10.陽奈子はピンク色リップの効果を知る
新年度疲れと連日の気疲れから珍しく寝坊してしまい、慌ただしく朝食を食べながらも、私の視線はテレビ画面に釘付けとなっていた。
テレビ画面に映し出されているのはニュース番組の占いコーナー。甲高い声の可愛らしい女性アイドルが、今日一日の星座別運勢を伝えていた。
『~~座の人は、今日はドキドキ嬉しいことがあるかも!? ラッキーアイテムはピンク色のリップ! 髪は下ろしていると更にいいかも☆ 男の子はピンク色の小物があればいいかな?』
ピンク色のリップとピンク色のカラーペンを持ったアイドルは、首を傾げて可愛らしくウインクをした。
「よしっ、ピンクのリップは持ってる」
可愛らしいウインクは真似出来ないが、手入れを怠ったかさついた唇にピンクのリップを塗るくらいは出来る。
「姉ちゃんって単純だな。そんなんでラッキーになれるなら試した人みんななってるって馬鹿じゃないの」
ランドセルを背負った隆之介に突っ込まれ、「ごほっ!」と私は口に含んだ牛乳で噎せた。
「う、うるさいっ」
単純だと言われようが、ここ数日の畳み掛けるように起こる出来事、ゲームの初期イベントのような出会いの連続に心が疲れている。ラッキーアイテムに頼ってでも、破滅フラグとなる攻略対象男子達とは関わらない平穏な日々を過ごしたいのだ。
しっかり朝食を食べたせいでバスには間に合わず、母親に学校近くまで送ってもらい、何とか遅刻しないで登校することが出来た。
学校まで送る代わりにと、母親から夕飯を作る約束をさせられたが、昇降口の前まで来て私はほっと胸を撫で下ろす。
「鈴木、おはよう」
背後から声をかけられて、振り返った私はヘラリと愛想笑いを浮かべた。
爽やかな笑顔を浮かべた狩野君が、上履きを履きながら片手を上げていた。
部活の朝練を終えたばかりなのだろう、狩野君の髪は汗で湿っていても汗臭そうではなく、爽やかなスポーツ少年に見えるから、格好いい男子って色々得だと思う。
「狩野君、おはよう」
挨拶を返す私の周りを狩野君はキョロキョロ見渡す。
「今日は一人で登校しているんだな。あ、」
一人で、と言われて私は苦笑いしてしまった。部活の朝練がある日は総一郎は先に登校するのに。
「毎日一緒に登校しているんじゃないって、狩野君?」
口を半開きにしたまま何も言わない狩野君に、私はどうしたのかと首を傾げる。
ガタンッ、急いで登校した男子生徒が、私達のいる反対側の下駄箱へ勢いよく靴を入れる音がして、狩野君は気まずそうに視線を逸らした。
「あ、いや、何時もと感じが違う気がして、その」
「髪を下ろしてるからじゃないの?」
今朝は、占い結果を信じて何時もは一つか二つに結んでいる髪を下ろしていた。占いうんぬん以前に、寝坊したせいで時間が無かったのもあるけれど。
「陽奈子おはよ~此処で会うのは珍しいじゃん」
朝のHR開始ギリギリの時刻で登校する友人から、嬉しそうに「遅刻するよ」と言われ、私は慌てて壁に掛かっている時計を見上げる。
「やっべ教室行かなきゃな。じゃあ、鈴木。またな」
軽く手を振って颯爽と狩野君は階段へ走っていく。
遅刻の危機に教室まで走ろうとする私の肩を、背後から友人はがっしり掴んだ。
「今のって狩野理人? 陽奈子ったらやるなぁ」
「へっ?」
「去年は全く話してなかったのに、佐藤君という幼馴染みと狩野君、二年男子イケメンランキング上位二人を手玉に取るとは。成長したね陽奈子。リアルな二股は大変だぞっ」
ニヤリと笑った友人は親指を立てる。
何を言われたのかと私は一瞬考えて、「はぁっ?」と声を上げた。
「て、手玉って?! 私がそんな器用なこと出来ると思っているの?」
「無理だね」
「も~! 分かっているなら引き留めないで!」
ケラケラ笑う友人を振り切って私は階段へ走る。
一段抜かしして階段を駆け上がっていると、治りかけの右足首がズキッと痛むけれど気にしてはいられない。マイペースな友人の教室は階段を上がって直ぐで、私が所属する二年A組は廊下の一番奥という差があるのだ。
全速力で廊下を走り、勢いよく教室へ飛び込んだのは朝のHR開始三分前。
ゼーゼー荒い息を吐く私を見て、出入口側の席に座る派手な女子達は露骨に眉を顰めた。
「鈴木さん、おはよう。大丈夫?」
心配そうに声をかけてくれた西園寺さんへ、直ぐには返事も出来ず私は引きつった笑みで頭を下げた。
出張で不在の遠藤先生の代わりに、新任女性教師が教室へやって来ると男子達は色めき立ち、それが面白くない派手な女子達は女性教師を睨み私語を始める。
クラス全体が嫌な雰囲気に包まれて朝のHRは終了し、逃げるように女性教師は教室を出ていった。
(いくら何でも、新任の先生可哀想だなぁ。女子って怖い。悪役女子の陽奈子だったら先生を睨んでたのかな。私には無理だし、嫌だなぁ)
ブルリ身震いした時、前の席の西園寺さんがくるりと振り向いた。
「あの鈴木さん、今日の放課後に佐藤君のインタビューをするの。佐藤君を生徒会部屋まで案内するのだけど、もし放課後に用事がなかったら一緒に来てもらってもいいかしら?」
キョトンとなる私へ西園寺さんは申し訳なさそうに話す。
「私は佐藤君とほとんど話したことが無いし、佐藤君は話しかけにくいから鈴木さんが一緒に来てくれると気が楽なの」
「西園寺さんに案内させるなんて、凄いビップ待遇だね」
「生徒会長から、絶対に逃がすなって言われてるのよね」
溜め息混じりの彼女の様子から、生徒会役員の苦労を感じる。
総一郎本人から、インタビューを何度も断ったと聞いていた私はつい苦笑いしてしまった。
破滅フラグとなる生徒会長とは関わりたくない。しかし、西園寺さんにお願いされると断りにくく、取り巻き女子からの無言の圧力もあり、内心では嫌だと思いつつも結局了承するしか無いのだった。
放課後、西園寺さんと一緒にC組へ来た私を見た総一郎は、驚きに目を丸くした。
「陽奈子?陽奈子も一緒なのか?」
「私が一緒だと駄目?」
男の娘では無い今の総一郎は、ゲームの世界とは大分離れたと思っていたが、やはり強制力みたいな力が働いてこれから生徒会長関連のイベントがあるのだろうか。
今までの努力は無駄なのか、と私の眉尻は下がっていく。
「いや、そうじゃない。ただ......」
口ごもる総一郎は視線を横へ逸らした。
「今日の陽奈子は、何時もと、何か、違うから」
恥ずかしそうに言う総一郎と、今朝下駄箱で会った狩野君の反応と重なる。
ラッキーアイテムのピンク色のリップ効果か、髪の毛下ろしていて少し印象が変わったからか。
少し変化を持たせただけで戸惑うとか、今も昔も男心というものは私には難しくてよく分からない。
鈍い陽奈子には男心は分からないのです。




