第7.5話 『外伝 準備―迎える側の仕事』
この話について
・本編の内容を補う話ではないので、読み飛ばしても8話以降に支障はありません
・第7話で大佐が告げた配置転換の直後が舞台です
配置転換の話を聞いた者たちが、会議室から出てくる。
三名。
全員、女性。
大佐の通達は、整備員たちにとって衝撃だった。
「……まず、掃除だな」
最初に言ったのは、若手の整備員だった。
会議に出ていなかった整備員が、軽い気持ちで聞く。
「どうした、突然?悪いもんでも食ったか?」
若手は、真剣な眼差しのまま答えた。
「女性が来ます。ほんの三人ほど」
格納庫に、静寂が訪れた。
工具の音が止まる。リフトの駆動音だけが、遠くで回っている。
「慌てるな。まだ歳も知らない」
遅れて親方が出てくる。
「整備班長、お聞きしたいことが」
「なんだ突然その言葉遣いは。気持ち悪いやつだな」
「今しがた、女性が三名ほど赴任されると聞いたのですが……」
「ああ、そう決まった。カールが決めたことだ。あいつは動きが早い。こっちも早めに対応しねぇとな」
その後ろから、大佐が顔を出した。
「若い女性ですよ。楽しみに待っていてください」
誰も返事ができない。
「私はこのまま手続きに移ります。上の部屋をお借りしますね」
大佐は階段を上がっていく。
続いて、現場参謀と技術将校が手を挙げて通り過ぎた。
「私は簡易事務所に戻る。こちらは気にしなくていい」
現場参謀は、そのまま整備棟の出口へ向かっていく。整備員たちは、黙ってそれを見送った。
二人が外へ出たところで、若い整備員が一緒に外へ出て、ドアを閉める。
全員が、息を殺して見守る。
数秒。
ドアが開き、若手が顔を出した。
両手で、大きく丸を作る。
「——うおおおおおお!!」
格納庫が揺れた。
「掃除だ掃除!!」
「床だ、床から行くぞ!」
「掃除は上からだ!」
「なんでもいい!とにかく綺麗にするんだ!」
「誰かデッキブラシ持ってこい!」
「俺は工具棚を直す!」
「お前の棚、ネジの種類が混ざってんだろ!」
「今日から分けます!!」
親方が、額に手を当てた。
「……お前ら、玲が帰ってきた時より元気だな」
一瞬、全員の動きが止まる。
「いや、それは」
「失礼ですよ親方」
「玲の時は、毛布と温かいもん用意するだけで……」
「同じ手順でいいだろ」
親方が、ぼそりと言った。
「帰ってきたやつを迎える手順を、そのまま使え。受け入れの基本は変わらねぇ」
その一言で、副長が棚から薄い冊子を取り出す。
表紙には、整備員の字でこう書かれていた。
『帰投時受け入れ手順』
「流用するんですか?」
「項目だけ読み替える。動線、休憩場所、飲料、必要な資料。順番は同じだ」
副長の声は淡々としている。
だが、その横で、床掃除組はすでに別の次元に入っていた。
「見ろ、この床。下は灰色だったんだぞ」
「五年物の油染みが……落ちる……!」
「俺、髭剃ってきます」
「戦闘前だぞ」
「戦闘前だからです!」
「理由になってねぇ!」
壁のカレンダーが、一枚、静かに外された。誰も理由は聞かなかった。
工具箱のステッカーを剥がす者。休憩室の鏡の位置を真剣に議論する者。誰かが、どこからか花瓶を探してきた。
「花瓶はいらねぇだろ」
「第一印象です」
「何の花を入れる気だ」
「……油圧ホース?」
「戻してこい」
格納庫は、完全にお祭り騒ぎだった。
その騒ぎの真ん中に、親方の声が落ちる。
「三番ハンガー、油圧ライン。圧、読め」
空気が、変わった。
デッキブラシを持っていた若手が、ブラシを放り出して計器に走る。
「ライン圧、規定値内。二次側、わずかに揺らぎあり。ゼロコンマ三」
「前回比は」
「同条件で上昇。フィルタの目詰まりが疑われます」
「交換履歴」
「前回交換から百四十時間。推奨まで、あと六十時間」
「前倒しだ。台帳に記録、発注に回せ」
「了解」
三十秒前まで花瓶の話をしていた男の声とは、思えなかった。
報告は短く、正確で、迷いがない。親方は頷くだけで、余計なことは言わない。
「次、肩部ハードポイントのロック機構。点検表」
「こちらです」
「ピンの摩耗、測れ」
「測ります」
別の整備員が、ノギスを当てる。
さっきまで「髭を剃る」と騒いでいた手が、ミクロン単位の数字を読み上げていた。
「許容内。ただし、次の整備周期までは持ちません」
「予備ピンの在庫」
「残り二です」
「四で出す。理由欄、戦闘前の予備確保」
発注書に、ペンが走る。
油圧フィルタ。シール材。人工筋繊維の予備モジュール。ロッカー、机、椅子、仮設の仕切り板。
機体の部品と、迎える部屋の備品が、同じ発注書に並んでいった。
「……こうして見ると、変な書類ですね」
「変でも通す。全部、必要なもんだ」
副長が、台帳の山を机に積む。
「資料の整理も始める。過去の整備記録を機体別、部位別、年次別に分ける」
「索引は?」
「俺が作る。新しく来る人が最初に困るのは、過去の履歴を探せないことだ」
「それ、自分達も助かりますね」
紙束が仕分けられていく。
誰かが、親方の手書きメモを見つけた。
「これ、読めません」
「俺の字だ」
「だから読めません」
「書き直せ」
笑いが起きる。
だがその笑いの間にも、手は止まらなかった。台帳の照合、数値の突き合わせ、押印。騒ぎの音と、事務作業の音が、同じ格納庫の中に同居している。
大騒ぎが収まると、状況は一変していた。
床は明るくなり、棚は整い、机の上には発注書の控えが積まれている。
仮設の仕切り板の寸法が、図面になって壁に貼られた。鏡は、結局、休憩室の入口の横に落ち着いた。
さっきまでのお祭り騒ぎが嘘のように、格納庫は静かだった。
「……戦闘前に、何やってんだろうな俺ら」
誰かが、ぽつりと言った。
「前線を整えたんだよ」
親方が、帰投時用の手順書の表紙に、鉛筆で一行書き足した。
『新規配属者受け入れにも適用』
「騒ぐのも仕事のうちだ。だが、数字は嘘をつかねぇ。どっちも手を抜くな」
「はい!」
一息ついた所で、親方が周りを見渡す。
「随分と綺麗になったもんだ」
「移動テーブル増やしましょう。たぶん、整備性は落ちます」
副長が発注書に付け足す。
「そうだな。工具を取りに行く距離が長くなった」
「玲もアリサも同じ女性なんですが、この差はなんなんでしょうね」
副長の一言で、親方も不思議に思う。
「全員集まれ」
親方の一言で、全員が並ぶ。
「今更だが、玲やアリサの時は何もしなかったが、今回はなんでこうなった?」
ガヤつく整備性達。
「2人とも子供じゃないですか」
「玲の後ろに隠れるアリサは可愛かったなぁ」
「言われれば大人っぽくはなりましたが、まだまだ子供です」
「子供だよなぁ」
笑いが広がる。
「それ、玲に言うぞ」
一気に静まり返る整備員達。
「冗談だ。玲が帰って来るまで、気は抜くなよ!」
「はい!」
返事の後に整備員たちが持ち場へ広がっていく。
その姿を頼もしそうに、親方と副長が見送った。
壁面モニターの隅で、表示が静かに続いている。
Pre-emptive Load Mitigation:Active
誰も、それに触れなかった。
ただ、玲が帰ってきた時のために用意してある温かい飲み物の棚の隣に、新しいマグカップが、五つ並んでいた。
本編の流れと異なるので、7話と8話の間に入れようと思った話ですが、あまりにも雰囲気が合わないので一度ボツにしました。
ただ、整備班のお祭り騒ぎと仕事ぶりのギャップは、書いていて一番楽しかった部分です。
捨てるのが惜しくなったので、外伝として上げることにしました。
本編には入らない、整備棟の風景です。多少、辻褄が合わないかもですが、肩の力を抜いて読んでもらえたら嬉しいです。




