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ある慈悲深き恋の結末  作者: 凛野冥
千代原真一の章 陸
29/31

5「殺人犯の涙」

    5


 探偵活動をするときの仲野宮ゆめを語るとき、特筆すべきはその思考の飛躍だ。思考の飛躍と云うと欠点に捉えられかねないが、彼女の場合はそれが十中八九正鵠せいこくているというのが常人ならざるゆえんである。

 つまり僕ら常人から見れば突飛に思われる彼女の推理は、彼女の中では真っ当に論理が組み立てられて導き出されたものなのだ。それは聡明さと云うより、天才ならではの第六感の類に思われがちだし、僕も感覚的にはそう思えて仕方ないのだけれど。

「いくつか思い浮かべていた可能性のうちのひとつです。ただし今となっては、最も蓋然性が高いです」

 三人で柏崎くんの住むアパートに向かう道中、ゆめは話してくれた。

「麗子さんの服の件から分かるのは、彩音は柏崎恭平が彩音の部屋と麗子さんの部屋を逆に認識するよう仕向けたのだということです。その理由は、真一をストーキングして手に入れたあれこれにあります。あれを麗子さんがやっていることと思わせたかったのです。彩音が柏崎恭平を連れて一度帰って来た目的はそれでしょう。そのため、衣服は麗子さんの部屋……柏崎恭平の認識における彩音の部屋……から持ち出すしかなかったのです。彩音が逃げ出したのは反射的な行動だったので、このときついでに衣服も回収したのでしょう。……そして柏崎恭平は僕達の動向を探るなど、彩音に対して献身的な働きをしています。彼は内向的な男子とのことですが、想像するに、彩音に良いように扱われているのではないでしょうか。云うなれば、柏崎恭平は彩音の傀儡かいらいです」

 彩音ちゃんがそんな酷い子とは今でも思えない僕だが、僕へのストーキングを措いておくとしても、既に三人を殺害している。いくら実感が湧かなくても、現実的と思えなくても、その意味を重く受け止めなければならない。愛穂を殺された僕としては、もっと怒りを抱かないといけないはずだ。

 麗子さんはどんな気持ちなのだろう。妹の本性が暴かれ、心中穏やかではないに違いない。しかし彼女はそれを表に出していなかった。理性的であるように心掛ける人なのだ。それに、彩音ちゃんについてはここ数日、ひたすら悩み抜いてきたのだろう……。

「ここで考えなければならないのは、いつまでこの均衡状態が続けられるかということです。彩音の失踪は、もう隠しておくのも限界でしょう。そうなったとき、自分の犯罪が露見してしまう惧れがあります。彼女の立場で考えれば、もう方法はひとつしかありません……秘密を知った麗子さんを殺すのです。ただし、他人の手を使って。そうです、彩音は柏崎恭平に麗子さんを殺害させ、さらには彼に通り魔殺人の罪まで被せようとしているに違いありません。それが最も理想的なかたちだからです。突き詰めていくと、どうしたってこの解答に至ります。柏崎恭平が彩音の傀儡というのは、何も誇張された表現ではありません。彼が己が身を破滅させてもいいと考えるまでに、彩音が彼を誘導しようとしているのは間違いありません」

 恐ろしい考えだった。いや、考えでなく、きっと事実なのだ。

 自分の姉を、自分の手を汚さずに消そうとするなんて……それはもう道徳ある人間の行いではない。逸脱しきってしまっている。だが彩音ちゃんは、そのくらい取り返しのつかない段階まで来ているのだ。

目論見もくろみどおりに柏崎恭平が麗子さんを殺害したときには、そうですね……自分は柏崎恭平に監禁されていた、とでも云うつもりかも知れません。二人の馴れ初めや詳しい関係は未だ不明ですが、何やら怪しい組み合わせではあります。ただし、容易なことではないでしょう。柏崎恭平にそこまでさせるためには、もう少し時間が必要なはずです。本来であれば、彩音の失踪が公けにされたとしても、すぐに居場所が割れるわけでもありませんから、彼女からすればまだ猶予があったのです。それを窺うために、柏崎恭平に状況を探らせていたのでしょう」

 ゆめと麗子さんを案内するかたちで歩いていた僕は、そこで足を止めた。目的地――柏崎恭平の住むアパートに到着したのだ。壁に書かれたアパート名を見るに、此処で間違いない。

「とはいえ、警戒を怠るべきではありません。此処は敵の牙城です。真一もいるので大丈夫かとは思われますが、彩音がどう動くか未知数です。僕もいささか、緊張しています」

 そびえる、と表現するにはいささか小さめのアパートだ。学生の一人暮らしなので、このくらいが当たり前なのかも知れない。二階建てで、あまり綺麗とは云えない外観である。

「二〇二号室ですから、あの真ん中の扉ですね」

「行きましょう」

 あくまで僕とゆめは協力者であるからか、麗子さんが先陣を切ろうとした。だがここは、僕が先頭に立つように進み出た。

「真一、気を付けてくださいね」

 ゆめが心配そうに声を掛けてくれる。昨晩を境に、彼女は随分と素直になったと思う。あれだけお互い赤裸々に語れば、もう照れることもないか。

 階段を上がり、二〇二号室の前に立つ。インターホンの類は見当たらない。ゆめと麗子さんが追いついたのを確認してから、扉をノックする。

 反応はない。中から物音もしないが、不在なのだろうか。

「少なくとも彩音はいるはずです。彼女が外出するとは思えません」

 たしかにそうだ。警戒し、居留守を使っているのだろうか。ならば僕らが誰か知らせるのは逆効果と思われる。

 試しにドアノブをひねってみた。すると、呆気なく扉は開いた。施錠されていなかったのだ。

 室内は電気が点いていなくて薄暗い。空気も良くない。――ゆめの部屋を連想する。

 それでも中の様子が分からないほどではなかった。短い廊下はそのまま、扉もなく居間に通じている。

 其処で、彩音ちゃんが座椅子に座っていた。よく見ると、ビニール紐で身体を拘束されている。しかし口を塞がれてはいないらしく、彼女は僕を見ると、

「真一先輩?」

 さすがに驚いている様子だ。玄関に這入ってすぐ横の壁にスイッチがあることに気付いて押すと、玄関の照明が点いた。これだけでも充分に室内は照らせる。

「彩音ちゃん、柏崎くんは?」

「た、助けてっ、真一先輩! 監禁されているの! あの男は今は外出しているから、は、早く――」

「もうやめなさい、彩音」

 麗子さんが冷たく云い放ち、僕を追い越して中に這入って行く。僕とゆめもそれに続いた。

「真一くんはもう、すべてを知っているわ」

 彩音ちゃんから一瞬にして、表情というものが消失した。

 やがて彼女は唇をわなわなと震わせながら、

「なんのことよ」

「貴女が通り魔として罪のない人を三人も殺めたことよ。真一くんにしてきた行為も、これからやろうとしていることも、全部よ」

 彩音ちゃんはまたしばらく沈黙してから、天井を見上げて「ああ、最悪」と呟いた。

「全部本当なんだね、彩音ちゃん」

 僕は心にぽっかりと穴が開いたような気持ちだった。まだどこかで、彩音ちゃんは何もしていないのではないかという考え……と云うより、願望を持っていたのかも知れない。

 彩音ちゃんは天井を見上げたまま、

「真一先輩が悪いんだよ」

 その口調は投げやりだ。僕がはじめて見る彼女の姿だ。

 麗子さんのような突出したものはないけれど、それでも真面目な良い子とばかり思っていた……しかしこれは、実は失礼なのではないだろうか。人を表層で判断するなんて、相手を蔑ろにしているのと変わらないのではないだろうか。

 僕は彩音ちゃんを真剣に見ていなかったのだ。だから、彼女の本質に気付けなかったのだ。それが彼女をここまで歪ませてしまったのならば、僕が悪い、というのは一部において真だろう。

「なんであんな女と付き合ったの? 正直、失望したよ。あんな女、真一先輩のこと何も知らない、見た目が格好良いから寄り付いたってだけの女だよ。どうして? 真一先輩もあの女の見た目が少し良いからって騙されていたの? ううん、そんなくだらない人じゃないよ、真一先輩は。彩音、知ってるもん」

「彩音ちゃん、愛穂を侮辱するようなことは――」

「ねえ、仲野宮さん」

 彩音ちゃんは依然として天井をぼんやりと見詰めたまま、ゆめに呼び掛けた。

「貴女は許せる? 真一先輩が、ここ最近出てきたばかりの女に奪われてさ、キスとかされるの許せるの? 彩音はね、貴女のことは仕方ないから認めていたんだよ。貴女にはかなわないって思ってたの。だけど姫路愛穂って。許せるわけないよ」

「そうですか。ですが、僕が許せないのは貴女です」

 ゆめは一歩前に出て、彩音ちゃんの正面に立った。

「貴女は真一にとって迷惑です。真一の人生を脅かす存在でしかありません。僕は善悪を問うような真似を嫌いますからそういった判断はしませんが、貴女がいると嫌だな、と思います」

 ゆめの言葉には、珍しく攻撃的な感情が籠められていた。

「姫路愛穂の件については、僕は許しました。真一も僕の振る舞いについて、許してくれました。僕はですね、いま、とても幸せなのです。ですが貴女がいては困ります。貴女が真一に好意を寄せるのは勝手ですが、それこそ勝手な判断で真一の恋人を殺害してしまうような危険人物がいたら、安心できないではありませんか。真一も嫌でしょうし、僕も嫌です。だから僕は貴女を許しません」

「なにそれ。それもあんたの勝手じゃん」

「そうですよ。善悪を問うことはしないと、云いましたでしょう」

 彩音ちゃんはまだ何か云いかけたが、そこで僕が言葉を発することにした。ゆめに任せてばかりではいけないと思ったのだ。

「彩音ちゃん、僕はゆめのことが好きなんだ」

 彩音ちゃんの目が大きく見開かれ、すぐに戻った。段々と涙が浮かんでいく。

「あああああ……。彩音は、こんなに頑張ったのにいい……」

「彩音、貴女は罰を受けなければいけないわ」

 そう云う麗子さんも、瞳が潤んでいた。

 彩音ちゃんは天井に向けていた視線を、今度は僕らに順々に向けた。

「お願いします、許してください。彩音がしたこと、秘密にしてください。もう絶対にしません。彩音、反省しているんです。ですから、見逃してください。彩音は、彩音はちょっと間違えちゃっただけなんですよ。お願いします。なんでもしますから……」

 ついに嗚咽混じりになってしまった彩音ちゃんに対して、麗子さんも涙を流しながら、首を横に振った。

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