第22話「魔法使いのノート」
ヴェルノス専用のダッシュボードを作って三日が経った。
復活周期の揺らぎ、出力のばらつき、配下生成数のムラ——管理層から見えるデータは順調に蓄積されていた。でも、見れば見るほど物足りなくなっていた。
「ノード」
「はい」
「これ、半分しか見えてないな」
ノードがダッシュボードを覗き込んだ。
「えーと……半分、ですか」
「俺が見てるのは管理層からの数値だけだ。ヴェルノスがどう生成され、どんな命令を発し、どれだけリソースを消費しているか——裏側のデータ。でも、地上で何が起きているかは、ほぼ見えてない」
「あっ……たしかに、そうですね」
戦闘の様子は神託のログにあらすじとして残るが、魔力の細かい挙動までは記録されない。管理層から見えているのは、世界の裏側を流れる数字だけ。地上で人がどう動き、どう感じているかは、ほとんど映らない。
前の世界では、それを片側だけの観測と呼んでいた。提供側だけの記録を見て、使う側の体感を知らないでいると、致命的な誤判定が出る。両側の数字を突き合わせて、はじめて全体像が見える。
「地上の観測者が必要だ」
「地上で、魔法の動きを記録してる人、ですか」
「ああ。誰か、いるよな。たしか——」
「フィオナ・メルクーア様。勇者パーティの後衛魔導士です」
ノードが即答した。
「あの方、ずっと前から、魔法の挙動を細かくノートに書き留めていらっしゃるんです。神殿に挙げられている報告書の数も、他の魔導士の10倍はあります」
「10倍」
「たぶん、本人もわかってないと思います。気になるから書いている、というだけで」
いい。完璧だ。
地上に、勝手にデータを取り続けてくれている観測者がいる。あとは——どうやって、そのデータをこっちで読むか、だ。
「ノード、神託のチャンネルは管理層から地上への片方向だった。あれをそのまま逆向きに使うのは無理だ」
「えーと……はい。返信を受ける口は、元々用意されていないので」
「でも、神殿には祈祷のログが上がってきてるよな」
「あっ……」
ノードが目を丸くした。
「あります。神官が祈りで唱えた言葉は、全部こっちの神殿管理のログに残っています。リーゼル様が祈りの中で読み上げてくださったものは、そこを通って、ここに届きます」
「それでいい。片方向の通知に、片方向の祈祷ログを折り返して、両方向の通信路にする」
前の世界でも、似たことをやった。返信機能のない通知チャンネルに、別の経路を組み合わせて両方向にする。本来の経路を増設するより、すでにあるものを組み合わせる方が、たいてい早い。
* * *
「リーゼルさん、また神託をきれいに……」
南部の神殿。フィオナはノートをめくりながら、隣の親友に言った。
リーゼルが祈りを終えて、目を開けた。
「うん、また神様が、はっきり話してくれたよ。あのね、フィオナ。今日は——変なことを言ってた」
「変なこと?」
「フィオナのノートを、見せてほしい、って」
フィオナの手が止まった。
「……はい?」
「フィオナの魔法のノート。あれを、神様に見せてほしいって。書き写してもいいし、読み上げてもいい。神様はね、地上の魔法のことをもっと知りたい、って言ってる」
フィオナはしばらく、リーゼルの顔を見つめた。
神託——「神様」——が、自分のノートを名指しで欲しがっている。意味がわからない。理屈に合わない。論理的に考えましょう、と口の中で唱えてみても、論理がどこから始まるかわからない。
「……理解できませんわ」
フィオナは小さく呟いて、それからしばらく黙った。
でも、リーゼルの神託は、ここ最近、嘘をついたことが一度もない。
「……いいですわ」
フィオナは小さくため息をついた。
「ただし、ノートの中身は私の研究の蓄積です。中途半端に読まれるくらいなら、全部、最初から最後まで、ちゃんと読んでいただきますわ」
「うん、わかった! 神様、フィオナがいいって」
リーゼルが杖を鳴らした。先端の鈴が、軽やかに揺れた。
* * *
その晩、神殿の祈祷ログに、地上から大量の文字データが流れ込んできた。それをノードが管理層のアーカイブに移し替える。
「来ました、悠真さん。リーゼル様の祈り経由で、フィオナ様のノートの中身です」
俺はディスプレイの前に座り直した。
画面に、整然とした字が並んでいた。
『4月7日。攻撃魔法成功率97.8。回復魔法成功率98.4。出力に乱れなし。詠唱長さに変化なし』
『4月8日。攻撃魔法成功率96.1。回復魔法成功率98.2。攻撃魔法の出力に微小な揺れを確認。原因不明』
『4月9日。攻撃魔法成功率92.3。出力の揺れが拡大。詠唱中、術式の最終段階で「すべり」のような感覚あり。具体化できず』
フィオナのノートは、毎日、こうやって続いていた。日付、数値、定性的な観察、自分の感覚。最後の項目が良い。「具体化できず」と書ける研究者は、信頼できる。
「ノード、これ、何ヶ月分ある」
「えーと……三年分です」
「三年」
ノードがうなずいた。
「フィオナ様は、最初に異変を感じたのが三年前なんです。誰にも信じてもらえなかったけど、ずっと書き続けていらっしゃいました」
俺は最初の月から、順番に読み始めた。
* * *
半日かけて、三年分のノートを通読した。
わかったことが、いくつかある。
第一に——フィオナの観察は、管理層のメトリクスとほとんど一致していた。彼女が「成功率が下がってきている」と書いた時期は、俺の魔法API成功率の劣化と同じだ。彼女が「術式の最終フェーズですべる感覚」と書いた挙動は、レスポンス遅延の地上での体感だ。
彼女はシステムを見ていないのに、システムの異常を正確に記録していた。
第二に——彼女のノートには、俺のメトリクスに「ない」情報がある。
『5月21日。攻撃魔法を撃った瞬間、術式が引っ張られる感覚。北の方向。前にもあった気がする』
『7月3日。同じ感覚。北の方向。今度ははっきり。何かが、術式の力を吸っている』
『10月12日。今日も北。これは確実に何かがある』
北方向から、魔法の力が「吸われる」感覚。地上の魔導士にしか感じ取れない、定性的なデータ。
俺はヴェルノス専用のダッシュボードを開いた。
彼女が「吸われた」と書いた日付を、ヴェルノスの起動準備期間と重ねた。
ぴったりだった。
ヴェルノスは復活時刻ぎりぎりに、地上から魔力を集めている。集めて、自分の起動エネルギーに変えている。だから、彼女には「吸われる」感覚として届く。だから、俺のメトリクスでは「外部要因なし」に見えたのに、彼の出力にばらつきが出ていた。
管理層のデータだけでは、絶対に見えなかった。
「ノード」
「はい」
「彼女のノート、すごいぞ」
「ですよね」
* * *
『神様。フィオナです。ノート、読んでくださいましたか』
翌朝、リーゼル経由でメッセージが返ってきた。フィオナが自分から「神様」に呼びかけてきた。
俺はリーゼル経由で返事をした。
『読んだ。三年分。役に立っている』
しばらく沈黙があった。リーゼルがメッセージを取り次いでいるんだろう。
『私のノートが、何かの役に立つのですか』
『大いに立つ。あなたが「吸われる」と書いた感覚は、ある特定の存在が地上から魔力を集めている兆候だ。あなたは、それを最初に検知した』
また沈黙。今度は少し長かった。
『……あの感覚は、私の気のせいではなかったのですね』
『気のせいではなかった』
『ありがとうございます』
メッセージは、それだけだった。
でも、文字の向こうで、彼女が何を感じているかは、何となくわかった。三年間、誰にも信じてもらえなかった観察が、初めて意味を持った瞬間だ。
ノードが小さく言った。
「悠真さん。フィオナ様も、これからずっと、神様に観測を送り続けたいって、おっしゃってます」
「断る理由はない」
「えーと……あの、そうやって、地上の方々と一緒に観測していくのって、すごく、新しい感じがします」
「ああ。新しい」
俺はダッシュボードを開いた。
左半分には管理層のメトリクス。右半分には、これからフィオナから届く地上のデータ。両側からの観測で、はじめてヴェルノスの全体像が見える。
次の復活まで、あと14日。
俺は彼の躊躇を、両側から測り始めた。
お読みいただきありがとうございます。
【今回のIT用語】
クライアントサイドメトリクス:システム側から見える数値だけでは、利用者側で何が起きているかは正確にわからないことがあります。利用者の端末や利用者本人から取得したデータを「クライアントサイドメトリクス」と呼び、両側のデータを突き合わせて初めて全体像が見える、というのがSREの基本です。フィオナのノートは、まさに地上側のクライアントサイドメトリクスとして機能しています。
ストリーム結合:別々の場所から流れてくるデータを、時刻や対象ごとに突き合わせる処理を指します。本作では、管理層のヴェルノスのメトリクスと、地上のフィオナの観察ノートを、日付で突き合わせることで「ヴェルノスが地上の魔力を吸っている」というパターンが見えました。データは、単独で見るより、組み合わせると意味が増します。
次話「神託で繋がる」もよろしくお願いします。
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