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形成外科医は傷跡を読む  作者: キボウシ


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3/3

残された傷(前編)

 翌朝、神崎悠人はまだ薄暗い廊下を歩いていた。


 午前六時半。


 地方病院の朝は、大学病院よりも静かだった。


 しかし、その静けさは決して暇という意味ではない。


 ナースステーションでは夜勤の看護師が申し送りを行い、病棟には点滴スタンドを押す音や、患者の小さな咳払いが響いている。


 病院という場所は、どれだけ規模が違っても変わらない。


 そこには必ず、人の不安と希望が同時に存在している。


「神崎先生、おはようございます」


 声を掛けたのは、高橋師長だった。


「おはようございます。白石さんの状態はどうですか?」


 高橋は少し表情を曇らせた。


「傷の状態は問題ありません。ただ……」


「ただ?」


「夜中に何度か起きていました」


「痛みですか?」


「それもあると思います。でも、寝言で何度も同じ言葉を言っていました」


 神崎は足を止める。


「何と言っていたんですか?」


 高橋は一瞬迷った後、小さな声で答えた。


「……ごめんなさい、って」


 神崎は何も言わなかった。


 顔面外傷の患者は珍しくない。


 事故、転倒、スポーツ外傷、仕事中の怪我。


 しかし、傷を負った患者の中には、身体の傷以上に深いものを抱えている人がいる。


 形成外科医として何度も見てきた。


 傷は皮膚に残る。


 だが、本当の傷は目に見えない場所に残ることがある。


「診てきます」


 神崎は病室へ向かった。


 白石美咲は窓際のベッドに座っていた。


 昨日と同じように、外を見ている。


 視線の先にあるのは、病院裏手の森だった。


「おはよう、美咲さん」


「……おはようございます」


 昨日より声はしっかりしている。


 神崎は少し安心した。


「傷を見せてもらうね」


 ガーゼを慎重に外す。


 腫脹は軽減。


 皮膚の色も悪くない。


 縫合部の状態も良好だった。


「順調だよ」


 そう伝えると、美咲は少しだけ目を伏せた。


「本当に……元通りになりますか?」


「完全に何もなかった状態にすることは難しい。でも、できるだけ目立たなくすることはできる」


 神崎はそう答えた。


 形成外科医として何度も説明してきた言葉だった。


 しかし、美咲はその言葉を聞いても安心した様子を見せなかった。


「先生は……傷を見るんですよね」


「うん」


「じゃあ、分かりますか?」


「何が?」


「その人が、どうして傷ついたのか」


 神崎は少し黙った。


 医師は傷から多くの情報を得る。


 方向、深さ、形状、受傷機転との一致。


 だが、それだけですべてが分かるわけではない。


「全部は分からないよ」


 神崎は答えた。


「でも、分かろうとはする」


 美咲はその言葉を聞いて、初めて神崎の顔をまっすぐ見た。


「……先生なら」


 小さくつぶやく。


「先生なら、見つけられるかもしれない」


「何を?」


 美咲は答えなかった。


 その時、病室のドアがノックされた。


「失礼します」


 入ってきたのは、昨日の付き添いの女性だった。


 美咲を見るなり、安心したように笑う。


「美咲ちゃん、具合どう?」


「大丈夫」


 しかし、女性の視線は神崎へ移った瞬間、わずかに緊張した。


「先生……」


「はい」


「昨日のことなんですが」


 女性は言葉を選ぶように間を置いた。


「美咲ちゃんが言ったこと、気にしないでください」


「森へ行かないで、という話ですか?」


 女性の顔から一瞬、表情が消えた。


「……聞いたんですね」


「はい」


 短い沈黙。


 窓の外で風が鳴った。


「この町では、昔から森の話はしないんです」


「どうしてですか?」


 女性は美咲を見る。


 少女は目を閉じていた。


 聞こえているのか、聞こえないふりをしているのか分からない。


「昔、あそこで……」


 女性が口を開きかけた瞬間。


「失礼します」


 突然、背後から声がした。


 振り返ると、病院長の佐伯が立っていた。


 いつもの穏やかな表情。


 しかし、目だけは笑っていなかった。


「患者さんの前で昔話をするものではありませんよ」


 女性は口を閉じた。


「……すみません」


 佐伯は神崎へ向き直る。


「神崎先生」


「はい」


「この町には、医師として知っておくべきことと、知らなくてもいいことがあります」


 その言葉の意味を、神崎は理解できなかった。


 ただ一つ分かったことがある。


 この町の人間は、何かを隠している。


 そして、美咲の傷は、その秘密につながっている。


 その日の午後。


 神崎がカルテ整理をしていると、古い書類棚の奥から一冊のファイルが落ちてきた。


 偶然だった。


 ただの偶然のはずだった。


 だが、表紙に書かれた文字を見た瞬間、神崎の手は止まった。


 ――平成十八年度 行方不明者記録。


 その一番上にあった名前。


 **白石桜。**


 年齢、十六歳。


 失踪日、二十年前。


 神崎は息を止めた。


 そして、無意識に昨日手術した少女の顔を思い浮かべた。


 白石美咲。


 同じ名字。


 そして、あまりにも似た目。


 静かな病院の中で、時計の秒針だけが響いていた。



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