第1話 初陣 ― 判断待機
夜明け前、補給都市〈セクター七〉は、まだ眠っているように見えた。
道路は濡れた金属光沢を帯び、送電塔の赤い障害灯だけが規則正しく点滅している。
帝国軍の前進集結地は、都市から南西へ約九キロ。
乾いたコンクリートに、仮設の灯りが一直線に並ぶ。前進集結地と言うだけあって、そこは戦場というより、巨大な工場のようにみえる。全ての窓から灯りが漏れているが、音が少なく声も少ない。
彼女は仮設指揮所の外に立っていた。
黒い制服の上に薄い外套。編み込みをまとめた髪。
年齢に似つかわしくない静けさを纏った少女。
「十八歳と六日」
彼女は空を見上げ、独り言のように呟いた。
数字に意味はない――意味を与えるのは今日の結果だ。
彼女は見上げた空から目を離し、視線を手元に落とす。
手袋越しに指先で端末の画面を一度だけ軽く叩いた。
都市の俯瞰図と、補給網の系統図。
水処理施設、変電所、地下輸送路、避難シェルターの位置。
「破壊禁止」の赤い線、「停止許容」の黄色、「封鎖対象」の黒色が表示される。
彼女はサッと目を通して、端末をスリープ状態に戻し、ポケットに収めると格納庫へ歩き始めた。
格納庫へ向かう通路は、白い灯りで均一に照らされている。
作業は終わっているらしく、とても静かで、彼女の足音だけが響く。
見つめられている気がして、窓越しに中に視線を移すと、乗り込み始めた兵たちと視線が合った。
しかし、直ぐに視線は逸らされ、敬礼もされなかった。
彼女の周囲では、規律より先に距離が生まれている。
それは拒絶ではなく、判断を待つための距離だった。
彼女自身もすぐに視線を前に戻し、歩き進める。
一時的にそらされた視線は、敬礼とともに直ぐに戻っているのだが、窓越しにあった彼女の姿はもうなかった。
彼女が格納庫の扉を通り過ぎると、扉が大きく開き、冷気と油の匂いが一緒に押し出されてくる。
MORV-1(前進観測車)がセンサー支柱を畳んだまま滑り出し、続いてMORV-2(中継冗長)がゆっくりと並走する。
工兵車両EGV×2、回収・救難のSARV×1がそれに続いた。
合計五両。どれも市街地に入らない前提で作られている。今日の条件は「破壊しない」ではなく、「壊さない」――そのための配備だ。
車両が動く音を背中に感じながら空を見上げ、独り呟く。
(作戦に支障はない……けど……)
幾度かのブリーフィングで、今回の作戦に参加する彼らが優秀なのはすぐに理解出来た。若手が多い中ベテランも数名参加している。誰が指揮しても負けないんじゃないかと思える人選なのだが、若手兵士達との微妙な距離感をずっと感じていた。
隣の格納庫まで移動して、入口で立ち止まり、ドアの前で硝子に映った自分を見てみる。
「私、怖い……かな……」
頬に手をあてて、彼女は笑顔を作ってみた。
「そんなに怖くない……と思う……」
可愛いと言うより、むしろ、美人と言われる顔立ち、スタイルもよく、容姿もよく纏まっている。
そんな彼女が、ドアの硝子に向かって笑顔を振りまいている方が怖い。
「何やってんだ、あいつは?」
軍服の男と雑談をしていた白色の整備服の男が声を出し、ドアに向かって歩き出した。
それにつられて、整備員達が視線を笑顔の女性に向けたが、見知った顔なので直ぐに整備に戻る。
格納庫の中から見れば、中を覗きながら笑顔を振りまく不審者にしか見えない。
突然ドアが開き、ガラスに映った自分の顔が消え、白い整備服に切り替わった。
「あっ……」
突然のことに驚き、固まったまま視線だけを上げると、主任整備隊長の階級章が目に入ったので、彼女はそれ以上視線を上げるのを止めた。
「コレ見てみろ」
白い整備服が視界から消えると、何人もの整備員が一斉に彼女へ視線を向けた。
「えっ……あっ…………」
彼女は固まったまま動けず、視線だけを動かす。
全員と視線があった気がする。
誰も何も言わない。
彼女は咳払いをすると姿勢を正し、空いたドアから中に入った。
ニヤニヤしている整備員達がヒラヒラと手を振っているのが目に入り、澄まし顔で全員に手を振り返した。彼女の表情は八つ当たり気味に怒っているのが見て取れるのだが、整備員達はそれすら面白いらしい。手を振られた整備員達は仕事に戻っているが、機体に手を伸ばす表情は真剣なものに変わっている。
先程の兵士たちとは、真逆の対応を見せる整備員達。
「本丸は空だぞ」
「知っています」
腕組みをしながら整備員達のやり取りを見つめている整備班長と、後ろで手を組みながら、笑顔で彼女を見つめる軍服の男性。
整備班長が、軽く肩を叩くと、男性は彼女に近付いて立ち止まった。
「初陣とは思えない雰囲気ですね」
「大佐!いらしてたんですね!」
軍服姿の男性に声をかけられて、怒り顔で手を振っていた彼女は笑顔で男性の元へ駆け寄った。
大佐と呼ばれた男が試験的に導入されたAHU-01Σを見上げる。大佐の前で、年相応の表情を見せた彼女も、自分に与えられた機体を見上げた。
白灰に鈍い黒でカラーリングされ、優しい曲面で構成された外装。面状センサーの頭部が、感情のないまま、こちらをとらえているように見える。
正式名称
Autonomous Humanoid Unit –01Σ
人間の判断は遅く、感情は戦場のノイズである、と言う思想の元に開発された為、パイロットを必要としない。
戦略AI+戦術AI+自己保存AIの三層構造による完全自律判断コアを持つ人型の支配者。
さらにAHU計画の完成系としてΣのグレードを与えられた、パイロットが乗り込む指揮官機。
整備員たちが、最後の点検を終え、機体から数歩離れて手を挙げた。
彼らの手つきは、どこか儀式のように見える。
コクピットを覗き込んでいた整備班長が離れて手を挙げた。
「Σ、起動」
声は小さい。なのに格納庫全体が、わずかに沈黙する。
AHU-01Σの胸部灯が一段階暗くなり、次いで安定した光に落ち着く。
関節が、音もなく“収まる”――動く準備を終える。
整備班長が彼女を見ながら、コクピットの外装をノックするように叩いた。
それを見ていた彼女が大佐の方に振り返り一言。
「私、行きます」
大佐が何も言わず手を差し出したのを見て、敬礼する代わりに外套を手渡し、笑顔を見せると搭乗ハッチに向かった。
全員の視線が彼女に送られる。
彼女は搭乗ハッチの前で止まり、一瞬だけ、整備足場の手すりに指を置く。子供みたいに――
彼女が不安な時に行う仕草だと整備員達はみな知っているが、誰もそれを見ないふりをした。
搭乗ハッチに乗り込み、コクピットに向かう整備足場に移る。
「……親方。いける?」
「さっきの見ただろ」
整備員が片手を上げる仕草。それは、自分が担当した場所は絶対大丈夫だと言う無言の宣言。自分が預る整備範囲への絶対の自信。手を挙げずに離れれば、不安なので確認してくださいという無言の報告。子供の頃から整備を親方に教わりながら、皆と何度も行った行為。
「音は良い。行ってこい」
「壊したら直してくれる?」
彼女が不安な事は、先程の行為で軍服の男以外の全員がわかっている。
「帰ってきたら、また調整だ。まだ完成じゃねぇ」
「壊しても直すって言ってくれないんだ」
「壊すつもりで乗るなら今すぐ階級章を整備に変えろ。1人前になるまで面倒みてやる」
そう言いながら彼女の肩を軽く2度叩くと、整備足場から搭乗ハッチに乗り移り、手を振りながら彼女の視線から消えていった。
「告げる。私はここに帰る」
彼女は独りごちると、コクピットに滑り込んだ。
「あれ、前より狭い」
人が入るために作られた空間ではある。だが、その存在理由は“操縦”ではない。
シートに座ると座席が自動で調整された。専用機であり、以前座った際の状態を覚えているらしい。
端末をホルダーにセットし、画面に軽く触れる。
・戦術フェーズ:0(観測)
・損耗許容:11%
・インフラ許容損失:2.0%
・民間被害:0.2%以下(目標)
内容を再度確認すると、身体を固定するためにベルトをはめる。
彼女は左手でレバーを倒し、右足でフットペダルを踏み込む。右手でスイッチを押し込むと、胸部装甲が機械的にスライドし、完全に閉鎖され、コクピット内の照明が白く灯った。
視界中央のメインコアビューに、文字が浮かぶ。
Σ CORE: ACTIVE
CONTROL AUTHORITY: UNASSIGNED
「告げる。CARE、起動」
表示が消え、一瞬の空白。
次の瞬間――
> C.A.R.E.
>
> Σ CORE: ACTIVE
> CONTROL AUTHORITY: UNASSIGNED
>
> ENGINE: STABLE
> LINK: ESTABLISHED
> SENSOR: NORMAL
>
> PILOT: NORMAL
> LOAD: NOMINAL
> VARIANCE: LOW
>
> PHASE: 0 (OBSERVATION)
> LOSS LIMIT: 11%
> INFRA LIMIT: 2.0%
> CIVILIAN RISK: ≤0.2%
>
> RESTRAINT: ACTIVE
> THRESHOLD: STANDARD
> INTERVENTION: READY
>
> STATUS: STABLE
> JUDGMENT: STANDBY
ログが、一息に流れきると、視界にUIが重なった。
中央、線画の都市。
外周、淡く脈動するリング。
左下、乱れのない単一波形。
すべてが、静かに確定する。
――判断待機状態。
最終判断に答えた時、AHU-01Σは戦闘状態に入る。
まだ、そのときでは無い。
外部スピーカー越しに、二歳年上の副官――エリオットの声が入った。
「指揮官。AHU全機、起動待機。観測車、定位置へ移動中。工兵、封鎖資材積載完了。先に出ます」
「Σも出すぞ。邪魔になりそうなもんを移動しろ!」
副官の声を聞きながらコクピットで目を閉じ、小さく息を吐く。外部スピーカーから親方の声も聞こえる。小さい時から何度も聞いた「出すぞ」って言葉に、彼女は妙に落ち着きを感じた。
目を開き、モニターを見ると、格納庫の扉は大きく開かれ、出口までの障害物は全て無くなっていた。
「告げる。Σ、歩行開始」
Σが静かに格納庫から出ていく。歩行状態を整備員達は双眼鏡で見ている。何かを確認するように、メモを取りながら。
整備デッキから、大佐と親方がその様子を見ている。
「何時もですか」
「玲の時は訓練でもあんな感じだ。送り出す方ってのは、自信もって送り出しても、帰ってくるまで不安なもんだ」
大佐は視線を親方に向けたあと、直ぐに機体に戻した。
親方はニヤニヤしながら、規則正しく歩くAHU-01Σをみている。
「前進じゃなく、歩行開始だとよ。優しいじゃないか」
「訓練してるとはいえ、躊躇いがないですね」
「あるだろ。あの言い方ならな」
「宣言……ですか……」
「ありゃ、自分に言ってるんだ」
「……綺麗ないい機体ですね」
「発光部は玲の好きなブルーにしてやりたかったが、識別の関係でアンバーになっちまった」
「優しい色のアンバーのが似合いますよ」
「いい機体って言ってくれたが、いいのは機体じゃねぇよ……」
格納庫から離れていくアンバーの発光から視線を大佐に移し、大佐も同じタイミングで親方に視線を移した。
親方がニヤリとして口を開く。
「乗り手だ」
>NEXT EPISODE PREVIEW
>CHAPTER: 1-2
>
>LOCATION: 中央戦略司令部・地下管制室/前線基地・整備デッキ
>VIEWPOINT: 副司令・アリサ、整備副長
>
>NOTE: 歩き出した足音を、見送る側はどう聞いているか
>STATUS: フェーズ0 歩行開始
>
>UPDATE: 済み
「……私、怖い……かな……」
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