↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
3/3

第003話 荷物切符で雲を渡れ

「切符を拝見しまーす!」


 雲の上で、帽子が喋った。


「……帽子?」

「帽子じゃありません。駅員です!」


 空の階段を登り切った私たちの前で、制服の帽子がぴょこんと跳ねる。その下から、背の低い少女が顔を出した。大きな丸眼鏡に、肩から下げた真鍮の笛。どうやら帽子のほうが本人より立派らしい。


「風待ち三番桟橋へようこそ。駅員のナナセです。切符を!」


 リッカが『剣士』、私が『修理屋』と書かれた切符を差し出す。


 最後にモグが、四本の脚を精いっぱい伸ばした。


「俺のは『荷物』だ!」

「はい、荷物のお客様はこちらの台車へ」

「お客様なのに台車!?」


 ナナセは慣れた手つきでモグを台車に載せた。


「生きてる荷物は初めてですが、規則に『生きていてはいけない』とは書いてませんので」

「いい駅員さんだね」とリッカ。

「褒めていいの、それ?」


 私たちの足元に広がっていたのは、雲の海だった。


 白い波の上を、帆の代わりに風車をつけた船が滑っている。空中に浮く桟橋が幾本も伸び、遠くの小島には、家々の煙突が突き出していた。


 すごい。


 初めて見る景色に、思わず息を忘れた。


「シオン、口開いてるよ」

「開くでしょ、これは!」

「俺も開いてるぞ!」

「モグはいつも開いてる!」


 そんな私たちの横を、船が一隻、ゆっくりと通り過ぎた。


 甲板には乗客が大勢いた。けれど誰も手を振らない。みんな不安そうに、こちらの桟橋を見ている。


 船は桟橋の先まで来ると、見えない壁にぶつかったように止まった。


 ごん。


 船首が揺れ、また雲の沖へ押し戻される。


「……あれ、どうしたの?」


 ナナセの顔から笑顔が消えた。


「帰港できないんです。昨日から、どの船も」


 *


 桟橋の詰所には、天井まで届く巨大な巻き上げ機があった。


 真鍮の胴に鎖が巻きつき、歯車がいくつも噛み合っている。ここでは雲の上の船を、目に見えない『帰港線』で桟橋へ引き寄せるのだという。


「行きは風で進めます。でも帰りは、この機械が船の行き先を覚えていないと、桟橋に近づけません」


 ナナセが窓を指さした。


 雲の沖では、さっきの船が何度も同じ場所を回っている。甲板の老人が、子どもに毛布をかけていた。


「今夜、雲潮が上がります。潮に巻かれたら、あの船は下の世界まで流されてしまう」

「残り時間は?」とリッカ。

「夕鐘まで。あと一時間です」


 私は巻き上げ機に手を当てた。


 ごと、ごと。


 大きな振動なら、まだわかる。けれど細い魔力の流れは、失った道聴きの針がなければ聴けない。


 機械の横には、行き先を刻んだ銅板があった。文字の部分だけ、黒く削り取られている。


 指に黒い粉がついた。


「白石回廊と、風見郵便局にあったのと同じ……」


 黒い手袋は、帰り道の名前を集めている。


 あの手紙の一文が頭をよぎった。


「名前を消してるんじゃなくて、どこかへ持っていってるのかもしれない」


 口にすると、少し怖くなった。


 でも、今は推理より修理だ。


「銅板の名前がわかれば、機械は直せる?」とリッカ。

「それだけじゃだめ。見て」


 私は機械の下を指した。


 帰港線を巻き取る太い鎖が、途中で切れている。先端は雲の沖へ落ち、反対側の金具だけが空回りしていた。


「名前を戻しても、鎖がつながらなきゃ船は引けない」

「じゃ、向こう側の鎖を取りに行こう!」

「どうやって?」


 リッカは剣を抜いた。


「泳ぐ?」

「雲は水じゃないよ!」

「じゃあ斬って道を作る?」

「それも違う!」


 ナナセが、小さく手を挙げた。


「……荷物なら、向こうへ送れます」


 *


 詰所の裏には、細い鉄の管があった。


『忘れ物返送管』。


 雲の上で落とし物をした人のために、荷物だけを対岸の受取所へ運ぶ仕組みらしい。人は通れないけれど、こちらの機械とは別の小さな風車で動くため、まだ使える。


「これなら鎖の先を引っ張るための細い呼び綱を送れます。でも、対岸で綱を鎖につなぐ人がいません」


 ナナセが唇を噛んだ。


「父が対岸の管理人なんです。昨日から連絡がなくて……。向こうの機械まで壊れていたら、もう」


「行けるぜ」


 台車の上で、モグがふたを開けた。


「俺が行く!」

「モグ!?」

「切符に書いてあるだろ。『荷物』って!」


 リッカが吹き出した。


「まさか、その切符が役に立つなんて」

「笑うなよ! 俺だって立派な荷物になれる!」

「その志、初めて聞いた」と私。


 返送管の入口を測る。モグの幅ならぎりぎり入る。ただし、出口が開かなければ戻ってこられない。


 私は首を振った。


「危険だよ。向こうに着けても、帰れなくなるかもしれない」


 モグの小さな目が、私をまっすぐ見た。


「シオン。お前、最初に俺が『助けて』って言ったとき、笑わずにふたを開けただろ」

「……うん」

「だから今度は、俺が誰かの『助けて』を聞く番だ」


 金具しか食べない、騒がしい宝箱。


 でも、その言葉は私の胸のいちばん柔らかいところに届いた。


「わかった。お願いする。でも約束して」

「なんだ?」

「絶対、帰ってきて」


 モグは歯を見せて笑った。


「帰り道を直す修理屋がいるんだろ?」


 私はうなずいた。


「いる。私が直す」


 *


 作戦はこうだ。


 モグが呼び綱の先端と工具を抱え、返送管で対岸へ行く。向こうで切れた鎖に綱を結び、こちらから引き寄せる。鎖をつなぎ直したら、銅板の行き先を復元する。


「肝心の行き先の名前は?」とリッカ。


 ナナセが机の引き出しを開けた。


「対岸には、帰港記録の控えがあるはずです。昔は同じ記録を両岸で一枚ずつ保管していたので」


「それだ!」


 私が叫ぶと、ナナセが少しだけ胸を張った。


「規則を覚えるのだけは得意なんです」

「それ、すごい才能だよ」

「……初めて言われました」


 私は工具鞄から丈夫な麻糸の束を出した。糸をモグの取っ手に結び、最後に小さな鈴をつける。


「向こうに着いたら三回鳴らして。困ったら二回。戻るときは一回」

「了解! 腹が減ったら?」

「金具を食べないで!」

「選択肢が厳しい!」


 ナナセが返送管のふたを開ける。


『荷物のお客様、一名』。


 彼女が切符に判を押した。


「行ってらっしゃいませ!」


「俺は荷物じゃなくて仲間だーっ!」


 モグは叫びながら、風の管へ吸い込まれていった。


 *


 最初の十分は、何も起きなかった。


 二十分目、麻糸がぴんと張った。


 りん、りん、りん。


「三回!」


 ナナセが顔を上げた。


「着いたんだ!」


 私は糸を少しずつ繰り出した。向こうから、がりがりと金属を噛む音が伝わってくる。


「モグ、仕事してるね」とリッカ。

「お願い、鎖じゃなくて留め金だけ噛んで……」


 そのとき、雲の沖で低い鐘が鳴った。


 夕鐘にはまだ早い。


 窓の外を見ると、白い雲の下から灰色の波がせり上がってきていた。雲潮だ。予想より早い。


「あと十五分です!」


 ナナセが叫ぶ。


 同時に、麻糸が二回震えた。


 りん、りん。


「困った合図!」


 糸の先で何かが引っかかっている。


 私は巻き上げ機の裏へ潜り込んだ。古い鎖の受け具が斜めに曲がり、引き込もうとするたびに歯車へ噛み込んでいる。


「リッカ、そこの赤いレバーを押さえて!」

「斬る?」

「押さえる!」

「今日は剣の出番がない!」

「剣じゃなくて腕の出番!」


 リッカが笑って、レバーに全体重をかけた。


 ぎりぎり、と歯車が止まる。


 私は曲がった受け具を外し、工具鞄から予備の金属板を取り出した。穴の位置が合わない。なら、削って合わせる。


 がり、がり。


 指先が痛い。


 でも、急いで適当に留めたら、また外れる。さっき直した郵便局の配達機だって、仮の歯で動かしたあとに自動の留めが噛み合う構造だった。ここにはそんな親切な仕組みはない。


「固定用の爪が必要……」


 私は壊れた受け具から、まだ使える小さな爪を切り出した。


 板に穴を開け、爪を差し込む。鎖が引かれるほど爪が深く噛む向きに組む。


 かちん。


「これなら、一度つながれば勝手には抜けない!」


 その瞬間、糸が強く引かれた。


 窓の外で、雲が裂ける。


 遠くの受取所から、黒い鎖の先端がゆっくり持ち上がった。


「来た!」


 ナナセが叫ぶ。


 私は鎖を受け具へ通し、最後の留めを打ち込んだ。


 がちゃん。


 リッカがレバーを離す。


 巻き上げ機が低く唸り、切れた帰港線が一本の輪に戻った。


「あと、名前!」


 私は銅板を見た。


 そこにはまだ、黒い傷しかない。


 *


 風の管から、小さな紙筒が飛び出した。


 ナナセが拾い上げる。中には古い帰港記録の控えと、走り書きの手紙。


『ナナセへ。こっちは無事だ。モグという元気な箱が来た。帰りの風を送る。父より』


 ナナセは、泣きそうな顔で笑った。


「父さん、無事だった……!」


 私は控えを開いた。


 消された銅板の名前は、そこにきちんと残っていた。


『風待ち三番桟橋 帰港線』。


 削られた銅板に、その文字を刻み直す。


 私の彫刻針が最後の一画を走ると、機械の中心で小さな灯りがともった。


 ごうん。


 帰港線が張り、沖の船がゆっくりと向きを変えた。


 船首が桟橋へ近づく。


 あと十歩。


 あと五歩。


 ごとん。


 船が接岸した。


「帰ってきた!」


 乗客たちの声が弾ける。最初に降りてきた老人が、子どもの手を引いてナナセに頭を下げた。


「ありがとう。家に帰れるよ」


 私はようやく、息を吐いた。


 夕鐘が鳴った。


 灰色の雲潮は、桟橋のすぐ下を通り過ぎていった。


 *


「で、モグは?」


 リッカの一言で、私の心臓が跳ねた。


 返送管は静かなままだ。


「……戻ってこない」


 私は管の入口へ走った。風車は回っている。でも荷物を運ぶ風が、途中で逆流している。


 修理が終わった帰港線の力が強すぎて、返送管の風向きまで変わってしまったのだ。


「そんな……!」


 私は機械の下を見た。


 帰港線の歯車と返送管の風車をつなぐ、小さな切り替え弁。


 細い。針があればすぐわかるのに。


 私は目を閉じかけて、やめた。


 聴けないなら、見よう。


 リッカの剣の柄に巻かれた赤い布を借り、弁のそばへ結びつける。風の向きに合わせて布が揺れた。


「ナナセ、荷物の返送口はどっち?」

「左です!」

「じゃあ、この弁を左へ……今!」


 リッカがレバーを押し、私は弁を回した。


 赤い布が、ぱっと反対側へ翻る。


 どんっ!


 返送管から、宝箱が飛び出した。


「ただいま帰還! 荷物のお客様だーっ!」


 私は反射的にモグを抱きとめた。


「おかえり!」

「うおっ、シオン!? そんなに抱きしめるな! 俺、木箱だからへこむ!」

「へこんでない!」

「心がへこんでる!」


 リッカが肩を震わせて笑っている。


 ナナセは切符に、二つ目の判を押した。


『返送済』。


「お客様のお荷物、無事にお届けしました」


「だから仲間だってば!」


 私は笑いながら、モグのふたをそっとなでた。


 道を直す仕事は、誰かを送り出すだけじゃない。


 ちゃんと迎えに行くことも、同じくらい大事なんだ。


 *


 夜。


 桟橋の灯りが雲の海に映るころ、モグの底板に浮かぶ地図が、静かに光った。


『第零迷宮への接続、第二関門通過。残りの帰還路:五。』


「あと五つ!」とリッカ。

「順調だな!」とモグ。

「今日、危うく二度と帰れなくなるところだったけどね!」


 私は笑ってから、ナナセが渡してくれた帰港記録の控えをもう一度開いた。


 記録の裏に、古い荷物の受領印が押されている。


 日付は七年前。


 品名の欄には、かすれた文字でこうあった。


『帰り道の名前 一件』


 差出人の欄は黒く削られていた。


 そして、届け先だけが残っていた。


『第零迷宮 裏口管理室』。


「……帰り道の名前って、荷物として送れるものなの?」


 リッカが覗き込む。


「さあ。でも、誰かが送った記録はある」


 私は紙の端を指でなぞった。


 七年前。母がいなくなった年だ。


 偶然かもしれない。母の印が本物かどうかさえ、まだわからない。


 だから、今は決めつけない。


「この伝票、持っていこう」

「次の道の手掛かり?」

「うん。それと……誰かが帰れなくなった理由の、手掛かりかもしれない」


 雲の向こうで、小さな灯りが一つともった。


 モグの地図に、次の文字が浮かび上がる。


『第三接続点:眠らない改札。入場条件、帰りたい場所をひとつ申告すること。』


 リッカが、にやりと笑った。


「シオン。帰りたい場所、ある?」


 私は少し考えた。


 工房。師匠のいる町。あの市場。


 それから、まだ名前のついていない、この三人の旅。


「……あるよ。いっぱい」


「俺は金具の山!」とモグ。

「それは帰る場所じゃなくて食べ放題会場!」


 私たちは笑いながら、次の桟橋へ歩き出した。


 その背中を、帰港した船の汽笛が見送ってくれた。


(第003話・了)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。