われても困る。俺は結構努力したと思うのだけれど。もう少し頑張りを認めてほしいところ。
すごい勢いで飛びついてきた子どもについては、さすがに申し訳なかったと反省はしている。
でも口頭で説明できないのだから、何度やり直しても同じことをすると思う。
目が溶けそうなほどに泣いていた子どもを落ち着かせてから、俺たちはようやくダンジョンを後にした。
あの声はもう聞こえなかった。




