おでん屋の灯り②
「今夜はワガママを言ってごめんなさい……」
ベッドの中で瞳を潤ませて謝る側妃ユリアを、国王ラウルは抱きしめた。
「気にするな。いつも聞き分けがいいお前のワガママも、たまには悪くはないものだ」
そう言ってラウルは笑うが、ユリアの顔は曇ったままである。
「……フローネ様はさぞかし落胆されているしょうね。わたくし、本当に悪いことをしてしまいましたわ。貴方を恋しく思うあまりルールを破ってしまうなんて……」
「心配しなくていい。フローネは俺たちの本当の関係を知らないのだ。仕事と言っておけばくだらん嫉妬をすることもないさ」
「ラウル……!!!」
「ユリア……」
(ま、たまにはこういうのも良いスパイスよね)
ラウルの首に腕を回しながら、ユリアは心の中でフローネを嘲笑った。
(本当に馬鹿な女だわ。私を牽制しようだなんて100年早いのよ)
ーー夜を前にして、フローネから手紙が届いた。
手紙には「予定を違えてまでラウルが来てくれることになって嬉しい」「身を引いてくれてありがとう」という事が、柔らかな文章で憎らしく綴られていた。
ユリアは確信した。
フローネは鈍くて馬鹿な女だが、ラウルとユリアの長き渡る蜜月に気づいているということに。
「ユリアは形だけの側妃だ」と主張するラウルに対してそのことを責めないでいるのは、プライドの高さ故か、自分が1番ではないという現実を認めたくないが故か。
これまでは煽てあげ調子に乗らせてやっていたが、ラウルとの関係に気づいているとわかったからには、勝ったと驕らせておくのは許し難い。
ここでいったん釘を刺してやるべきだろうと、ラウルに涙ながらに我儘を言った。
「今宵はどうかわたくしと過ごしてほしい」と。
普段はクールで聞き分けの良い女の″健気なワガママ″というのは男心に響くものだ。
ラウルは困った素振りを見せたものの満更でもなさそうだった。
そうして今、ラウルはユリアと過ごしている。
(ふふ…せっかく舞い上がっていたのに悪いわね、フローネ)
ラウルが来ないことを知ったフローネは、たいそう落胆していたそうだ。
ザマアミロだ。本気を出したユリアには敵わないのだと思いしればいい。
「ずいぶんと機嫌がいいな、ユリア」
「ふふふ…どうしてだと思う?」
「ーー俺が傍にいるからか?」
自尊心をくすぐられ嬉しそうなラウルの問いに、ユリアはいじらしくコクリと頷いたのだった。
_________
その頃、フローネは初めてのシラタキを口にしていた。
慣れない箸使いでシラタキを掴んだフローネを、周囲の人々…たまたま店に居合わせた他の客までもが固唾を飲んで見守っている。
フローネはどこから口をつけたらいいか迷った末、結び目部分にシャクリと歯を立てた。
「!!!」
「どう?おいしい?どうなの?おいしい???」
間髪入れず騒ぐ瑠奈を柊太郎が「早い早い」と制す。
フローネはシャクシャクとシラタキを咀嚼しながら思案していた。
(柔らかいのに歯ごたえがある…なんという不思議な食感でしょう。コンニャクの食感は苦手ですけれど、仲間であるシラタキは平気ですわ。むしろクセになりそうな食感……)
フローネはシラタキを飲み込むと満足そうに微笑んだ。
「食感も良く、お出汁がよく染み込んでいて美味しゅうございますわ」
フローネの笑顔に、見守っていた人々はホッと胸を撫で下ろす。
「挑戦して良かったですね、フローネさん」
柊太郎の言葉にフローネは頷いた。
「はい。これでまた好きな食べ物が増えました。形状と味付け次第でコンニャクがこのように変化するのですね。……わたくし、なんだか感銘を受けてしまいましたわ」
フローネの言葉に、カウンターの端にいた1人の女性客が「ブハッ!!」と吹き出した。
「なんですか?失礼なんですけど!!」
抗議の声を上げる瑠奈に、女性は「ごめんね」と明るい口調で謝る。
「バカにしてるとかじゃないの。こんなに真剣にシラタキ食べてる人初めて見たから、なんかおかしくなっちゃって」
「それってバカにしてるじゃん!」
「ごめんなさい。ホントにそういうつもりはなくて……」
女性が手のひらを合わせて謝ってくるので、フローネは「わたくしは気にしておりませんわ」とおっとりと応じる。
20代前半に見える女性は丸い輪郭とスッとした鼻筋が印象的な黒髪美人で、淑やかで和風な雰囲気とは対照的にジーンズとライダーズジャケットという快活な服装をしていた。
「この子はウチの常連で雪松ちゃんっていう芸妓さんだよ」
三吉屋の女将に紹介された雪松は、カバンから千社札を取り出しフローネたちに手渡した。
「雪松です。お見知りおきを〜」
「へえ〜芸妓さんってこうやって普通に出歩いたりするんだ……」
「するする〜!この辺の芸妓は住み込みじゃなくて1人暮らししてるし、アタシなんて暇があれば飲み歩いてるよ」
芸妓の雪松は「ゲイギ???」と首を傾げているフローネに、スマートフォンで自分の芸妓姿の画像を見せながら簡単な説明をしてくれた。
「まあ。ではユキマツさんは国の伝統を担っていらっしゃるのですね」
「そんなにご立派なものじゃないけどね。そういう職業ってだけよ」
「職業……」
「そ、職業。最初は憧れだけで芸妓になったけどさ、これで生活していくからにはフワフワした夢みたいなことばかり言ってらんないわけ。良くも悪くもプロフェッショナルにならなくちゃね」
「へえ〜かっこよ……」
雪松は感心する瑠奈の手に日本酒の入ったグラスを見つけると、「あ、お酒いけるくち?何飲んでるの?」と日本酒に関心を移していった。
雪松が瑠奈におでんの出汁で日本酒を飲むやり方をレクチャーし始めたのを横目に、フローネは千社札を見つめながら、もう一度「職業……」と呟いた。
(わたくし…王妃という国を担う立場で生活をしていますけれど、それは職業になるのかしら?執務も社交もせず、正妻としてラウルの夜伽の相手を務め世継ぎを産むことが職業?……いいえ、それらは役割であって職業とは言えません)
むしろ、ソレを仕事だからと割り切れたらどんなに楽だろう。
普段は芸妓のプロフェッショナルとして働き休日に飲み歩く雪松のように、職業としての妻と下鏡通りで自由に過ごすフローネを切り替えながら生きることができたら……
しかしフローネにはそんな事は出来そうもない。
それどころか、自由を知れば知るほど王妃…ラウルの妻であることに苦痛が増すばかりだ。
(わたくしがラウルを愛せたら良かったのに……けれど、執務に励んでいるラウルを尊敬することは出来ても、普段のあの人の振る舞いを愛することなどできませんわ……)
周囲の者たちに対する態度も、10年以上ラウルに寄り添い公私共に支えてきたユリアを「形ばかりの側妃」と偽り無意識に蔑ろにしていることも。
フローネは恋などしたことはないが、どんなに頭脳明晰で優秀であろうとも人間性を尊敬することが出来ない人を愛せないという事はわかる。
フローネは大きなため息をついた。
ラウルの元に帰りたくない。下鏡通りで仕事をしたい。
その気持ちを認めてしまったら後戻りができなくなると目を背けてきたが、もう360度取り囲まれて何なら閉じた瞼をこじ開けて「こっちを見ろ」と迫られている。
(わたくしはなんとワガママな王妃なのでしょう。国民の皆に申し訳ないです……)
「フローネさん、フローネさん」
ふと肩をポンポンと叩かれて横を見れば、柊太郎が心配そうにこちらを見ていた。
「考えてるとこ邪魔してごめんだけど、ちょっと休憩しておでん食べませんか?ほら、フローネさんの好きな魚のすり身とかどうですか?」
柊太郎が差し出した皿には、丸く薄い魚のすり身が2枚のっている。
「これは”ふかし”っていう名前のすり身です。紅いのと白いのどっちがいいですか?」
「シュータロウさん……」
「なんなら両方いっちゃいますか?」
「せっかくだから両方食べてみたら?同じ味だけど!」
雪松と酒を飲み交わしていた瑠奈が上機嫌に笑う。
出汁と日本酒のエンドレスループですっかり出来上がっているようだ。
「……そうですね。両方いただこうかしら?」
暗く俯いていたフローネの瞳が柔らかく微笑んだのを見て、柊太郎はホッと胸を撫で下ろした。
(フローネさん、たまにああやって落ち込んでるんだよなあ……セレブなのに何故かウチで働こうとしてるし、旦那の話いっさいしないし、なんか事情があるんだろうな……)
フローネはふかしを口にして「美味しゅうございます」と三吉屋夫妻にニコニコと感想を述べている。
柊太郎はその笑顔が作り笑いではないことに安心しながら、出汁のよく染み込んだ大根を美味しそうに頬張った。
おでんの出汁と日本酒のエンドレスループにハマったらもう抜け出せない……
金沢のおでんは店によって出汁の味がけっこう違います。美味しい不味いじゃなくて好みの問題としての違いです。
出張とかで来て「なんかイマイチだったなあ」なんて言ってた人の好みを聞いて別のお店に連れてくと「あれ?おいしい…」ってなることある。